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家族に関する泣ける話・感動する話

息子がサラリーマンに壮大に蹴られ、旦那ブチギレ。「嫁、息子つれて俺の声が聞こえない所まで離れろ、後警察呼べ」

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2014年10月15日 12:58
  • 家族

281: おさかなくわえた名無しさん@\(^o^)/ 2014/10/12(日) 01:15:13.12 ID:JHo9MhUg.net
スーッとする話か分からないけどついこの間あった話。

私、旦那、息子(6歳)の三人でネズミの王国に行きました。
その帰りの話です。

旦那
性格 超温厚 切れているのを見た事ない。
体格 アメフト8年やっていただけあってとんでもない体格

息子 ほとんど泣かない子、世話のかからない良い子

帰宅途中乗り換え駅電車を待っている途中息子に

「のどがかわいたから何か飲みたい。」

と言って来たため目の前に自販機があったため旦那が

「好きなの買って来な。」

と言いスイカを渡してました。

息子はわくわくしながら買いに行きました。
息子が自販機に向かってから3秒後

「うわーん!うわーん!」

と息子の泣く声が聞こえてきました。
旦那が

「嫁、息子つれて俺の声が聞こえないところまで離れろ、後警察呼んでおけ。」

と見た事ない顔で私に言いました。

私は何が怒ったのか分からずとりあえずいつも泣かない息子が泣くなんて相当なことだ!と思い息子を回収。
駅のホームから改札まで息子を抱えて駅員さんに

「警察呼んでください!!」

と伝えて息子に何があったのか聞きました。

後日旦那に聞いたと、一部始終すべて見ていて息子が自販機から買っている途中酔っぱらいのサラリーマンが前を見ていなかったらしく息子を壮大に蹴ったとのこと。
しかもその後謝りもせず息子がこけた事を酔っぱらい5人で大爆笑。

それをみて旦那がブチ切れ。
旦那が酔っぱらいにタックルしていくのまでは見えました。

282: おさかなくわえた名無しさん@\(^o^)/ 2014/10/12(日) 01:18:20.48 ID:JHo9MhUg.net
続きです。

体重95キロ、身長185センチ、50メートル走5秒台という体格からは想像しえない速さでタックルを受けたリーマンはどうなったかは想像におまかせします。

警察が到着後警察官と救急隊に子供を預けて、ホームにおりたところ、蹴ったサラリーマンと上司が旦那にこってりしぼられていた。
サラリーマンはこけたときに擦りむいたのかワイシャツが血だらけでした。
ちなみに、その他の社員は名刺を強奪し、帰したとのこと。

さくっと警察に被害届を提出し、その場は解散。
後日、会社の取締役2人が示談にしてほしいとのことだったが旦那が一言

「あいつがやったようにお前の子供がいたらこれからおれが全力で蹴りに行っていいなら下げてやるよ。」

と言ったところおとなしく帰って行きました。

また後日、社長と取締役が謝罪にきてサラリーマンはクビ、その場にいた上司は1ヶ月謹慎と降格、会社での飲み会は全面禁止にしておわりました。
社長から

「被害届は下げなくてよい、私たちもそんな社員はいらない。」

となかなか良い事をいう社長さんでした。

なお息子はたいしたけがもなく、今日も旦那とアメフトのボールでキャッチボールをしてます。

283: おさかなくわえた名無しさん@\(^o^)/ 2014/10/12(日) 01:25:25.88 ID:JHo9MhUg.net
最後。

「なんであんなに怒ったの?」

と聞いたところ

「え?自分が怪我するのは慣れてるけど嫁や息子が怪我するの慣れてないでしょ?嫁や息子を守るためなら鬼になるよ。」

とのことでした。
絶対に旦那を怒らせる事はしないようにと誓った私と息子でした。

親が不仲な上に貧乏なせいか昔から弟と助け合ってきた。

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2014年2月 7日 16:58
  • 家族

親が不仲な上に貧乏なせいか昔から弟と助け合ってきた。
こんなこと恥ずかしくてリアルでは誰にも言えないけど、弟は本当に本当に大事で大好きで・・・なんて言うか、かけがえのない存在。

いつだって何かあれば一番先に相談相手になってくれるのは弟だった。
私の結婚式でも、誰よりも一番泣いてくれたのは弟だった。

生まれたばかりの息子がアトピーになってしまって、祖父母になる実父実母ですら思わず顔をしかめてしまうくらいひどい湿疹まみれの顔の息子をぎこちなく抱き上げ

「オマイは可愛いな!だってねえちゃんの子だもんな!オマイはみんなの宝物だっ。」

といつものアホな笑顔で言ってくれた弟。

帰省するなり真面目な顔して話聞いてなんて言うから何事かと思ったら

「結婚しようと思う。」

だって。

本当に本当におめでとう。
ねえちゃん嬉しくて、ちょっと切なくて涙が止まんないよ。
さっきから幸せに、幸せにって神様に祈ってばかりだ。
何が何でも幸せになって。

どうか、弟とお嫁さんの生活が素晴らしいものになりますように。

俺の兄ちゃん最高。

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2014年2月 7日 16:55
  • 家族

俺の兄ちゃん最高。

元から良い子というわけじゃなくて普段は悪さもして怒られるような、そういう普通のバカガキだったなのにずっと俺には優しかった。
親のいう事にもけっこう言い返すのに

「お兄ちゃんだろ?」

といわれた時は絶対に言い返さなかった。
お菓子もおもちゃも何でも先に選ばせてくれた。
俺がバカで、兄ちゃんの分まで欲しがったりしても譲ってくれた。

高校生になって俺だけ貰い子で本当の家族じゃないって知った。
兄ちゃんに

「本当の弟じゃないのに何で優しかったん?」

って聞いたら

「弟できたら優しくするって約束しちゃったからな。」

って笑われて

「つーか本当の弟だしw」

と軽くゲンコツされた。

もう1回言う。
俺の兄ちゃん最高。

お父さんはA子が生まれた時、「天涯孤独な自分にも家族が出来た」って泣いたんだよ

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2014年1月31日 18:46
  • 家族

612: おさかなくわえた名無しさん 04/03/22 11:48 ID:E5oMeQ3U
うちの父は何だか変な性格で、全然家庭人じゃない。
家のことなんて全くしない。
子供のようにわがままで、嫌なことがあるとすぐだんまりを決め込む。
私に対しても甘やかしたと思うと、いきなり叱り飛ばしたり、とにかく気難しい。

反抗期だった私は

「なんであんな性格なんだろうね、やってらんないよ~。」

と母に言ったら

「A子(私)も一人前の年だから・・・。」

と母が話し出した。

父の父親は戦争で亡くなった。
父の母はそれが元で精神がおかしくなり、父の姉と父を連れて線路に飛び込んで心中を図った。

助かったのは5~6才の父だけ。
それからは知合い中をたらい回しにされいじめられ、大変な少年時代を送ったらしい。

『だから性格がひねくれたんだねぇ(;´Д`)でも、何回も流産を重ねた後でA子が生まれた時、

「天涯孤独な自分にも家族が出来た。」

って泣いたんだよ。お母さんは所詮、お父さんにとっては他人だけど、A子はあの人にとって一番の宝物だよ。』

この話しを聞いたときは大泣きしてしまった。

「家族を持ったことがないから、どうしていいか分からない。」

と母に相談していた父の気持ちを思うと切なくて泣けた。
お父さんに優しくしないとなぁ・・・。

十二歳違いの娘

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2014年1月22日 15:27
  • 家族

土曜日、一人娘の結婚式だったんさ。

当時、俺25歳、嫁33歳、娘13歳。
まぁ、要するに嫁の連れ子だったんだけど。
娘も大きかったから、多少ギクシャクしながらも数年過ぎた。
子供はあえてつくらなかった。
収入の問題もあったけど、娘の気持ちを考えたら、子供は娘1人いればいいって事になった。

突然嫁が交通事故で逝った。
娘17の時。
突然2人きりになった&現実味がなくて二人して呆然。
これからどうしようと思った。
生活の面では収入も安定してたし、娘も家事の一通りは出来た。
何の問題もないはずだったけど、嫁側親戚が騒ぎ立てた。

そらそーか。
血の繋がらない29の男と17の女。
ある意味カップルでもおかしくない歳の差だもんな。

「あなたはまだ若いんだから・・・。」

とか、

「再婚するにも子供がいちゃ・・・しかも自分の子供じゃないのに・・・。」

とか、散々言われた。

でも、俺は間違いなく娘は俺の娘だと思ってた。
何よりも、嫁のたった一人の忘れ形見だ。
俺が育てて行く以外の選択肢は全く頭になかった。
そんな親戚の騒ぎは右から左に流した。
娘も

「今更こんな足の臭いオッサンとどーにかなるかw」

と笑ってた。
当たり前の様に言う娘の気持ちが嬉しかった。

やっぱり影であらぬ噂を立てられた事もあった。
三者懇談や進路面談で学校に行くと、必ず教師に変な顔をされた。

部活で遅くなった娘を迎えに行って

「お宅の生徒が円光をしている。」

と近隣住民から学校に通報された事もある。
それでも2人で暮らして来た。
再婚なんか考えた事もなかった。
それくらい娘には穏やかな、幸せな時間を与えてもらってた。

娘に話があると言われた。

「結婚したい人がいる。」

と。
娘は25になってた。
俺が嫁と結婚したのと同じ歳。
正直複雑な心境だった。

次の日曜に相手の男に会った。
娘を見る目が優しかった。
こいつなら大丈夫だと思った。
安心した。
諦めもついた(笑)

あっという間に披露宴だ。

「お母さんが亡くなった時、本当にどうしようかと思った。お父さんはまだ若かったから、私がいたら絶対に足枷になると思ってた。だから、これからも一緒に暮らすのが当たり前みたいな態度でいてくれたのが本当に本当に嬉しかった。私のお父さんは、お父さんだけです。今まで本当にありがとう。お母さんが亡くなってからも、今までずっと幸せな子のままでいられたのは、お父さんがお父さんだったからです。」

娘がしゃくりあげながら読む花嫁からの手紙を聞いてたら、バージンロード一緒に歩いてた時点で必死で堪えてた涙がどっと溢れた。

娘が出て行く前に、箪笥の引き出し一つ一つに

「ぱんつ」
「しゃつ」
「とれーなー」
「くつした」

とか書いた紙をはっつけていった。
そこまで俺自分で何も出来ない父親かよwww
しかも平仮名www

近いうち娘に良く似た孫とか出来ちゃうんだろうな。
そんで

「俺まだじーちゃんとかいう歳じゃねーし。」

とか言っちゃうんだろうな。

俺、間違ってなかった。
大変だったけど、父親って立場、選んでよかった。
嫁と結婚して良かった。
娘の父親になって良かった。

1人になって部屋は何か広くなっちゃったけど。
微妙な抜け殻感は否めないけど。

今度はいつか生まれて来る孫の為に頑張ってみようかな。

3人で歩きましょう

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2014年1月20日 13:35
  • 家族

投稿日:2012/07/15 投稿者:無名さん
48 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:2007/02/26(月) 19:20:28 ID:Bt4IZMe5
以前書き込みさせてもらったストーカー継父を持つ者です。
今回、初めて彼氏を実家に招待しました。

継父は、

「ふーん、そうか、お前も人並みに彼氏が出来たか。」

と普通でした。
が、私が彼を家まで送っている間の出来事を母に聞いたら・・・。

継父は、私のアルバムを取り出し、

継父「このころは夜泣きが酷かったな。」
母「あなた、その時は私たちまだ結婚してないわよ。」

継父シカトして

継父「おお幼稚園の卒園式だ・・・。」
母「だから、まだ結婚してry」

と、私のアルバムを見ながら妄想の思い出に浸っていたそうです・・・。
厳しいだけだと思ったら、意外な面を新発見です。

しかし、便宜上とはいえ、継父なんて書いてると知ったら・・・。
ごめん、お父さん。

397 名前:1001AA投票中@期日等の詳細は自治スレで 投稿日:2007/05/04(金) 22:34:14 ID:CRkbwbY
確かこのスレの最初の方に妄想父の話を書いたものです。

あのあと、しばらくして、彼氏がプロポーズしました。
で、私の実家に挨拶に来たのですが・・・。

その夜、珍しくサザエさんも見ずに自室に籠もる義父。
部屋の扉に耳をつけ話を聞きながら、そっと開けると、義父が亡き私の実父の写真とビールの入ったコップを2つ、独り言を言っていました。

「Aさん(実父の事)、私はね娘の小さい時を知っている貴方に嫉妬したこともあるよ。でも今思うと、貴方が娘を慈しんで育ててくれたんだなって・・・。娘の結婚話が出てよく分かったよ。あなたの無念さが。結婚式は3人でヴァージンロードを歩きましょう。」

普段は大好物のヤマザキのダブルロールを一枚づつ、めくりながら

「あ~れ~、お代官様、ごむたいなっ。」

なんて気色悪い声で言ってるオッサンが。
しかも指をクリームまみれにし、そのクリームを母のエプロンで拭って叱り飛ばされてるのに。

しかと聞きました。

結婚式では、この話をしよう。
今から父の反応が楽しみですw

長文スマソ。

いっぱい話をしよう

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2013年12月26日 20:18
  • 家族

俺は福岡で働いてるけど地元は大分。

今日、福岡で仕事の集まりがあるらしく昨日から母親が来てた。

久々に俺に会えて嬉しいらしくいろいろ話してくれるんだけどさ、俺は適当に

「ふ~ん。」

とか

「へぇ~。」

とか相づちうつだけでほとんどまともな会話とかしなかった。

で今日の朝、俺は仕事があるから母さんより早く家を出た・・・。
心の中では悪いことしたなぁっていつも後悔するんだけど、毎回こんな感じになってしまうんだよね。

で、今家に帰ってきたら米とかみかんとかが玄関に置かれててビックリ。
冷蔵庫を開けてみたらほとんど空っぽだったのに、卵とかサラダとかいろいろいっぱい入ってた。
他にもおかしとかなんか冷蔵庫に入りきれないくらいいろいろ買ってくれてた。

車もないし1番近くのスーパーまで歩いてそこそこの距離があるのにこんなに重いの持って買ってきてくれたのかと思うと涙がでたよ。

親孝行しないとなぁ・・・と思った。
今度会ったときはいっぱい話をしよう。

人生最大の悔い

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2013年12月25日 19:19
  • 家族

高校の頃とにかくバイトと遊びではしゃぎまくってた。
無免で中型乗って馬鹿だからマッポに捕まったりしてお母さんに迷惑かけまくった。

バイトもキャバクラと他に掛け持ちして学校も公立の普通科で超多忙で通学費だけは自分で払ってた。

そんな中、高2~3までダイエットと忙しさで拒食症になった。
すごいガリガリになって普通の生活が辛くて眠くてイライラがずっとあった。
でもバイトも学校もしっかり行っていたが、毎朝おかんが作るお弁当を全く食べずに家においていったままにした。

ほとんど食事をとらず友達にも家族にも相当心配かけてた時期。
家族との仲に溝ができて、会話がほとんどなかった。

しかしやっぱり人間の本能。
いずれ食欲は出て来て普通の生活が出来るようになり、今ではその反動がきてるw
拒食症の症状も軽くなった頃の高校卒業間際、学校最後のお弁当がある登校日。

久々の朝の会話。

「お弁当忘れてるよ。」

その日学校で丁寧に包まれたお弁当ばこを開けた。

母からの手紙が。

『あなたがダイエットをする頃から母はお弁当を作らなくなり、悲しいような・・・楽チンだったような・・・。
一時期は本当にどうなるのか不安で仕方ありませんでした。
たくさん心配かけることをしてくれたあなたですが体だけは健康にね。
いずれあなたにも子供ができて、文句を言いながらお弁当を作る様子を思い浮かべると笑っちゃう。
でもあなたはママの娘。
何があっても大丈夫。
これからも頑張ろうね。』

学校で泣いた。
友達に自慢しまくったw

泣きながら手紙入ってるよーって。
そのお弁当には私の大好きな母の手作りだし巻き卵焼きが入ってました。
うちのおかんは本当に料理がうますぎて、ピザも生地から手作りで、味噌とかも家で作ってます。
絶品。

今、私は19歳。
就職して1人暮らししています。
おかんのお弁当、なんでなんでもっと欲張って食べなかったんだろう。
人生最大の悔い。

今更だけどおかんのお弁当ってどれだけあったかくておいしかったのか思い知らされました。
あの愛情に勝てるものはこの世にないでしょう・・・。
おかんみたいなおかんになることが私の夢です。

親父の話

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2013年12月24日 18:38
  • 家族

高校1年の夏休み、両親から

「大事な話がある。」

と居間に呼び出されたんだ。
親父が癌で、もう手術では治りきらない状態であると。
暑さとショックで、頭がボーっとしてて、変な汗が出たのを憶えている。

当時、うちは商売をしていて、借金も沢山あった。
親父が死んだら、高校に通えるわけがないことは明白だった。
そして俺はお世辞にも優秀とはいえなかった。
クラスでも下位5番には入ってしまう成績だった。

その夏から、親父は、抗がん剤治療を開始し、入退院を繰り返していった。
メタボ体型だった親父が、みるみる痩せこけていった。
母親の話では、主治医の見立てでは、もって1~2年だろう、ということだった。
ただ、親父は弱音を吐くことはなかった。
親父は

「高校、大学はなんとかしてやるから、しっかり勉強しろよ。」

って言ってたよ。
仕事もやりながら、闘病生活を続けていた。

俺といえば、目標も特になく、高校中退が頭にチラついて勉強は進まなかった。
ただ、ボーっと机に向かって、勉強するフリだけはしていた。
せめて親父を安心させるためだったと思う。

だから、その後の成績も、とても期待に添えるものではなかった。
ただ、親父の

「高校、大学はなんとかしてやる。」

の言葉が、重かった。

「おまえ、将来、何かやりたいことはないのか?」

高校2年の冬、痩せこけた親父に問いかけられた。
俺は、期末テストで学年ビリから2番をとり、担任からも進路について厳しい話をされていた。
言葉もない俺に、怒ったような泣いたような顔で親父は言った。

「ないなら、、医者になれ!勉強して、医者になって、おれの病気を治してくれ!」

上手く説明できない熱い感情に、頭をガツンと打たれた。
自分への情けなさとか、怒りとか、色々混じったものが込み上げた。
その時、親父には返事を返すことはできなかったが、俺は決意した。
それから、猛烈に我武者羅に勉強した。

高校3年の夏、親父は逝った。
親父は、闘病生活の2年間で借金を整理し、俺の高校の学費をなんとか工面したそうだ。
親父のおかげで、高校卒業できた。
そしてありがたいことに、1年間の浪人生活を経て、俺は地方の国立大学の医学部に合格した。

俺は今、癌専門治療医として働いている。
親父は、

「あいつは、将来おれの病気を治してくれるんだ。」

と母に言ってたそうだ。
まだ、親父の癌を治す力はないが、日夜頑張っているよ。
いつか、親父の癌を治せるように。

エフゼロ

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2013年12月20日 16:28
  • 家族

スーファミの発売日にファミコンが大反対だった父が何故か買ってあげると言い出して父と一緒にデパートに買いにいった。
デパートにはもう人がたくさん並んでいて、ピリピリとしたムードだった。

開店と同時に雪崩れるように、

「走らないで下さい!!!」

と言う係員の声も聞かずダッシュ。
みんななりふり構わずエスカレーターを猪突猛進。
ハイヒールが片一方落ちていたり、わーわーキャーキャー酷かった。

命からがら?おもちゃ売り場につく。
多分5階だったかな?
ちょっと息がきれてたし心臓もバクバク。

マリオが欲しかったんだけど売り切れてて仕方なく買ったのがエフゼロだった。
でも嬉しかったな。
父が帰りの車の中でドヤ顏だったのと、抱きしめたデパートの袋がなんとなく懐かしい。

グラフィックとか中学生のオレには良くわかってなかったがとにかく

「はえぇ~おもしれ~。」

だった。
遊ぶ時間は1時間だけって約束を何度も破ったっけ。

父と話すのは苦手だし、話も聞きたくないけど、思い出すと良い思い出もあるもんだな。

思い出のスーファミソフトでこんな時間にこんな事思い出すなんて思わなかったよ。
ありがとう。

【小町】シャツの買い置きが終わった(駄)

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2013年7月26日 14:56
  • 家族

今日、妻が買い置きした開襟シャツの最後の一枚を着ました。
10年前に病で入退院を繰り返した末に妻が他界しました。
最後の入院前に、夫婦のタンスに私の衣類を買い置きしてくれました。

妻が他界してから、その買い置きの衣類を着て仕事に行っていましたが、今朝はその最後の一枚を着ました。

子どもたちも買ってくれることもあり、自分でも衣類は買うので、最後の一枚が今日まで袖を通さずにありました、このところの熱波で洗濯が間に合わず、最後の一枚を着ることになってしまいました。

残しておいても仕方ないよ~って妻も笑ってくれるでしょう。
誰にも言えない気持ちを、ここに書かせてもらいます。

今日までありがとう。
これからも子どもたちを見守ってください。
大好きな妻へ。

トピック : シャツの買い置きが終わった(駄)
投稿者 : Mack
投稿日時 : 2013年7月11日 20:30

母にあいたい。。

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2013年7月11日 11:16
  • 家族

19歳の頃、癌で入院中のお母さんに泊り込みで付き添ってた。
その頃私は予備校に行っていた。
お母さんが

「看護婦さんになってほしい。」

って言ったから、一つくらい親孝行したくて、受かった短大諦めて、予備校行った。
理数系全然さっぱり苦手だったけど勉強して受かった。
でも入学の1ヶ月前に逝ってしまった。

お母さん、看護婦になって良かったと思ってるよ。
でもお母さんの看病がしたいよ。
あの頃は周りの友達がバイトや短大や、華やかに遊んでるようにみえて羨ましかった。
でも今は、できることならもう一回、お母さんの横に付き添いベッド並べて寝たいよ。
泣けてきたよ。
お母さん。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

お母さんに会いたいなー。

何でもいいからお母さんの作ったもの食べたい。
凝った料理じゃなくていいんだ。
茹でたとうきびでも枝豆いいよ。
茹でるのが面倒なら、りんご切ってくれるだけでもいい。

ただ切るだけや、茹でるだけのものでも、私が作るのとお母さんが作るのってなんか違うんだよね。

でも、父は里帰りした時に私が何か作ると

「お母さんと同じ味がする。」

とか

「同じ茹で加減。」

って言うんだ。
そうなのかな。
そうだと嬉しい。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

私の母は2年前に交通事故でなくなりました。
私には今1歳の息子がいます。
母が亡くなった3ヶ月後に生まれました。
産まれてくるのを楽しみにしていた母に初孫を見せてあげることのできなかった悔しさ、子育てを相談したい一番の人なのにできないはがゆさ、そんな気持ちが心の中にめぐっています。

ふとしたときに母を思い出して涙が出てくるときもあります。
母に会いたい、また一緒にショッピングに行きたい・・・。

「赤ちゃんの服も買いにいかないとね!」

その約束も叶わないまま突然いなくなった母。
花嫁姿を見せる事ができただけでも親孝行だったでしょうか?
それでも孫を抱っこさせてあげたかった。

頑張りやの母だったからきっと天国にいることでしょう
これからは、そこからゆっくりと見守っていてね。
私は母を尊敬しています、私の母のような母親になりたい。
今までも、これからだってずっと大好きだから・・・。
もうすぐ母の日、カーネーション忘れずにあげるからね。

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母が亡くなった当初はあちこちから白い花が送られてきて、花に罪は無いと知りながらも余計に哀しい気持ちになったけど、白いカーネーションの花言葉が「永遠の愛」と知って初めて白い花を母に捧げることが出来るようになった。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

母の日ですね。
寂しいけれど、思い出すね。

『母の日何送る?』

のスレを覗いてたら羨ましかったけど、子供の時初めてカーネーションを弟と2人であげた時、花瓶に生けていた母を思い出した。
うれし泣きだったのに、

(お小遣いを勝手に使って怒ったのか?)

と思い込み、謝ったのを、その後の

「違うよ、嬉しいから・・・。」

の母の笑顔。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

今朝洗濯物を干している時にふと

「もう私を特別なあだ名で呼んでくれる母はいないんだ。」

と思い出して悲しくなった。

去年の今頃は臨月でいつ子供が生まれるかわからない状態で何もプレゼントしてやれなかった。
母さん、私も母親になってもうすぐ一年になるよ。
私も母の日に白いカーネーションを買おう。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

母は10年前の母の日に

「私の娘でありがとう・・・。」

の言葉を最期に逝ってしまいました。
感謝の気持ちを伝える事も、親孝行も出来なかった・・・。
母の日が近づくとお母さんに会いたい症候群が沸点に・・・。
そんな私の気持ちを察するかのように夢に出てきたお母さん。
玄関の前で笑って立っていた。
家の中に入れようと手を引いたらとても冷たくて・・泣けてきた・・・。
目が覚めてもしばらく涙が止まらなかった。
まだ涙が残ってたんだなぁ・・・。

もうすぐ10回目の命日、

「私のお母さんでありがとう。」

の想いと共に、仏前に沢山のカーネーションを飾ろうと思います。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

母親になる時の痛み、辛さ、大変さにぶち当たる度、母の私への想いの深さを知る。

でも伝えられない。
伝えられない事が悔しい。
伝えたかったよ。

「お母さん、ありがとう。」

もうすぐ母の日だね。

見覚えのある母のメールアドレス

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2013年7月10日 11:35
  • 家族

高校生の駄文ですみません。

私が中3になって間もなく、母が肺がんであるという診断を受けたことを聞きました。
当時の自分はそれこそ受験や部活のことで頭が一杯で、生活は大丈夫なんだろうか、お金は大丈夫なんだろうかとかそんなことしか考えていませんでした。

5月、母は病院に入院しました。
たまに家にも帰ってきていたので、治るものだと思っていました。
そして夏が終わり、私は部活でやっていた水泳を引退しました。
部活がなくなったので当然時間も増えました。
それからほぼ毎日父に連れられてお見舞いにも行きましたが、

「早く帰りたい、勉強させろ。」

とばかり思っていました。

それから2ヶ月、入院してから半年で母は他界しました。
末期で手術を受ける体力もなかったそうです。
すぐそばで看取る事ができました。
その時は泣きましたが、ああ、こんなものかと思った自分がいました。
人が死ぬというのはなんて呆気ないものなのだろうと。

その後、元通りとは行かないものの、父と親族の支えでなんとか生活のリズムも取り戻して無事に目標としていた高校に入学することができました。
しかし県内でも割と進学校の部類だったので、すぐに落ちこぼれてしまいました。
中学では東北大会まで出場した水泳も受験休みでのスランプから抜け出せずにいました。

そして先日学年末のテストが終わり、家でPCをいじっていて、ふと昔使っていたフリーメールの受信ボックスにログインしてみようと思ったんです。
面白いスパムでも無いかと思って開いてみたら、案の定何百通というスパムメールが届いていました。

その中に見覚えのある母のメールアドレスがありました。

スパムメールにまぎれて何通も何通も。
開いてみると

「誕生日おめでとう。」

とか、

「東北大会出場おめでとう。」

と言ってくれているのもあれば、

「ちゃんとご飯食べた?」

とか、

「父のことを手伝ってあげてね。」

とかそんな内容のが何通もきていました。

泣きました。
泣いて、そして後悔しました。
なんで新しいメールアドレスを教えなかったのかと。
ありがとうって言えない。
母がいないっていうことと、母が死んだっていうことがイコールになったのはその時なんだと思います。

返信が一年以上も遅れてごめんなさい。
ありがとう。
大好きです。

母親の勘

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2013年7月 3日 10:59
  • 家族

俺の話、書いても良いですか?

俺は2年程前にうつ病にかかりました。
服薬もしたし、会社も休んだ。
でも全然良くならないんだよ。
食事も摂れないし眠れない。
苦しくて苦しくて仕方が無かったんだ。

ある夜、

「もう無理だ。」

って思って自殺をしようと決意した。
両親が寝静まってから持ってる限りの眠剤と酒、それと包丁。
眠剤飲んで、酒飲んで、首を切ってしまおうと思ったんだ。
2月の深夜3時頃だったと思う。

家族で過ごしたリビングで最後のタバコで1服して、

「さぁ、やるか。」

と思って。
遺書と預金通帳も用意した。
暗証番号のメモも置いといた。
少ないけれど貯金があるから。
葬儀費用とかはこれでまかなってもらおうと。

その時、母親の勘かなぁ、トイレでも無いのに母親が起きてきたんだよね、何故か。
俺の居たテーブルの前に座って。
置いてある眠剤とかを一瞥して。

何も言わなかったよね。
二人して。
それからどれ位経ったかなぁ・・・。
母親が自分の着てたハンテンを

「寒いだろ。」

って俺に着せようとするんだよね。

「もう子供じゃないんだから。」

って言ったら一言。

「年がいくつになろうと、アンタはアタシの子供だよ。世界にひとりしか居ない、アタシだけの子供だよ・・・。」

年甲斐も無く号泣したよ。
絶対うつ病、治そうと思ったよ。

私の家族は父、母、私、弟の四人家族。

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2013年7月 1日 23:05
  • 家族

私の家族は父、母、私、弟の四人家族。

弟がまだ六歳の時の話。
弟と私は十二才離れてる。
凄く可愛い弟。

だけど、遊びさかりだったし家に居れば父と母の取っ組み合いに巻き込まれる。
だからほとんど家には帰らない日々だった。
弟は毎日恐く淋しかっただろう。

ある日家に帰ったら、お酒ばかり飲んで人の顔を見れば殴る父が座って一冊のノートを見ながら泣いていた。
私もノートを覗き込んだんだ。
そしたらね父が急に

「ごめんな。」

って言うの。
よく見たら弟がまだ汚い字で物語を書いてた。

僕には楽しいパパ、優しいママ、いつも笑顔のお姉ちゃんがいる。
いつも皆でおいしいご飯を笑いながら食べる。
毎週日曜日は家族でお出かけをする。
僕は皆にいつもいい子されて幸せいっぱい。
毎日笑顔がいっぱい。

そんなような事が沢山書かれてた。
普通なら当たり前なのに私の家では出来ていなかった事が想像で沢山かかれてた。
紛れもなく弟の夢が描かれてた。
父と泣いて読んだ。
母がパートから帰ってきて母も読み泣いた。

その日の夜は揃って鍋をした。
弟は初めての体験。
凄い笑ってた。
父も母も私も照れながら笑った。
それから、少しづつ弟の物語は現実になった。
今では笑顔沢山の家族になりました。

弟の物語はあれ以来書かれなくなった。

うまれてきたこと

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2013年6月10日 11:37
  • 家族

私は右手に障害があります。

兄弟が二人いますが、彼らは生まれたときから幼児期の写真がたくさんあるのに私の写真はありませんでした。
両親に理由を聞くと、

「カメラが壊れていて撮れなかったの。」

と言っていました。

物心ついたときから私は自分の障害について認識をはじめ、他人への劣等感、最終的には自分が生まれてきたことへの恨み、そして両親への恨みへとつながっていきました。

小学校の頃は両親に

「右手は20歳くらいまでには治るかな??」

などと聞いていたりしたのですが、上のようなこともあり、

「何で俺は右手が使えないの?何で俺を生んだの?」

と不躾な、両親からしてみると非常にやりきれない文句をいっていたことを覚えています。

今、私は大学の卒業を控え、両親の私を育ててきた苦悩を多少なりとも知ることができます。

障害をもって生まれてきた私に衝撃を受けて生後しばらく自暴自棄になってしまった母親とそれを立ち直らせるために母親を殴った父親の悲しみ、写真が少ないのもしばらく私に愛情を注ぐことができなかったから、そのような背景があるからなんです。

でも、私の記憶にある両親は私にたくさんの愛情を注いでくれました。
幼い頃、寝るときいつも父に右手を握ってもらって寝てたことは忘れません。

「おまえの手が早く治るように。」

この父の願いは叶わない事は今ではわかります。
一生付き合っていかなければならない障害ですが、私がこの世に生を受けてきたこと、両親が頑張って育ててきてくれたこと、絶対恩返しします。

来春から就職。本当に頑張って働いて絶対に親孝行します。
パパ、おかあちゃん、長生きしてください。。

オカンの日記

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2013年6月 2日 19:04
  • 家族

泣ける話かわからんが・・・。

俺のオカンは左目が見えない。
なんか若い時に病気か怪我か何かで見えなくなったらしい。
聞きゃあ教えてくれると思うけど聞いたことはない。

幼稚園の頃に周りの園児に

「お前のオカンは目が見えん。」

とかで俺はのけ者にされていた。
今、思うとこの頃から自分はオカンのせいでこんな目にあっているとオカンを恨んでいた。
小学校低学年の頃、オカンと買い物に行くのが周りでは当たり前だったが俺は1度も行ったことがない。
オカンに行こうと言われても絶対に行かなかった。
中学の頃の授業参観や体育祭にも1度もオカンを呼ばなかった。
人と違う母親が何か恥ずかしくて・・・周りに馬鹿にされるんじゃないかと思って。

高校の進路相談の時も別々に学校に行き、別々に教室に入った。
オカンは教室がわからなくて廊下をウロウロしてたらしい。
まぁ俺みたいなDQNはもちろん大学には行けず、ニート決定。

こんなクソみたいな俺に文句1つ言わないオカンの理由がこの頃にわかった。

アホな俺は親の部屋で、親の通帳を探していた時、タンスの中から日記らしきノートと俺名義の通帳を見つけた。
日記の内容はオカンの日記だった。

自分がこんなんだから俺がイジメられてないか。
自分がこんなんだから絶対に俺のいる学校に行ってはダメ。
自分がこんなんだから俺が自分のことを嫌いなんじゃないか。
自分がこんなんだから俺の為に人1倍がんばらないと。

こんな感じのことがノート3冊くらい書いてあった。
オカンは俺じゃなくて自分を責めていた。
俺名義の通帳にはコツコツと貯められている結構な額があった。
俺は1円も貰う価値のない人間なのに。

どうしてあの時、一緒に買い物に行かなかったんだろう。
どうしてあの時、授業参観にオカンを連れていかなかったんだろう。
どうしてあの時、体育祭にオカンを連れていかなかったんだろう
どうしてあの時、あんな酷いことをゆったんだろう。
どうしてあの時、慰めてあげなかったんだろう。
どうしてこんなにオカンを不安な気持ちにさしてしまったんだろう。
どうして今までこんなに離れていたんだろう。

いろんな思いが溢れて来て俺は何年ぶりかわからないくらい久しぶりに泣いた。

俺はこの日、なぜか頭を丸めたのを覚えている・・・。

5年経った今は安月給だけど就職もしてなんとか働いている。
ヒマな日とかにはオカンと買い物にも行ったりしてる。
失った時間は大きすぎるけど、少しずつでも取り戻していきたい。
今まで支えてくれたように、今度は支えて行こうと思う。
遅いかもしれないけどこれからは俺がオカンの左目になろうと思う。

声を聞かせて下さい

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2013年5月31日 12:32
  • 家族

15年前の話です。

今でもそうだが人付き合いの苦手なオレは、会社を辞め一人で仕事を始めた。
車に工具を積み、出張で電気製品の修理や取付の仕事。

当時まだ携帯電話は高価で、俺は仕事の電話をポケベルに転送し、留守電を聞いてお客さんに連絡するという方法しか取れなかった。
生活さえギリギリだった。

ある日、母親が九州の実家から関東の俺の家まで訪ねてきた。
遠くから来た親をいたわることもせず、無愛想な俺、ホントにバカだ。
俺を心配し、掃除、洗濯、料理を作り山ほど食糧を置いて母は帰郷した。
バカ息子は見送りもしない。

仕事から帰宅した俺は母の手紙を見つけた。

「仕事頑張って下さい、少しですがこれで携帯電話でも買って声を聞かせて下さい。」

手紙にはお金が同封されていた。
手紙を手に俺は、わあわあ泣いた。

カメラやメールなんて出来ない。
メモリーも50件しか入らない初期の電話。
でもこの電話にどれだけ助けられただろう。
俺には最高の宝物。

母の日に電話を送った。
ちゃんとお礼をいわなければ。

「おかあさん どうもありがとう。」

と。

この子はママと少しでも一緒に居たくて耐えたんだろう

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2013年5月28日 10:52
  • 家族

私は実際なら、幼稚園児の母親をしてた。
でも、6ヶ月(人工中絶可能期間ギリギリ)の検診で、胎児が重い病を持ってることを知った。
それも性別や胎動が分かった瞬間だった。
初めての妊娠で、希望してた男の子だった。

「どんな病気であれ、私が育てる!!!」

なんて意気込んだけど、奇形やダウン症や内臓や脊髄すら作れない子だった・・・。
完全に周りからも反対されて、医者からも

「中絶してくれ。」

って。

「何で虐待する親は産めて、私が産めないんだ。」

なんて怨んだ。
結局泣く泣く、処置を受けることに決めた。
全部終わった後で医者に、

「こゆ障害を併発で持った子は、実際に流産や着床前に流れてしまう。でも、この子はママと少しでも一緒に居たくて耐えたんだろう。本当に強い男の子でしたね。」

それ言われた時、命の尊さとか生命力とか身に染みた。
こんな世間知らずな人間でも、母親として選んでくれたこと、一緒に居たいと頑張って生きてくれたこと、ママになる喜びを与えてくれたこと、全てに感謝してる。
今でも私は、親孝行で強い最高な息子を身篭れたって誇りに思う。

少しでも、虐待や中絶が減りますように。

一人暮らしになる不安からか

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2013年5月24日 12:30
  • 家族

長いけど実話です。

ちょっとした事で母とケンカした。

3月に高校を卒業し、晴れて4月から専門学生となる私は、一人暮らしになる不安からかここ最近ずっとピリピリしていた。

「そんなんで本当に一人暮らしなんて出来るの?あんたいっつも寝てばっかで・・・ゴミ出す曜日は確認した?朝は起きられるの?火事だけには気をつけてよね?」

事あるごとに聞かされる母の言葉にうんざりして、ついに今日

「あぁー!もぉーうるさいなあ!!自分で決めたことなんだから大丈夫だって!!わざわざ不安を煽るような事は言わないでよ!!すこしは私の気持ちも考えて!最初っから上手くいくわけないでしょお!?自分の娘ならちょっとくらい応援してくれたっていいじゃん!!!」

と自分でもビックリするぐらい大声で母に怒鳴ってしまった。
はっとして

「やばい!怒られる」

と思ったが母は何も言わず、悲しいような怒っているようなどこか複雑な顔をしてそのまま車に乗って行ってしまった。
いつもと違う母の様子に少し戸惑ったが、特に止めもせず、イライラしながらもテレビや携帯を見て一人で適当に時間を潰した。

夕方をすぎても夜になっても母は帰って来なかった。
遅い。
遅すぎる。

(まさか事故にでもあったのか・・・?冗談じゃない。それだったら病院から電話があるはず・・・。)

なんて考えていたら外で母の車のエンジンの音が聞こえた。

「ただいまー。」

いつも通りの母の声にほっとした反面、なんでこんな帰りが遅いのか問いただそうとした瞬間、目の前にやたらと大きな薬局の袋が置かれた。

「何これ?」

と母に聞くと、重たそうなその袋を見ながら

「あんたの薬。一人暮らしするとき薬がなかったら大変でしょう。とりあえず一通りあったもの買ってきたから。あんたはすぐ体調崩すからねぇ。」

頭痛薬、咳止め、湿布や包帯、口内炎の薬、のど飴など袋の中にはありとあらゆる種類の薬が入っていた。

「こんなにたくさん・・・。」

驚いてもうそれしか言えなかった。
こんな時間まで私のために母は・・・。

「一人暮らしかぁー。見送ってやらなきゃいけないのにねぇ。お母さん心配でね、すごく寂しいのよ。風邪引いた時とか本当はお母さんがそばにいてあげたいんだけどねぇ。」

もうそれ聞いて涙が溢れて溢れて、自分の不甲斐なさと母への申し訳なさで顔あげられなかった。
薬だって決して安いもんじゃないのに。
自分の娘を応援しない母親なんて居るはずないのに、なんで気づいてあげられなかったんだろう。
もっと応援しろだなんて・・・。
一番私のことを思ってくれて支えてくれたのは他でもなくお母さんなんだよね。
分からず屋でゴメン。
いつもいつもいつもいつもありがとう。

その後、遅めの晩御飯を母と一緒に食べました。
残り少ない母の味をもっと大切にして行こうと思います。

読み辛い長文失礼致しました。

保育園に通ってるわが子

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2013年5月22日 07:59
  • 家族

保育園に通ってるわが子。
1歳5ヶ月。
年上の御子のまねばかりして悪戯し放題、何を言っても『イヤイヤ』。
正直うつ状態カモ。

寝つき時もコロコロ転がってやっと寝付いたところで後片付け、明日の用意。
終わったので様子を伺うと目が合ってとりあえず微笑んだらわが子もニコリ。
起き上がってギュッと抱きしめられた。
ちょうどわたしが脱ぎ捨てていたウインドブレイカーを見つけて一生懸命に着ようとしていた。
いつもならそれを手伝おうものなら怒るわが子だがそのときだけは嬉しそうに着れるのを見ていた。
その上着を触ってはわたしを指を指し

『ママ、ママ。』

と優しい声で話していた。
久しぶりにわたしも顔がほころんだ。

お茶を飲ませて寝付かせようと上着を脱がせようとしたら悲しそうな顔をしていたのに気がついた。
日中保育園での生活が長くても親の着ているものに触れていたいと思ってくれるわが子に感謝した。
涙した。
いろんなことを覚えて実行するのも成長の証だと反省した。

だから今夜は布団代わりに上着をそのまま着させてあげようと思う。
大変な分学ぶことは多いと痛感した一日だった。

大好きなお母さん

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2013年5月18日 18:13
  • 家族

私の一番好きなお母さんが私の前から消えた・・・。

幼稚園の送迎も参観も、私だけお父さんで・・・ある時は、おばあちゃんだった。
参観の日、私が

「なんで来てくれへんだん。」

と怒ると、

「ごめんね、ごめんね。」

ってずっといってて、友達はお母さんだから羨ましくて、劣等感を感じて、私は泣いたのを覚えている。

小学校に入るころは、入退院繰り返してて、やっぱり参観や運動会や、いろんな事には来てくれなかった。
無理に呼んだ時は、途中でお母さんが帰ってしまって・・・文通も途切れて、とうとう、今は行方不明。
というか、私が知らない
怖くて、聞けない。

もしお母さんが、死んでたら、とか、もう会えないって分かったら、とか、いっぱいいっぱい怖くて、聞けない。
曖昧な記憶と真実の怖さに、私は辛くて。
涙腺が壊れる程、涙が尽きる程、泣きじゃくった。

今、分かることは、お母さんは精神病で、鬱で、対人恐怖症で・・・私は、知らず知らずにお母さんを無理させてて、

(お母さんを傷つけてたんや・・・。)

そう考えてしまう。

私の大好きなお母さん、今はどこにいるんだろう、もう一度でいいから、貴方に会いたい。
もう一度でいいから、貴方に抱き締めてほしい。

悔やみと母の愛情の恋しさが交差して、胸が苦しい。

誇らしい父親

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2013年5月14日 01:13
  • 家族

俺の親父は、小学校の卒業式にも中学の入学式も卒業式も、高校のだって来なかった。
反抗期の俺を怒ることもないし、どんなに頑張っても褒めてもくれなかった。
部活のレギュラーになった時も。
表彰された時も。

それでも俺が小2の頃に、子供守って殉職した警官の親父は今でも俺の誇りなんだよ。

母の文集

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2013年5月12日 19:52
  • 家族

私の部屋(生まれる前は応接室だった)にずっと母の本棚がある。
母が集めている推理小説とか過去にもらった本とかがたくさん入ってて、私は特に本棚の中を開けてみたり触ったりもしなかった。
数年前、ちょっと捜し物をしていて母の本棚を探っていたら「○○小学校」と書かれた母の母校の小学校の古い文集があるのが目に止まった。

好奇心だけで

「どんなくだらないこと書いてたのかな~♪」

って読んでみたら他の子(母の同級生)は家族で旅行をして楽しかったとか、遠足でみんなで遊んだ思い出とかを書いているのに対して、母の作文だけタイトルが「おとうさんの入院」だった。
読むのをためらうタイトルだったけど読んでみると

「私のお父さんが入院しました。」

から始まって小学生の子供が書いたとは思えないほどの深刻な内容がそこに・・・。
読み終わる頃には涙が止まりませんでした。
おじいちゃん(母の父)は病気で母が高校生の時に亡くなったんだけど、とても苦労したんだなぁと思った。
私は父と仲が悪くケンカばかりしてて母が

「お父さんになんてこと言うの!お父さんを大切にしなさい。」

と言うことの意味がその時やっとわかりました。
気づくのが遅かったかもしれないけど、これからも両親を大切にしていきたいと思う。

小さい頃に撮った家族写真

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2013年5月 7日 13:35
  • 家族

俺が小さい頃に撮った家族写真が一枚ある。
見た目普通の写真なんだけど、実はその時父が難病(失念)を宣告されていて、それほど持たないだろうと言われ、入院前に今生最後の写真はせめて家族と・・・と撮った写真らしかった。
俺と妹はまだそれを理解できずに無邪気に笑って写っているんだが、母と祖父、祖母は心なしか固いというか思い詰めた表情で写っている。
当の父はというと、どっしりと腹をくくったと言う感じで、とても穏やかな表情だった。

母がその写真を病床の父に持って行ったんだが、その写真を見せられた父は特に興味も示さない様子で

「その辺に置いといてくれ、気が向いたら見るから。」

とぶっきらぼうだったらしい。
母も、それが父にとって最後の写真と言う事で、見たがらないものをあまり無理強いするのもよくないと思って、そのままベッドのそばに適当にしまっておいた。

しばらくして父が逝き、病院から荷物を引き揚げる時に改めて見つけたその写真は、まるで大昔からあったようなボロボロさで、家族が写っている部分には父の指紋がびっしり付いていた。

普段もとても物静かで、宣告された時も見た目普段と変わらずに平常だった父だが、人目のない時、病床でこの写真をどういう気持ちで見ていたんだろうか。

今、お盆になるとその写真を見ながら父の思い出話に華が咲く。
祖父、祖母、母、妹、俺・・・。

その写真の裏側には、もう文字もあまり書けない状態で一生懸命書いたのだろう崩れた文字ながら、

「本当にありがとう」

とサインペンで書いてあった。

俺がぶん殴ってやるよ

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2013年4月25日 12:10
  • 家族

田舎の祖母が入院してるので実家に数日戻ってきた。
祖母はあんまり長くないらしい。

祖父母は九州に住んでて祖父は完全に頑固一徹の昔ながらの親父って感じ。
男子厨房に入らずを徹底して、晩酌は日本酒(必ず熱燗)・ビール・ワインをその日の料理と気分で飲み分ける。
当然、すべて祖母が準備。

熱燗がちょっとでもぬるいと、口を一度つけたあと

「ぬるい。」

と一言だけ言い、無言で祖母に温めなおすよう指示。
祖母は

「すみません。」

と言いその熱燗をもって台所にいき、温めなおす。
祖父は祖母を怒鳴りつけるということはなかったが、とにかく一貫してそんな態度だった。
小さい頃からこまごまとよく働く祖母を呼びつけて

「茶。」

だの

「新聞とってこい。」

だの召使のように扱う祖父をみて、なんだか理不尽なものを感じていた。
その反動か俺は小さい頃から母親の手伝いをよくやったし、今も家事を積極的に手伝うようにしている。

その祖母が先月いきなり倒れたらしい。
検査の結果癌発見。
しかももう手遅れで、手術して無駄に体力奪うよりこのまま・・・という方針に決まった。

で、GW中は仕事が忙しかったので、連休明けて仕事一段落して長めの休暇もらっていってきたんだが、実家帰ってびっくりしたのが、祖父が連日祖母の病院に朝からいっているらしい。
ほとんど一日病室で二人で過ごしているそうだ。
病院にいったら祖父はいなかったが、しばらくしたら祖父が帰ってきて、その手には売店で買ってきたらしきプリン。
祖母が食欲が落ちてきたので食べやすいものを、と思って買ってきたらしい。
見ていると祖父が良く動く。
鞄から祖母の着替えを出したり、ちょっとした買い物やなんやと。

俺がそろそろ帰ろうかとしていると、祖父がいきなり

「そうだ。せっかくだから写真を撮ろう。」

といいだした。
祖母が

「こんな痩せてガリガリの写真なんて撮らないでください。葬式には若い綺麗なころの写真を使ってくださいね。」

と冗談めかしていうと祖父は

「病人だし飯も食わんのだからガリガリなのは当然だ。今のお前が綺麗じゃないという奴がいたら俺がぶん殴ってやるよ。」

と。
祖母は

「まぁまぁ・・。」

なんて笑ってたけど、ちょっと泣いてたんだよな。
なんだかんだ言いながらこの二人は夫婦なんだなぁと思ったよ。

母さん、ありがとう

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2013年4月22日 17:32
  • 家族

俺に言わせてください。
ありがとうって言いたいです。
いつも毒男板に来ては煽ってばかりいた性格の悪さを省みています。
きっと俺に罰が当たったんだ。
悪性リンパ腫って・・・手遅れって・・・。

母さん、マジでありがとう。
ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。
ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。
ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。
ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。

生んでくれてありがとう。
こんな俺でも生んでくれてありがとう。
愛情を注いでくれてありがとう。
沢山笑ってくれてありがとう。
一緒にへこんでくれてありがとう。
一緒に泣いてくれてありがとう。

あなたは最高の母親です。
オヤジも鼻が高いさ。
いっぱい泣きたい。
あと一ヵ月後にはあなたのいない暮らし。
俺が芋ようかん買ってきたくらいで、病院のベッドではしゃがないでよ。
顔をくしゃくしゃにして喜ばないで。
そして食べながら泣かないで・・・。

母さんが喜ぶなら、芋ようかんずっとずっと買ってくるよ。
母さんがいなくなっても、ずっとずっと母さんの為に喜ぶ事をするよ。
母さん、ありがとう。
ありがとう。
ありがとう。
ありがとう。

すいません。
今まで泣いてました・・・。
厚かましいけど、書かせてくれ。
お願いします、書かせて下さい・・・。

最近はずっと起きてる。
なるべく寝ないようにしてる。
寝ても二、三時間くらい。
後、俺の家族に残された一ヶ月って時間を、出来るだけ記憶に留めておきたかったんだ。
寝てしまうその時間すらも惜しいんだよ。

俺に何か出来ないか、俺に何か出来ないか、そればっか考えてる。
残念な事に、俺には何も出来ないんだよ。
病気の進行は容赦ない。
母さんをすぐに蝕んでいくんだ。
薬の副作用で母さんの顔がむくんで、髪がボロボロ抜け落ちていった時に、

「アハハ、お母さんブサイクになっちゃったわねぇ~!!」

って、母さんは元気いっぱいに俺に言ったんだ。

俺が病室を出ると、母さんの泣き声が漏れてきた。
俺は病院の廊下で恥ずかしながら泣いたよ。
俺の前では元気いっぱいに振舞っていたのは親心なんだって気付いたよ。
母さん、俺バカでごめん。

だから、俺が出来る事って稚拙だけど、母さんの好きな芋ようかんを買っていってやったんだよ。
俺はたまに買って行ってやるんだ。
母さんが病気になる前から、給料入ったらお土産で買ってくのね。
はしゃいで、顔をくしゃくしゃにして喜んで・・・食べながら泣いて・・・。

日常ってとても素晴らしいものだね。
些細なことでもキラキラしている。
芋ようかんですら愛しくて、ありがたくて、涙が出てしまうくらいのものだよ。

俺はきっとこれから、いつもの芋ようかんを買う和菓子屋を通る度にその日常を思い出して、泣いて、

「ありがとう。」

って感謝するんだろうね。
本当は眩しいくらいのものなんだよ、日常って。
絶対に家族ってとてもとても眩しいものなんだよ。

だから、恥ずかしくても自分の家族にありがとうって言ってやってくれ。
暖かくてキラキラしててかけがえのないもの。
俺の中では永遠に生き続けるもの。
母さんありがとう。

もうだめぽ。
スクリーン半分涙で見えねぇよ。。。

今は家に取りに来なきゃいけないものがあって帰ってきた。
急いでるのにウケるよね。
2chに書き込んでる暇があるならさっさと病院行けって感じだろうね。
病院行きたくないんです。
母さん、死んじゃった。

朝死ぬことねぇだろ・・・本当に母さんらしいね。
ほんっと、人騒がせな親だよなァ。
ねぇ、母さん。死んだら芋ようかん食えないよ?
死んだら、買って行ってあげないよ?
死んだら食べれないんだよ?
本当に急すぎて、ネタだと思われるだろ?
人騒がせだなァ・・・。
母さん、ムカついてるでしょ?
医者にはあと一ヶ月って言われてたのにね。
一ヶ月、芋ようかん食べれたのにね。
俺も買って行ってあげたのにね。

何でだよ、棺おけに芋ようかん入れたくないよ。

買って行くから、また食べてよ。
また笑ってよ。
また俺の名前呼んでよ。

最初って涙なんか出なかった。
親戚や友達に連絡して、それはもう事務的にお通夜とかの準備をしなければいけなくて。
涙を流す暇がないっていうのかな。
オヤジも姉ちゃんも、同じように忙しくて悲しみにひたる余裕はないって感じでした。
忙しさに追われたから、俺は今日の一日を冷静でいれたのかも。
一度、家に帰ってくる時に三人で夕飯食べたんだ。ハンバーグ食べた。
オヤジが、

「うまくないなぁ・・・か・・・。」

って、言葉詰まらせてイキナリ泣き出したんだ。
子供みたいに。

俺はすぐ分かった。
その、

「か・・・。」

の後に続けようとした言葉がすぐに分かった。
オヤジと母さんはよく食べ歩きが好きで、うまい店があると家族サービスとかいってはよく連れて行ってくれてたんだよ、俺と姉ちゃんを。

オヤジは

「うまくないなぁ、母さん。」

って、いつもの癖でついつい言ってしまうところだったんだろうね。
俺は黙ってた。
姉ちゃんも黙ってた。
俺は泣かなかった。
泣けなかった。
黙って食べてた。
何かしゃべったら俺も崩れてた。

今日の夕方もむしむしと暑くて、地元のスーパーはいつも通りにぎわっててさ・・・思わず寄ったよ。
特売のトウモロコシと枝豆売り場には主婦が沢山いてね。
その中に母さんいるんじゃないかって、バカげた子供みたいな考えに変な期待持っちゃって。

「アツシ、トウモロコシ買ってきたから茹でてあげるからね~ッ!」

って、一昨年の夏みたいに、笑う母さんの顔が見たかった。
こんなクソ暑い夏に、リビングで寝っ転がりながらトウモロコシを食う俺の行儀悪さをうるさく言う母さんの声が聞きたかった。

ああいうのを本当は小さな幸せって言うんだろうね。
けど、小さすぎて当たり前すぎて見えないんだよ。
いなくなってしまってから初めて分かるんだ。
それがビー球みたいにいろんな色があって綺麗で素朴でキラキラしてるって分かるんだよ、きっと。

あの人浮気してるよ、相手はお父さんと同じ部署の人

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2013年4月12日 12:02
  • 家族

741 名前:名無しさんといつまでも一緒[sage] 投稿日:2011/05/20(金) 14:06:44.12 0
離婚が終わった話はここでいいのかな?
もしよければ間抜けな40おっさんの話を聞いてくれないかな。

742 名前:名無しさんといつまでも一緒[sage] 投稿日:2011/05/20(金) 14:14:26.77 0
聞かせてくれ。

743 名前:741[sage] 投稿日:2011/05/20(金) 14:27:35.78 0
>>742さん
ありがとう。
終わったばかりなのでとりとめも無い文章になるかもしれませんが宜しくお願いします。

私 40歳 管理職 年収1200万ほど
元妻 40歳 専業主婦
子供 長女17歳 長男7歳

私達は18歳より恋愛しており、就職し軌道に乗ったところでプロポーズ、長女を授かりました。

その後元嫁は育児等に追われレスが続いており、私も子供はもう諦めていたのですが、長女が10歳の頃に元嫁が激しく行為を迫り、長男を授かりました。

私は喜び、家事育児、家族サービスも過不足なくやっていたつもりでした。
しかし長男が3歳になったあたりから元嫁の長女に対する態度がひどくなり、まるでかまってやらないのです。

お恥ずかしい話ですが、長女の初潮を迎えた時ですら元嫁は煩わしいとばかりな態度をしておりました。

思えばこの時しっかりと調べればよかったのですが、元嫁とは口論になるばかり、両親を亡くしていたため部下の女性に恥を忍んで教授いただき乗り越えました。

不倫なぞ疑いもせず、私に何か不満があるのか来る日も来る日も悩みました。

745 名前:741[sage] 投稿日:2011/05/20(金) 14:39:01.00 0
そんな家庭で長女が元嫁をよく思うはずもありません。
次第に長女は私としか会話せず(長男との会話もありませんでした)、情けない私はなんとか家族を繋ぎとめようともがいておりました。

ですが長男も私と会話することを望まず、家族を守る為に仕事に時間を費やしすぎた己の馬鹿さ加減を呪いました。

昨年のことです。
突然娘が私に

「大事な話があるので、1日家族に秘密で休みを取って欲しい。」

と頼んできました。

家庭での会話もほぼ娘としかなく、私は離婚するべきと娘に言われるのか・・・等と考えつつすぐに了承しました。

2010年6月のことでした。

普通に家を出て、返ってくることの無い行ってきますに慣れた私に娘が告げたのは、親としてとても恥ずかしく、また言わせてはならない言葉でした。

「あの人(娘はもう元嫁を母とは呼んでおりません)浮気してるよ、相手はお父さんと同じ部署の人。」

目の前が真っ白になりました。
私の腹心とも言うべき男が元嫁と関係があるというのです。

情けない私は

(何かの間違いではないか?どうして唐突にそんな話が娘からでるんだ!?)

などとうろたえてしまいました。

しかし目の前で娘は泣いているのです。

「お父さんを馬鹿にして嘲笑っているあの人たちが許せない。」

と言うのです。

747 名前:741[sage] 投稿日:2011/05/20(金) 14:49:06.30 0
私は娘の勘違いであってほしいと思いつつ、興信所を利用させていただくことにしました。
職務上そういった方面に繋がりがあるため、会社で使っているところに個人的に頼みました。

期限は1ヶ月、土日祝日を除く平日を全て頼みました。
金額がとてつもないことになる、怪しい曜日などはないのか?
と言われましたが構わずお願いしました。
ただ部下とならば職場でほぼ毎日会うので、時間だけは退社後の17時以降でお願いしました。

結果、真っ黒でした。
今まで元嫁が友達と遊ぶ、泊まりに行く、等と行って出かけた日は、必ず部下とデートをしていたのです。

興信所が1月かけて調べた調査報告書を受け取り、私はもう笑うことしか出来ませんでした。

(そして何故娘が気がついたのだろう?)

と思い聞いてみたのですが、

「3月に私が出張で飛び回っている間に、元嫁が部下を我が家に招きいれているところを目撃したから。」

と言われました。

言葉を濁しておりましたが恐らく行為もあったのでしょう。
私は人生で初めて人を殺したいと思いました。

748 名前:741[sage] 投稿日:2011/05/20(金) 15:06:20.86 0
懇意の弁護士に相談し、私は報復を決意しました。

しかしただ金だけで解決させるのがどうにも我慢なりませんでした。
きっと部下は私を陰で嘲笑っていたことでしょう。

考え抜いた挙句、私は

(部下と元嫁を結婚させていまえばいいのだ。)

と考えました。
部下には妻子がおりますが、そこまで好き合っているのなら奥様も可哀想だろうと。
そうすれば私はもう元嫁を見なくて済むし、部下は会社に居られなくなるだろうと。
私はもう子供のことだけを考えて生きればいい、仕事などどうでもいいと。

まず私は部下(以下A)の奥様に事の次第を伝え、恥を忍んで協力していただきたいと頼みました。
弁護士費用は私が出す、どうか助けて欲しいと頭を下げました。
奥様は直属の上司の妻と関係を持つなんて・・・と泣いておられました。

私達はAの奥様のご両親と話をつけ、全員で浮気現場に踏み込み離婚に踏み切るべく話を進めました。

749 名前:741[sage] 投稿日:2011/05/20(金) 15:22:03.96 0
そして忘れもしない8月24日、私達は高速道路のすぐ近くのホテルで密会した直後の2人を強襲しました。

私達の顔を確認した2人は狂ったかと思えるほどの形相で、また叫んでおりました。

そして私の自宅へ連行、車中で何かひたすら言い訳をしておりましたが今更何を言いたいのか。
私は興信所に頼んだ証拠を見せ、離婚と慰謝料請求、Aの奥様も不貞行為を理由に同様。
要求額は私は元嫁に対し600万、Aに対し1000万。
Aの奥様は元嫁に300万、Aに1000万。

こんな金額当然裁判になれば認められるはずがありません。
Aは

「無理です。」

と泣いて土下座しておりました。

そこで我々は、親権は放棄することに同意すること、両者が可能な限り早く再婚することに同意すれば600万で納得し裁判は起こさないと妥協案を与えました。

しかし2人とも

「離婚はしたくない、過ちだった、許してくれ。」

と泣いてすがるのです。

私にはまったく理解不能です。
なぜ好きな者同士なのにお互いがそんな考えなのか。

「心は貴方にあります、体だけだった。」

というのです。
Aも同じです。

流石にA奥様のご両親がお怒りになり、世迷言はやめたのですが、それでも

「離婚だけは・・・離婚だけは・・・。」

と泣くのです。

何も信じられないとはこういうことを言うのでしょうか、愛があるのならば・・・と諦めていたのに彼らは愛が無いという、私は元嫁が信じられなくなりました。

「何年続いてるんだ?」

と聞くと二人とも石を呑んだような表情で言葉を濁します。
そこで私はふと長男の事を考えました。
あの子が生まれてから長女はやっかいもの扱い、そもそもあの時レスだったのになぜあんなに求められたのだろうか・・・。

「まさかAの子供ではないだろうか?」

と。

752 名前:741[sage] 投稿日:2011/05/20(金) 15:34:13.79 0
まさかと思い、

「長男のDNA鑑定をするがいいな?」

と問うと元嫁は発狂したような状態になり、

「あの子は貴方の子です!いいがかりはやめて!」

と叫びだしました。
失敗しました。
まさかこんな大きな声を出すとは思わず我が家に連行しましたが、聞こえているかもしれないと。

案の定娘は聞こえていたようでした。
聞きつけるや部屋に入り

「この汚物が!」

と散々に罵倒しました。
その声で長男までも降りてきてしまいました。
私は最低の父親です。

1人からは罵倒され、1人はわけがわからない目で自分を見つめ、元嫁は気をおかしくしてしまいました。
Aは逃げ切れないと悟ったのか、

「お子さんだけはどうか、どうか・・・。」

と泣きながら退出を懇願しました。

もうどう足掻いても誰も幸せになれない。
私は元嫁の実家に連絡し、

「とにかくすぐに来てくれ、離婚の危機だ。」

と訴えました。

義父母は20分ほどで到着。
とりあえず長男と嫁のことを頼み実家に預かってもらうことになりました。
真相を伝えた時のお父様のお顔が今でも忘れられません・・・。
今でももっとやり方があったのに、私の短慮で・・・と悔やまない日はありません。

Aの話ではもう関係は10年になるとのことでした。
何も知らず、知ろうともしなかった私はさぞかし滑稽であったでしょう。

最初は悩みを聞きあうだけでした。
悪いとは思いつつ関係が続いてしまいました。

「申し訳ありません。」

と、ただただ泣いておりました。

754 名前:741[sage] 投稿日:2011/05/20(金) 15:50:42.27 0
こんなことになるとは、としか思えませんでした。
しかしこの疑惑は抱えて生きていくにはあまりにも重過ぎるものでした。

その日はもうどうにもならなくなり解散、後日弁護士を入れて話をしようということになりました。
Aの奥様とご両親の私への同情の眼差しに私のちっぽけな矜持はズタズタでした。

私は次の日、会社に妻の急病でどうしても4日間ほど休みがほしいと願い出、会社側も快く承諾してくださいましたので昼まで何をするわけでもなく居間におりました。

いつの間にか台所に娘が居ました。
娘は精一杯私に笑いかけてくれ、

「一緒にご飯を食べよう。」

と言ってくれました。

40年間生きてきて、あれほど泣いたのとあれほど自分という存在を疎ましく思ったことはありませんでした。
17歳の娘の胸の中で40のおっさんが号泣するとは。

しかし抑えきれませんでした。

泣き止むと私は、娘に土下座をし謝りました。

「こんな人の気持ちもわからない至らない男の娘ですまない、あんな至らない女のせいでお前の人生に癒しきれない傷を与えてすまない。」

と。
でも娘は言うのです、

「家族を守る為にいつも一生懸命なお父さんが悪いなら私の気持ちはどこにも行き場がなくなっちゃうよ。」

と。

娘を何度傷つければわかるのでしょうか、私は。
ボロボロと2人で泣きながらこんな事なら死にたい、どうしてこんな事になっちゃったんだと、きっと私が全て悪いんだろうと馬鹿みたいに繰り返していました。

758 名前:741[sage] 投稿日:2011/05/20(金) 16:08:07.76 0
娘は私に

「DNA鑑定をしよう、もう全部終わらないと私たちはどこにも行けない。」

と訴えてきました。
腑抜けてばかりの親でしたが、私はここでも最愛の娘に背中を押してもらえました。

まず弁護士先生に相談しました。
DNA鑑定というのは私的なものと公式なものがあるそうで、まずツテを頼って公式なDNA鑑定をすることにしました。

部下のDNAを提出してもらい、元嫁は壊れたままですが義両親に断って元嫁のものも提出、会社への真相の報告と虚偽の内容の有給申請の謝罪、降格ないし解雇も覚悟した進退伺いの提出、
やることは少なくありませんでした。

ですが一つだけ、進退伺いは社長が目の前で破り捨ててくださいました。

「腹心に裏切られたお前をどうして切れるか、お前は入社した時から俺の弟、俺の息子だからそんな悲しいことはしないでくれ。」

と。
会社で初めて泣きました。
人っていうのはなんて暖かいんでしょうか。
人事に長く居て本当によかった。
会社もまた人だと、改めて自分の仕事に誇りをもてました。

Aは会社に来れませんでした。
私は社会人としての責任を果たしてほしかった・・・。
彼は私の元嫁も捨て、自らの妻を裏切り、仕事の信頼も裏切りどこに行こうというのでしょうか・・・。

761 名前:741[sage] 投稿日:2011/05/20(金) 16:24:00.11 0
暫くしてDNA鑑定の結果がでました。
私が親の確立は0%だそうでした。

腰が抜けました。
こういうのを崩れ落ちるように倒れるっていうのかな?等と胡乱なことを考えながら。

私はこの先、何があってもどんな事でも娘に伝えると約束しました。
この事実、伝えるべきではないと思いました。

しかし、私は何度も愚かな考えで娘を傷つけています。
フラッシュバックというのでしょうか?

何かに悩むと幸せな時間が目の前に出てくるのです。
私は保身の為に娘を裏切るのか、自分だけ楽になってまた安易な方向に逃げるのかと1日悩みました。

悩んだ挙句、また娘のことも考えずに突撃してしまいました。
後で気がついたのですが早朝の4時に。
この自分本位にどうして私は気がつけないのでしょうか・・・。

娘は寝ないで私を待ってくれていました。
顔を見ただけで

「ダメだったかぁ・・・。」

と悲しい笑顔を向けてくれました。
何故だ、どうして、そんなことしか考え付かない、出てこない私を娘は抱きしめてくれました。

「2人になっちゃったねぇ、どーしようか?お父さん稼ぎがいいからもうお金貯めるだけ貯めて海外で生きていこっか。」

娘もまた、壊れかけていました。
私は壊れていました。
娘の為に生きると決めました、俺の決意は何て脆いんでしょうか・・・。

762 名前:741[sage] 投稿日:2011/05/20(金) 16:39:28.84 0
私は今回選択を人任せにしすぎていました。
情けない、しかし脆い決意でも私は娘をもう失望させてはいけないと奮い立ちました。

そして皆様に多大なお叱りをいただくであろう考えを持ちました。
長男はもう私の子ではない、と暗い考えが頭をよぎります。
あの子がいなければ娘はあんな扱いを受けなかったと。

私の7年はなんだったのだと。
好き合ってるのならば私と別れてAと結婚し、自分の子だと認知すればいいではないかと。
私にまったく懐いてくれなかったのは私が他人だと知ってたからじゃないか?と。

そんなわけがない、でももう元嫁関係者は誰一人人としての心がないんじゃないかと。
眠る時になんで幸せだった情景を思い出して耐え切れずに奇声をあげたり壁を殴ったりしなきゃいけないんだと。

悩んだ挙句娘に伝えました。
これから本当に2人だけの家族になろうか、と。

私の両親はすでにおりません、自分がいかに卑怯な踏み絵を迫っていたか私はまったく気がついていませんでした。
肉親を捨てる、そんなものを選ばせた私こそが鬼畜でしょう。

娘は笑って、

「さっき2人になっちゃったって言ったじゃん、何度も言わなくていいよ。」

と笑われました。

覚悟ができてないのは私だったのか・・・。
私は死ぬまでこのことを恥じて生きていかなければならないとおもっております。

763 名前:741[sage] 投稿日:2011/05/20(金) 16:52:05.61 0
翌日、私はAとAの奥さん(以下細君)を元嫁実家に呼びました、大事な話があると。

長男は流石に同席させられませんでした。
元嫁は精神の均衡がどうなっているかわかりませんが、覚悟して同席を頼んだら以外にも承諾されました。

DNA検査の結果の事、今までの経緯を考えれば私たち親子はもう元嫁、長男を家族とは見れない事、Aに対しては籍を抜くので私生児にしないために認知をすること、細君に関してはこのようなことになり申し訳なかったこと。

細君への謝罪以外はなるべく感情が入らないように話しました。
顔を上げると皆悲しみ、憤りに塗れていました。

このようなおっさんの言葉なぞ届かないかもしれません。
今不倫なさっている方はご覧になられないかもしれません。
しかしこれだけは言わせてください。

誰か、幸福になったのでしょうか?この不倫というものは。
元嫁が言うには、相手が好きなんじゃない、不倫が楽しいんだそうです。
変な興奮剤でもでてるんじゃないかってくらい楽しいそうです。

きっと、

「されたお前に魅力が無いんだよ。負け惜しみ言ってるわー。」

と思われる方もいらっしゃるでしょう。
勿論そのとおりかもしれませんが、思いとどまってください、やり直してください。

もう、子供を泣かす事は、伴侶を泣かせる事はしないでください。
このおっさんのお願いです、どうか、どうかお願いします。

765 名前:741[sage] 投稿日:2011/05/20(金) 17:04:39.68 0
元嫁は泣いていました。
儀両親も泣いていました。
細君は怒りのぶつけどころを探して、私をずっと叩いていました。
Aは

「終わりだ、俺はもう終わりだ。」

と壊れたラジオのようでした。

「違う、終わりなのは私だ!」

と叫びたかったけど私には娘がいました。
もしかしたら私が一番幸せなのかもしれません。

義務的に交渉は全て弁護士先生を通してくれと頼みました。
元嫁とAには、

「子供も居るしこれで2人でやり直せ、奥様に償いをしてな。」

と伝えました。

細君には・・・

「本当に申し訳ないことをしました。私に出来る償いがあればどんなことでも言ってください。」

と伝えました。
細君に

「一番の被害者が一番損をして、じゃあ私はどうしろっていうの!」

と掴みかかられました・・・。
あの人が望む最良とはなんだったのでしょうか。
子供のことさえなければ私たちは再婚させて慰謝料貰って、それで終われたんでしょうか・・・わかりません。

766 名前:名無しさんといつまでも一緒[sage] 投稿日:2011/05/20(金) 17:06:26.92 0
Aさんちは小梨なの?

>>766さん
お子さんいます。

769 名前:741[sage] 投稿日:2011/05/20(金) 17:20:37.35 0
娘の親権については私はまったく心配しておりませんでした。
これは必ず勝てると。
争うわけが無いんですけどね。

慰謝料についてですが、私はAの細君と冷静に話し合った結果、元嫁には財産分与無し、7年間他人の息子を偽って育てた不貞行為について別途相談。

Aについては懲戒解雇処分が下された為請求せず、代わりに細君に私が本来請求すべき金額を足して850万(内350万を即金とし、残務についてはAの両親を証人とした公正証書を作成し5年間分割支払いとする、但し支払いが3ヶ月以上遅れた場合一括で支払う)を支払う。

またA家の子供の親権は細君に、慰謝料とは別にして養育費を子供が20歳になるまで毎月5万円支払う、但し増減については協議によって変更可能である。

また2人は可及的速やかに再婚し所帯を持つ、長男に関しては手続きが終わり次第認知すること。

以上を和解内容として提示しました。
皆様にお叱りを受けそうな内容ですね。

770 名前:名無しさんといつまでも一緒[sage] 投稿日:2011/05/20(金) 17:22:48.40 0
向こうの奥さんが離婚する気がなかったのなら確かにちょっときつい条件だな。

>>770さん
知らない間に壊されて、しかも自分が好きだった男を無理にでも再婚させる手伝いというのはひどい考えだと思っております。

771 名前:741[sage] 投稿日:2011/05/20(金) 17:28:52.63 0
結局私は子供に関する不貞行為について賠償を求める事もなく、内容に2人が同意したため離婚届を出して終わり、となりました。

元嫁が弁護士を通さず直接来て

「せめて直接謝りたい、顔だけでも見せてください。」

と言ってきた時、娘が心底気持ちが悪いと言うのを聞いて、もうかかわってはいけないのだなと思いました。

その後平和に仕事に戻り、娘は来年の受験に向けてがんばろー!で終わればよかったのですが、終わらなかったのでここに書き込みをさせていただきました。

お目ざわりかもしれませんが、もう少しだけ続けさせてください。

774 名前:741[sage] 投稿日:2011/05/20(金) 17:47:00.31 0
慰謝料は2人で細君に払うんだ、もうこれで私が請求しなければ綺麗に終わるだろうなと思ってた今年の三月、元嫁と元長男が我が家に来たのです。

曰く

「慰謝料の支払いや養育費の支払いで生きるのに精一杯、愛は無いけど和解の条件であったから結婚したがもうやっていけません、助けてください。」

とのこと。
すると殆ど喋った記憶のない元長男も

「お母さんをいじめるからお父さんは嫌いでした、でも間違いなので助けてください。」

とかいうんですよ。

私は一度も元嫁をいじめたことなんてありませんのにね。
何もそこまで憎んでなかった元長男まで憎悪の対象にすることないじゃないかと。

もしかしたら、落ちぶれてるのを見たら溜飲が下がるかな?と思ってたんです。
2人の思いがあれば結婚しても大丈夫だよ、なんて無理にさせたのもそういう気持ちもありました。

でもなんでしょうね、全然嬉しくない。
不快感しかない。
間男であるAは死ぬ思いで生きてて、これからも苦労して生きていくはずなのに少しも嬉しくない。
元嫁は元の旦那に縋ってでも生きていかなきゃいけないくらい苦しんでるのに汚いものが玄関にきたなー、くらいしか感じない。

後ろで娘が

「みじめな親子だねぇ。」

とか言ってるのに反論すらできない、元長男にしてみれば物凄く理不尽ですよね、これ。
私がしたかったのは祝福だったのか、それとも復讐だったのか、その後に大きな地震がきて色々うやむやになったのでその後は来てないんですが。

ざまーみろとも思えず、私のしたかったことはなんだったのでしょうかね?

長文、お目汚し大変失礼致しました。
また支援してくださった皆様ありがとうございました。

776 名前:名無しさんといつまでも一緒[] 投稿日:2011/05/20(金) 17:54:44.73 0
助けてくださいって具体的にどういう事?
お金貸せって事?
結婚の条件はもう果たしたんだからいやなら離婚すればいいのにね。

778 名前:741[sage] 投稿日:2011/05/20(金) 18:00:35.47 0
>>776さん
別れても生活するのが難しい。
もういちど一緒になってくださいということですね。
説明が足りずに申し訳ありません。

一度精神が壊れちゃったあと異議もでないし、

「別れないでください。」

とかもなかったのでこれで縁が切れたね、と言い合ってたんですが、残念です。

777 名前:名無しさんといつまでも一緒[sage] 投稿日:2011/05/20(金) 17:57:24.68 0
娘のことを大事に思うなら、元嫁や元息子を家に入れんなよ・・・。
どこまで間違い犯すんだよ>>741は。

781 名前:741[sage] 投稿日:2011/05/20(金) 18:04:48.27 0
>>777さん
そのとおりですね。
まさかあんなもん来るとは思わず無警戒にドアを開けたら、こんにちはされまして、面目ないです。
玄関先の対応でしたが、娘に見られたのは失態でした。

これで諦めて消え去ってくれるといいんですが、引っ越しは来年娘の大学入試が合格したら行う予定ですので、悩んでおります。

779 名前:名無しさんといつまでも一緒[] 投稿日:2011/05/20(金) 18:01:03.76 0
部下だから懲戒解雇だったんだろうけど、上司だったら泣き寝入りになるんだろうか。

780 名前:名無しさんといつまでも一緒[sage] 投稿日:2011/05/20(金) 18:04:33.46 0
ならねーよw

783 名前:741[sage] 投稿日:2011/05/20(金) 18:08:32.00 0
>>779さん
普通の企業では懲戒解雇というのはよほどのことをしないとならないものです。
今回は社長の耳にまで入ってしかも悪質だったのでこんな形になったかと思います。
大抵は依願で退職金は慰謝料に当てて黙って消えろ、という説得をされますよ。

782 名前:名無しさんといつまでも一緒[] 投稿日:2011/05/20(金) 18:07:56.19 0
おっさん今日は代休かなんか?

784 名前:741[sage] 投稿日:2011/05/20(金) 18:13:12.15 0
>>782さん
実は明日が私の誕生日でして、

「折角なので今日は外食でもしよう。」

と娘に言われたので思い切って3連休にしてみました。

明日から旅行に行く予定なのでいい歳してはしゃいでおります。
こんな楽しみをこれから増やしていこう、と思っています。

では準備などもありますのでこの辺で。
皆様本当にありがとうございました。

788 名前:名無しさんといつまでも一緒[] 投稿日:2011/05/20(金) 18:21:11.12 0
読ませていただきました。
大変でしたね。
これからは、お嬢さんと幸せに暮らして下さい。

789 名前:名無しさんといつまでも一緒[] 投稿日:2011/05/20(金) 18:24:29.64 0
色々あって大変だったけど、早めに引っ越して縁を完全に切るのが吉。

801 名前:名無しさんといつまでも一緒[] 投稿日:2011/05/20(金) 20:32:56.60 O
741は辛かったと思うけど、ひとつだけ引っかかる事がある。
長男が懐かなかったにせよ、長男も被害者だと思うんだ。

自分の子どもじゃないと分かった途端、放り出せるものなんだろうか。
姉とは、半分血がつながってる訳だし。

復讐しか考えられなかったのは分かるけど、息子には非はない。
息子の事だけは、もう少し考えてあげて欲しかったな。

805 名前:名無しさんといつまでも一緒[sage] 投稿日:2011/05/20(金) 20:46:24.86 0
自分の家族じゃないんだぞ、あくまで他人。
実の両親がふたりとも居るんだから、そいつらが考えるべきことだろ。

815 名前:741[sage] 投稿日:2011/05/20(金) 22:52:48.76 0
>>801さん
仰るとおりです。
私は自分と共に生きてくれる娘のことだけを考えた。
人間のランクとしては最下層に近い存在です。
恐らく元長男は小さな頃から元嫁に色々な事を言われて育ってきたのでしょう。
それは私の不甲斐なさの裏返しでもあります。
彼の人生がこの先曲がったとして、その責任に私はないとは言えないでしょう。
しかし、恐らく元嫁が言ったことを鸚鵡返しのように言って、

「助けてくれ。」

と言われた時の私の虚脱感もまた本物なのです。
真摯なご意見であるのに感情的に返す事しか出来なくて申し訳ありません。

823 名前:名無しさんといつまでも一緒[sage] 投稿日:2011/05/20(金) 23:47:05.82 0
仕方ないだろうな、親がもし741だったら、どれだけ嫌われようとも彼は引き取ったろう。
すべてはそのような状況を作った元嫁と間男にある。

808 名前:741[sage] 投稿日:2011/05/20(金) 21:34:38.26 0
娘は明日に備えて早寝するんだと言って自室に引っ込みました。
明日の用意もほぼ終わりましたし、私も少し早いですがシャワーを浴びてさっさと寝ようと思います。
皆さん、私の情けない話を聞いて下さってありがとうございました。
少しだけ胸の重しが取れたような気がします。

816 名前:名無しさんといつまでも一緒[sage] 投稿日:2011/05/20(金) 23:20:08.76 0
まじめなおっさんおつw
いい旅になるといいね。

787 名前:名無しさんといつまでも一緒[sage] 投稿日:2011/05/20(金) 18:19:56.45 0
元嫁は18(大学で知り合ったのかな)からおっさんと付き合ってるんだから、愛も情もある恋愛結婚だったはずなのに、10年間も旦那の部下と不倫を続けて、しかも托卵も平気でいられるような女ってことだよね。

気をつけてないとこの先もなりふり構わず何度でもすがってくるんじゃないの。
早く縁が切れるといいね。

不倫とは、いけないことしてるって罪悪感やスリルが麻薬みたいな中毒性があるんでしょうかねぇ・・・。

俺のお弁当

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2013年4月 3日 12:38
  • 家族

嫁と去年離婚、息子は俺が引き取った。
離婚の原因は夫婦の感情だけの問題で子供は関係ないが、理由はどうあれいきなり小学2年の育ち盛りのご飯を俺が作ることになった。

もともと学生時代は食堂でバイトしてたし料理は好きだ。
会社も家から近いので晩御飯なんかはそんなに苦ではない。

しかし弁当は違ったよ。
なんせ量の加減が難しい。
決められたスペースにきっちり収めないといけないし、学校でほかの子に見られても恥ずかしくないようにいろどりも重要だ。
毎朝5時半に起きてあーでもないこーでもないと頭をひねってた。

でもそんな弁当がいつまでも続くわけでもなく3ヶ月ぐらいで、俺は息子に500円玉をわたすようになってしまった・・・。

そんな時に母の弁当を思い出した。
前日の残りや冷蔵庫の常備のおかず(ひじきの炊いたのや漬物、佃煮とか)が微妙に前日とかぶらないようにアレンジが加えてあった弁当。
俺は鶏のそぼろを混ぜた炒りたまごが大好きでそれがおかずの日の弁当は

「母ちゃん、メシきっちり詰めといてくれよ!」

と言ってずっしり重い弁当箱を持って通学してた。

何の気なしに食ってたあの弁当を思い出してまた息子の弁当を作り始めた。
母ちゃんが逝っちまって10年も経つのに驚くほど味を覚えてる。
でんぶや大葉やゆでたまごで色彩豊かにしてくれてたのも思い出した。
どうしても作り方のわからないものは姉に電話して聞いた。

「あーあれなー、あれ実はアタシの初恋の人に弁当作ったげようと思って母ちゃんに教わってたからよー覚えてんでー。」

と、俺が知らなかった母と姉のエピソードまで聞いた。

息子が俺の弁当を喜んで持っていくようになった最近、嫁から

「やりなおしたい。」

って電話をもらった。
正直、なにをいまさらって気持ちもあったけど、息子がこのまま母の味を知らないまま大きくなるのはなんだかとても悲しいことのように思えた。

俺と嫁もまたまだまだ母ちゃんや父ちゃんの領域には達していない。
これからも喧嘩やいざこざを繰り返していくかもしれないけど、それでも息子のためにもチャレンジを繰り返していかないとって思えた。

母ちゃんはこんなに大きくなった俺にまだ影響を残している。
嫁とこれからどうなっていくか、まだまだ不安もあるけど、でも、俺も弁当のおかずは作りつづけようと思う。

公務員の親父

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2013年4月 2日 13:14
  • 家族

俺の親父は公務員で真面目。
歳を取ってからの子供なので、周囲からは甘やかされてると思われていたが、非常に厳しい親父だった。
そして変質的とも思えるほどにゲームを嫌っていて、幼い頃からゲームは一切触らせて貰えなかった。

お年玉や小遣いを貯めても、ゲームだけは絶対に買わせてくれなかった。
昔友達にGBを借りてこっそり遊んでいたのがバレた時には夜遅いというのに、無理やりに友人宅まで返しに行かされたこともあった。

高校の頃、自分でバイトをしてゲームを買おうとしたこともある。
けれど、魂胆を見透かされてバイト自体禁止された。俺はそんな父親が大嫌いで、ほとんど言葉も交わさなくなっていた。
親父は俺の出産時に死んでしまった母親のことで、きっと俺を恨んでいるに違いないと思っていた。
高校を中退してまでも家から出たいと思っていたけれど、俺の唯一の理解者である姉を裏切るような気がしたのと、自分の根性が足りないせいもあってそれもできないでいた。

そして、わざと遠くの大学を受験し親父から離れることにした。
なんとか大学受験を成功し新生活に思いを馳せていたある日、警察から自宅に電話がかかってきた。
それは親父が引き逃げにあったことを告げるものだった。

すぐに病院に駆けつけたけど、もう親父には息はなかった。
泣き崩れる姉を気遣いながらも、愛情を感じたことのない親父の死を俺自身はどこか淡々と受け止めていた。

葬儀が終わった日の夜、姉から大きな紙袋を渡された。
親父から俺への合格祝いで、直接俺に渡すのは照れ臭いので頼まれていたものだったらしい。

中には

「よく頑張ったな。」

という激励の内容の手紙とPS2が入っていた。
それを読んだら涙が溢れてきた。
声を出して泣き崩れてしまった。
親父の死後初めて・・・。

にっこり、わらった。

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2013年3月31日 18:49
  • 家族

母のおなかを殴った記憶がある。

小学校5年生のときの、確か授業参観日だったかな。
体育の授業で、親も参加してのドッジボールで。
ルールは

・親に当たっても退場しない。
・子に当たったら親と一緒に退場。
・外からボール投げるのは子だけ。
・復活なし‥。

ってかんじだったかな?
よく覚えてないや。

今考えると俺の母は太った体で俺のことを守ってくれてたんだな。
でも当時の俺には邪魔してるようにしか思えなくて、ゆるいボールがきて俺がキャッチしようとしてるのに立ちふさがる母。
そんでね、取れなくて、悔しくて握ったコブシをね、母の腹に叩き込んだ。

その時、母はわずかに顔を歪ませながらにっこり笑って

「ごめんね。」

って、言ったのよ。
その日以来、母に親孝行はしてきたつもりだった。

んで先月なんだけど、小4の息子に八つ当たりのようにハラ殴られたのがゲロ痛かったのね。
肉体労働のこの俺が。
でも本当に痛かったのは、あの思い出の方で。
それと

「親孝行してきました。」

なんてツラ下げて生きてきた俺の姿を思い返して、ホント吐いた。
嗚咽したよ。

息子びびってたね。
でも思春期になったらコイツ俺のことナメて来るんだろうな。
そのとき俺はどうするかわからんが、あの時、母はにっこりわらったんだったな。

母はまだ元気だ。
でも、過ぎた日を取り戻す親孝行なんてできない。
母生きてんのに、生きててくれてんのに。

だからこの辛さを一生胸に刺したまま、母とこの体に流れてる血と、そしてこの血脈を継いでくれた妻と息子の幸せを一生懸命考えるよ。
ってなことを丁度思ってたところでしたよ。

長文駄文でごめん。

とある夫婦の話

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2013年3月30日 19:17
  • 家族

仕事から帰宅すると、妻は食事の支度をととのえていた。
僕は彼女の手をにぎり

「話があるんだ。」

と切り出した。
妻は何も言わず席についた。
その目は苦痛に満ちていた。

ふと、僕はどう切り出したらいいのか分からなくなった。
でも言わなければならない。

「離婚したいんだ。」

と。
僕は冷静に、その言葉を口にした。
妻は大したリアクションも見せず、ただ静かに聞き返した。

「どうして?」

その問いに敢えて答えないでいたら、妻はとうとう怒りをあらわにした。
彼女は箸を投げ散らかし叫んだ。

「あんたなんか、男じゃない!!」

その夜、その口論のあと、僕らはとうとう一言も言葉を交わさなかった。
妻のすすり泣く声がかすかに聞こえた。
わかっている。どうして僕らがこうなってしまったのか、妻はその理由を知りたがっているのだ。
でも僕は、彼女を納得させられるような説明をとうてい与えられるはずはなかった。

それもそのはず。
僕はジェーンという他の女性を愛してしまったのだ。
妻のことは、、、もう愛していなかった。
ただ哀れんでいただけだったのだ!

深い罪悪難に苛まれながら、僕は離婚の「承諾書」を書き上げた。
その中には、家は妻に譲ること、車も妻に譲ること、僕の会社の30%の株も譲渡することを記した。
彼女はそれをチラと見ただけで、ビリビリと破り捨てた。
僕がこの10年という月日を共に過ごした、この女は僕にとってもはや「見知らぬだれか」に成り下がっていた。
彼女が今まで僕のために浪費した、時間、労力、エネルギーに対しては、、、本当に申し訳ないと思っている。
でも、自分がジェーンを愛しているという気持ちに、これ以上目を背けることは出来なかった。

承諾書を破り捨てたあと、妻はとうとう大声をあげて泣き始めた。
ヘンな言い方だが、僕はその彼女の泣く姿を見て少しホッとしたのだ。
これで離婚は確定だ。
この数週間、呪いのように頭の中につきまとっていた「離婚」という二文字は、これでとうとう現実化したのだ。

その翌日、僕は仕事からかなり遅くに帰宅した。
家に戻ると、妻はテーブルに向かって何かを一生懸命に書いていた。
夕食はまだだったが食欲など到底なく、僕はただベッドに崩れるように倒れ込み寝入ってしまった。
深夜に一度目が覚めたが、その時も妻はまだテーブルで何かを書いているようだった。
僕はもはや大した興味もなく、ふたたび眠りについた。

朝になって、妻は僕に「離婚の条件」とつきつけてきた。
彼女は

「家も車も株も、何も欲しくない。」

と言った。

「でもその代わりに1ヶ月間の準備期間が欲しい。」

と言ってきた。
そして彼女の条件は、その1ヶ月のあいだ出来るだけ「今までどおり」の生活をすること。
その理由は明確だった。
僕らの息子が、1ヶ月後にとても大切な試験を控えているため、できるだけ彼を動揺させたくないというのが、彼女の言い分だった。

それに関しては、僕は即座に納得した。
だが、それ以外にもうひとつ妻は条件をつけてきた。

「私たちが結婚した日、あなたが私を抱き上げて寝室に入った日のことを思い出してほしい。」

と。
そして、

「これからの一ヶ月のあいだ、あの時と同じようにして、毎朝、彼女が仕事へ行くときに彼女を腕に抱き上げて、寝室から玄関口まで運んでほしい。」

と言うのだ。

僕は

「とうとうおかしくなったな・・・。」

と思った。
でもこれ以上妻といざこざを起こしたくなかった僕は、黙って彼女の条件を受け入れた。

僕はジェーンにこのことを話した。
ジェーンはお腹を抱えて笑い、

「ばかじゃないの。」

と言った。
今さら何をどうジタバタしたって離婚はまぬがれないのにと、ジェーンは嘲るように笑った。

僕が「離婚」を切り出して以来、僕ら夫婦はまったくスキンシップをとっていなかった。
なので、彼女を抱き上げて玄関口まで連れていった1日目、僕らは二人ともなんともヘンな感じで、ぎこちなかった。

それでもそんな僕らの後ろを、息子はそれは嬉しそうに手をパチパチ叩いてついてきた。

「ダディーがマミーを抱っこして『いってらっしゃい』するよ!」

その言葉を聞くなり、僕の胸はきりきりと痛んだ。
寝室からリビングへ、そして玄関口へと。
僕は妻を腕に抱いたまま10メートルは歩いただろうか。
妻は目を閉じたまま、そっと

「どうかあの子には離婚のことは言わないで。」

と耳元でささやいた。
僕は黙ってうなずいた。
でもなぜか、そうしながら心はひどく動揺していた。

妻をドアの外に静かにおろすと、彼女はそのままいつものバス停へ向かって歩いていった。
僕もいつもどおり車に乗り込み仕事へ向かった。

2日目の朝。
初日よりは少しは慣れた感があった。
抱き上げられながら、妻は僕の胸に自然ともたれかかっていた。
僕はふと、彼女のブラウスから薫るほのかな香りに気づいた。
そして思った。
こうして彼女をこんな近くできちんと見たのは、最後いつだっただろうかと。。。

妻がもはや若かりし頃の妻ではないことに、僕は今さらながら驚愕していた。
その顔には細かなシワが刻まれ、髪の毛には、なんと白いものが入り交じっている!
結婚してからの年数が、これだけの変化を彼女に。。。
その一瞬、僕は自問した。

「僕は彼女に何てことをしてしまったのだろう。」

と。

4日目の朝。
彼女を抱き上げたとき、ふとかつて僕らの間にあった、あの愛情に満ちた「つながり感」が戻ってくるのを感じた。
この人は、この女性は、僕に10年という年月を捧げてくれた人だった。

5日目、そして6日目の朝。
その感覚はさらに強くなった。
このことを、僕はジェーンには言わなかった。

日にちが経つにつれ妻を抱き上げることが日に日にラクになってゆくのを感じた。
なにせ毎朝していることなので、腕の筋力もそりゃ強くなるだろうと、僕は単純にそう考えていた。

ある朝、妻はその日着てゆく服を選んでいた。
鏡のまえで何着も何着も試着して、それでも体にピッタリくる一着が、なかなか見つからないようだった。
そして彼女は

「はあ~っ。」

とため息をついた。

「どれもこれも、何だか大きくなっちゃって。。。」

その言葉を耳にして、僕はてハッ!とした。
妻はいつの間にやせ細っていたのだ!
妻を抱き上げやすくなったのは、僕の腕力がついたからではなく、彼女が今まで以上に軽くなっていたからだったのだ!

愕然とした。
それほどまで、やせ細ってしまうまで彼女は痛みと苦痛を胸のなかに。。。
僕は思わず手を伸ばして、妻の髪に触れていた。

そこに息子がやってきた。

「ダディー、マミーを抱っこして『いってらっしゃい』する時間だよ!」

息子には、父親が母親を毎朝抱き上げるこの光景を目にすることがすでに大切な日常の一場面となっているようだった。

妻は、そんな息子にむかって「おいで」と優しく手招きしたかと思うと、彼を力いっぱいぎゅっと抱きしめた。
僕は思わず目をそらした。
そうしないと、最後の最後で、気が変わってしまいそうだったからだ!

僕はだまって、いつものように妻を腕に抱き上げ寝室から、リビング、そして玄関口へと彼女を運んだ。
妻はただそっと、僕の首に腕を回していた。
そんな彼女を、気づいたら強くグッと抱きしめていた。
そうまるで、結婚したあの日の僕のように。。。

彼女の、それはそれは軽くなった体を腕のなかに感じながら、僕は例えようのない悲しみを覚えていた。

そして最後の朝。
妻を抱き上げたとき、僕は一歩たりとも歩みを進めることができなかった。
その日息子はすでに学校へ行ってしまっていた。
僕は妻をしっかりと腕に抱き、そして言った。

「今まで気づかなかったよ。僕たちの結婚生活に、こうしてお互いのぬくもりを感じる時間がどれほど欠けていたか・・・。」

そして僕はいつもどおり仕事へ向かった。
何かにせき立てられるように、とにかくここで、最後の最後で自分の決心が揺らいでしまうのが怖くて、それを振り切るかのように、車を停めると鍵もかけずに飛び出しオフィスのある上の階まで駆け上がっていった。
気が変わってしまう前に、オフィスへ行かなければ。
早くジェーンのもとへ!

ドアを開けるとそこにジェーンがいた。
彼女を見た瞬間、僕は思わず口にしていた。

「ジェーン、すまない。僕は離婚はできない。」

ジェーンは

「はあ?」

という目で僕を見つめ、そして額に手をあてた。

「あなた、熱でもあるの?」

僕はジェーンの手を額からはずし、再度言った。

「すまない、ジェーン。僕は離婚はできないんだ。」
「妻との結婚生活が『退屈』に感じられたのは、彼女を愛していなかったからではなく、僕が毎日の小さな幸せを、他愛のない、だけどかけがえのない小さな日常を大切にしてこなかったからなんだ。今頃になって気づいたよ。あの日、あの結婚した日、僕が彼女を腕に抱いて家の中へ初めての一歩を踏み入れたあの日のように、僕は死が二人を分つまで、彼女をしっかり腕に抱いているべきだったんだ!」

ジェーンはようやく事の次第を理解したようだった。
そして僕のほっぺたを思いっきりひっぱたくと、扉をバタン!と閉め

「ワーッ!」

と泣き叫びながら飛び出して行った。

僕はそのまま黙って階下に降りた。
見ると、花屋が目にとまった。
僕はそこで、妻のためのブーケをアレンジしてもらった。
店員が

「カードには何とお書きになりますか?」

と聞いてきた。
僕はふと微笑んで、言った。

「そうだね、こう書いてくれ。」

『毎朝君を腕に抱いて見送るよ。死が二人を分つ、その日まで...』

その日の夕方、僕は妻への花束を抱え、顔に笑顔をたたえて家についた。

はやる気持ちで階段を駆け上がる!
早く早く!
妻のもとへ!

出迎えてくれた妻は、ベッドで冷たくなっていた。。。

何も知らなかった。
僕は、何も知らなかったのだ。
妻がガンであったことさえも。

ジェーンとの情事にうつつをぬかしていた僕は、妻がこの数ヶ月必死で病魔と戦っていたことに気付きさえしなかったのだ!

妻は分かっていたのだ。
自分がもうじき死ぬことを。
彼女が出してきた「離婚の条件」は、僕を責めるものではなく、僕を救うためのものだったのだ!
自分亡き後、最愛の息子から僕が責められることがないように。

毎朝お母さんを抱き上げて優しく見送るお父さん。
そう、そういう僕を毎朝見ていた息子にとって僕はまぎれもなく「お母さんに離婚をつきつけたお父さん」ではなく、「お母さんを最後まで愛したお父さん」となったのだ!

僕はどうしても皆さんにお伝えしたかった。
日々のささやかな幸せ、、、それが人生で何よりも大切であるということを。
幸せは、大きな家、土地、高価な車、または銀行の残高、、、そんなものの中にあるのではないということを。

もしも今、あなたの傍らにかけがえのない伴侶がいるのなら、毎日がどんなに忙しくても、どうか、相手が大切だと伝える小さなジェスチャーを心を通わせる時間を大切にしていっていただきたいと思います。

娘の結婚式

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2013年3月26日 12:01
  • 家族

1ヵ月後に挙式を控えた新婦のお母様から電話がありました。

「あの、バージンロードのことなんですが、エスコート役は直前でも変更可能なのでしょうか?」

事前のお打合せでは、お父さまの足がご不自由なため、新婦の7つ年上のお兄さまがお父さまの代わりに歩かれることになっていました。

「大丈夫ですが、お兄さまのご都合が悪くなってしまったのでしょうか?」

いったいどうしたのだろうと、おうかがいすると、

「娘には内緒なのですが、実は主人が歩く練習をしているんです。娘の結婚式が決まってからというもの、時間ができると『リハビリに連れて行ってくれ』と言うようになって、それも子どもたちには内緒で。」
「バージンロードを歩くために、ですか?」

私は胸がいっぱいになりました。

「わかりました。ぜひ、お父さまにお願いしたいです。」

支度を終えた新婦がバージンロードの前で待機していると、車椅子のお父さまとお母さま、そしてお兄さまがこられました。

「お兄ちゃん、よろしくね。」

新婦が声をかけると、ウエディングドレス姿の妹を見つめながら、お兄さまは黙って首を横に振りました。

「えっ、どういうこと?」

答えの代わりに、お兄さまが少しかがんでお父さまに肩をかされました。

お母さまは既に涙ぐみながら、お父さまに杖を手渡されます。

「え・・・、お父さん?」
「行くぞ。」
「はい・・・。」

新婦は瞳をうるませて、お父さまの腕に手をかけました。
お父さまがエスコートするのではなく、新婦がお父さまを助けるかのように支え、歩みを合わせているのが、こちらからもわかります。

お父さまは堂々と前を向かれ、歩みを進めていきました。
新郎の背中をぽん、と叩き

「頼んだぞ。」

とお父さまの声が聞こえたような気がしました。
披露宴の半ば、突然司会者がこう切り出したのです。

「本来、ここで祝電を披露させていただくのですが、ここに一通のお手紙をお預かりしておりますので、ご披露させていただきます。差出人は新婦のお父さまです。それでは、代読いたします。」

------------------
しのぶへ。

私は静岡の田舎で男兄弟ばかりの中で育ったものだから、女の子をどう育てていいのかわからず、母親に任せっきりにしていました。
運動会や学芸会もほとんど行けず、仕事ばかりしてきた父親でした。
すまないと思っています。

ただ、父親の務めであると思いながら、どんな仕事も一生懸命やってきました。
それだけは自信を持っています。
とはいっても、あなたにとってみれば、厳しくて、門限にもうるさくて、うざったい父親だったでしょう。

でも、君がうちの娘に生まれてきてくれたこと、本当にうれしかったんだ。

今まで言ったことなかったけど、本当にありがとう。

今日、あなたが花嫁となって、岡崎家の人間から梅村家の人になっていくこの日に、どうしても何かしたくて、恥をしのんで、お母さんとリハビリをがんばった。

これで今まで何もできなかったことは許してもらえるとうれしいです。

寛くん。
どうぞ、しのぶをよろしくお願いします。
------------------

あふれ出る涙をぬぐう新婦。
その横では、新郎がお父さまに向かって頭を下げています。

会場のあちこちで、鼻をすする音が聞こえてきました。

読み終えたお父さまからの手紙をしまった司会者が、もう一通、封筒を取り出しました。

「実は、新婦からもお手紙を預かっております。続けてご披露させていただきます。」

その手紙にはこんなフレーズがありました。

「いつも怒ってばかりで、門限も厳しくて、お父さんの存在が嫌になったこともたくさんありました。でも、今は、厳しく育ててくれたことにとても感謝しています。」

先ほどまで堂々とされていたお父さまも、目を真っ赤にしていらっしゃいます。

会場は感動に包まれ、温かくやさしい拍手がしばらく鳴りやみませんでした。

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「結婚式で本当にあった心温まる物語」

山坂大輔 著  あさ出版より
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嫁が急逝してドロップアウトした

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2013年3月18日 16:10
  • 家族

もう十数年前になるけど、嫁が急逝してドロップアウトした。

赴任先の基幹病院のある地方都市。
俺の嫁は誰も知り合いもいない土地で、最後まで子供の心配しながら最後まで俺に謝り続けて一人で逝った。
3歳の娘一人残して。

葬式の時、娘は

「ママいつ来るの?ママいつ起きるの?いつ起きるの?」

ってずっと泣いていた。

娘は嫁の実家で面倒みてもらいながら仕事に戻ったよ。
忙しい病院だった事に加え、いつも学会準備に追われていたので帰宅は毎日遅かった。
それでも休みの日には嫁の実家に泊まりにいって、少しでも娘と一緒にすごすようにした。
母親がいなくなった事も受け入れているようで、俺がいくといつも笑って走って来て

「パパー!!」

って抱きついてきた。

嫁の実家に行ってからは泣くこともなく娘は楽しく暮らしているように見えたよ。

嫁の実家で娘と一緒に寝ていた時、深夜にすすり泣くような声で目が覚めた。
俺が起きた事に気が付くと、一生懸命に寝た振りをしようとしていたけど、すすり泣く声が漏れる。
娘を抱き上げて、

「どうして泣くのを我慢するんだ?」

って聞いても黙っていた。
何度も何度も聞いたら、

「じいちゃんとばあちゃんに、パパは忙しくて疲れているのだから絶対に泣いたりして困らせちゃダメ!」

って言われてそれを一生懸命まもっていたらしい。

嫁の実家の生活でも気をつかって、いい子でいなきゃいけないって頑張って、3歳の子が泣きもせず、わがままも言わずに祖父母の言う事もよく聞いて、毎晩ふとんの中で祖父母を起こさないように一人で声を殺して泣いていたらしい。
娘は嫁の実家に来て以来はじめて大声をあげて泣いた。

「ママんとこ行きたいー。おうちに帰りたいー。おうち帰るー。」

ってずっと叫んでいた。
娘にとっては大好きな母親と暮らしたあの家だけが「自分のおうち」だった。
今まで言えなかった思いが噴き出して狂ったように朝まで泣き叫んでいた。
驚いて起きてきた祖父母も悟ったらしく一緒に泣いていた。
娘に

「もう頑張らなくていいんだよ。おうちに帰ろうね。」

と約束して抱きしめて一緒に泣いた。

医局を辞める決意をしたよ。
娘を連れ帰ると決めたので、少しでも娘と一緒にいる為に。
週休3日の自由診療のクリニックへの入職も決めた。
休みが多く早く帰宅できて、当直やオンコールのない職場ならなんでもよかった。

教授室のドアをたたき事情を説明した。
教授はドロップアウトする俺を、汚物でもみるような目でみて

「いいから早くここから出て行きなさい。」

と言ったのを最後に目もあわせてくれなかった。
上の先生達にも、数時間なじられた。
赴任先の病院を急に辞める事で迷惑かけるので、血の気の多い先輩には殴られた。

退局後、祖父母に心からのお礼を言って娘を連れ帰ってきた。
小さな仏壇も用意して、その前が娘のお気に入りの場所になった。
昼間は保育園にあずけたり、嫁の実家にあずけたりして新しい仕事を始めた。
早いと4時、遅くとも6時には帰る事ができるクリニックだったので、娘とすごす時間は格段に増えた。
包茎手術から植毛、美容外科までなんでもやった。

大学の同期の連中からは白い目で見られ続けた。
その手のクリニックが今よりはるかにあやしいイメージの時代だったので。

こんな医者として最下層までドロップアウトした俺を見て育ったのに、娘は

「医学部に行きたい。」

って言い出した。
正直、今の情勢で医者になるのは疑問だったけど、こんな俺を見ながらにして同じ仕事を目指してくれたのが本当にうれしかった。

医学部に合格して、娘と二人で母親の墓前に報告にいった。
こんなにいい子に育ってくれたと胸をはって報告できた。
娘が社会にでて、幸せにしてくれる旦那をみつけたら俺はいつ死んでもいいな。

ちょっと疲れたよ^^;
医局員が見たら誰の事か一目瞭然だな。
その節は本当に御迷惑おかけしました。
娘と二人でなんとかやっています。

だめにんげん

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2013年3月18日 16:06
  • 家族

昔々 ある所に一人の駄目人間がいました。

そいつは大学を中退して社会に出るため職を転々と廻ったんだ
1社、2社、3社・・。

ちょうど冬の寒さが身に沁みる時期でしょうか、12社目を受けた時です。

「お前を雇う所なんてどこにも無い。」

と面接官に言われました・・・。

それから 彼の引きこもり人生が始まったのです。
当初はちょっとだけ休みを取って疲れた体を癒せればそれで良かった・・。
両親は笑顔で

「疲れたんだろ?少し休んでから頑張りなさい。」

って言ってくれたんだ。
俺はいつか絶対に両親を幸せにしてやろうと決心した・・・。
でも そんな思いは長くは読かなかった。
一度ひきこもりにはまってしまうと怖くて動けなくなってしまう。
自分が天才哲学者にでもなったかのように世界を決め付ける。

そんなこんなで3年もの月日は流れたある日、彼はもうドア越しに話かけられても会話できない程アホ丸出しの引きこもりと化していた。

母親「あなたに会いたいってお友達が来てくれたわよ・・。」

震える声で言った。
ドンドン!っとドアを叩いて、誰かが叫んでる。

「おーい!俺ぇ~森本だよ、ちょっと話しないか~?!」

聞き覚えのある声・・・。
それと同時に寒気が彼を襲った。
高校時代彼をイジメていた不良グループの一人だ・・・。
1~2時間くらいたってドアを叩く音が止んだ・・・。
スーッとドアの下から手紙が入れられてきた。
ソレを見ながら彼は体育座りのまま眠りについた。

あの事件が起きて4日目、手紙を確認することにした。

「同窓会のお知らせ」

引きこもりの彼にコレはきつかったのでしょう。
物凄い勢いで破り捨てました。
ソレと同時に涙と何とも言えない孤独感、そして怒りがこみ上げてきました。

壁を殴りつけ、布団を蹴り上げ、彼は叫び読けました。
そこへ彼の母親がやってきました。

母親「どうしたの?!ねぇ、どうしたの??!!」

耳に聞こえてくる母親の声、彼はそれをかき消すように叫び読けた。

同窓会前夜、母親がドアを3回叩いた。
3回叩く時はご飯を運んできた合図だ。
いつも通りにドアを少し開けごはんを取ろうとした時だった。
食器の横に黒い物が置いてあった。
クリーニングに出したのだろうか、札が付いたままのスーツだった。
このスーツは大学を辞めた時に母親からプレゼントされたもので、チョット丈が短い残念なスーツだ。
お坊ちゃま君みたいで着るのを嫌がったのを憶えている。

それでも母さんはそんな彼を見て

「いいわよ!さすがお父さん、お母さんの子ねっ!!」

って自信満々に彼の就活を応援してくれた、そんなスーツだ。
母親はこのスーツを着て同窓会に行ってほしかったのだろう。

だが彼にはそんなこと関係ない。

(人に会う?馬鹿じゃないのか?!ましてや昔の友達なんかには特にだ。)

それから5ヶ月たった頃、滅多にならない携帯に電話がきた。
この携帯電話は彼が引きこもりになりかけの時に母親が渡したものだった。
まあ・・・面倒なので電話にでないのは当たり前だろ。
気になって留守録を聞いてしまった。

しかしそこに残っていたのは父親の声だった。

父「母さんが倒れた・・・。今すぐ○×病院に来い・・。今夜が峠だ・・・そうだ・・。」

全身に鳥肌が立った。
怖いなんてものじゃない。
だけどその時には何も考えずに走り出していた。
彼が病院に着いた時にはもう母親の息はなかった。
実は父親が電話した時にはもう息はなかったらしい。
寝巻きにサンダル、伸びっぱなしのヒゲに壊れた眼鏡姿のままで。

父親
「母さんはお前が自分の力で外に出てほしかったと言っていたんだ・・。お前が自分の意思でここまで来てくれることが 望みだったんだろうな・・。」

彼は泣きながら母親の手を握り締めた。

母親の葬式の日、彼はあのスーツを着た。
胸ポケットから1通の手紙とお守りが入っていた。

「国○
先日お友達が来た時に同窓会があるって母さん聞いたの。
だからスーツ着て、皆に会ってきなさい。
せっかく久しぶりに皆に会えるチャンスなんだから、ね。
丈はね、直しておいてあげたから、もう恥ずかしくないわね。
これで外出れるね。

ごめんね。」

そしてお守り、母さんも同じ物を持っていた。
あの時ごめんって言えたら・・・母さんは喜んでくれたのかな。

彼は今でもそのスーツを着て一生懸命働いているそうです。

パパになったたけしへ

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2013年3月14日 10:38
  • 家族

俺の母親は俺が十二歳の時に死んだ。
ただの風邪で入院してから一週間後に、死んだ。
親父は俺の二十歳の誕生日の一ヶ月後に死んだ。

俺の二十歳の誕生日に入院中の親父から手紙を渡された。
黄ばんだ封筒を開けるとセロハンテープの後がくっきり写る。
中を読むとお袋からの手紙だった。

『パパになったたけしへ』

内容は俺が生まれた時のことから中学の入学した頃までのことが書いてあった。
生まれた子が俺で良かったって。
短い間だったけど楽しかったって。
感謝してるって。
でも、ゴメンって。

だからあなたの子供にはあなたと同じ思いはさせないで頂戴って。

泣きながら読んでる俺に、親父が謝った。
すまんなって。
でも何を謝ることがあるのか。
お袋が死んでから親父は忙しい中俺のために働いてくれた。
遊びにも連れてってくれた。
反抗期の息子に何を言われても黙ってた。
俺は知ってた。

お袋が死んだ直後、親父の手に出来た沢山の包丁傷の跡。
あれほど好きだったゴルフをやめたこと。
いつの間にかタバコもやめてたな。
こっちこそゴメン。
ダメな息子でゴメン。

俺は普通の人より早く両親を亡くしてるだろうけど、他の誰にも負けないくらい幸せだ。
家族3人で過ごした思い出は何よりの宝物。

父さん、母さん、ありがと、ほんとにありがと。

朝起きるのが遅い母

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2013年3月13日 12:07
  • 家族

私は地方の高校を卒業して東京の大学に進学しました。
実家は小売業をしていて、父と母が2人で自宅横の店を経営していた。
兄弟は4人居て俺を含めて2人が大学に在学し、下の妹と弟は高3と中2だった。
今思えば、とんでもなく金がかかる時期だったはずでした。
その頃は気にしてもいなかったけど。

大学2年の冬休みに帰省をした時に母へ、

「友達にスキー旅行誘われてるから道具代とツアー代のお金ちょうだい。」

と15万円ほど小遣いとしてもらった。

翌日から3泊4日でスキーに出掛けて4日後に帰宅した。

帰宅したのは夕飯前の時間だったけど私は旅行疲れで寝てしまった。
目が覚めたのは、よる11時過ぎだった。
腹が減って目が覚めた。
居間に行っても妹がテレビを見ているだけで、晩飯を作って欲しい母は居なかった。
どこにいるのか聞くと店に居るとのことだった。

こんな時間まで何をしているのかと見に行くことにした。
お腹も空いたし。
店に入っていくと、母は床にしゃがんで一心不乱に商品を並べていて私が入ってきたことに気づきませんでした。
じーっと後姿を見ていて、はっとして涙がこぼれてしまいました。
母の手は埃で薄汚れ、着ていたズボンもセーターも毛玉だらけだし何年も着ていてよれよれでした。

自分は全然お金を使わないで、息子の学校や遊びのお金をいやな顔ひとつせずくれてたなんて。
こんな時間まで仕事して。
小学校の頃は、母に対して朝起きるの遅いし家の中が掃除しきれてなくて、散らかってていやだなと思っていた。
店が忙しかったからしょうがなかったのだが。
でもこんな姿見てしまったら、今までなんとわがままに過ごしていたのかと悔やみました。

母に

「もう遅いで明日にしたら。」

というと

「あ、起きたの?ご飯食べて無いでしょ。ここ寒いし、後で作ったるで部屋で待っとって。」

と言われた。
また涙が滲んできたので悟られないように後ろを向いて戻りながら

「ん、わかった。」

と歩いて部屋に戻った。

今、36歳で妻、一男一女の父。
親の有難みが一番わかる。

「これからがんがんお返ししていくからな。」

俺の母ちゃん

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2013年3月 8日 12:09
  • 家族

俺、最後の最後まで母ちゃんに心配かけさせちまった。

本当にごめんな。
あんたは世界一の母ちゃんです。
ありがとう。

俺が3歳の時、父ちゃんが事故で死んで、それから再婚もせずに女手一つで俺を育ててくれた。
生活を支えるために朝から晩までずっと働いて、小さい頃俺はよく寂しい思いをしてた。
俺を育てるためにあんな働いてくれてたのに、俺は寂しさを紛らわせるために夜遊びをするようになった。
そしていろいろ問題も起こすようになった。
あん時の俺、ほんとばかだったな。
学校に呼び出されるたび、母ちゃんは何回も頭下げて、

「すいません、すいません。」

って謝ってた。
なのに俺は強がって

「なんで来たんだよ!」

なんて言ってた。
素直にごめんの一言も言えなかった。

高2の夏、友達とバイク乗ってた時に急に飛び出して来た子供をよけようとして、思いっきり転んでしまった。
それからの記憶はなくて、気がついたら病院のベッドで寝てた。
目覚ました時母ちゃんが泣きそうになりながら俺の事見てて、俺病人だっつーのに平手で思いっきり殴られた。

「ばか!」

って言って号泣してた。
あんなに泣いた母ちゃん初めて見た。
そん時、今までこんなに母ちゃんに心配かけさせてたんだなって初めて気付いた。
もう母ちゃんを泣かすような事はしたくないって思った。
俺泣きながら小さい声で

「ごめん。」

って言った。
俺は結構重傷だったらしく、手足折って頭も打ったらしかった。
だけど後遺症もなく、1ヵ月ぐらいで退院できた。
入院してる間、仕事あるのに母ちゃん毎日来て看病してくれた。
恥ずかしくて言えなかったけど、すごい嬉しかったよ。

月日が流れて、俺は大学には行かず、働く事にした。
そして仕事にも慣れてきたある日、携帯に電話がかかってきた。

「お母さんが倒れました。」

って。
急いで病院に駆けつけた。
腕に太い点滴付けられて苦しそうに母ちゃんが寝てた。
医者に聞いたら癌だって。
しかも末期癌。
すでに全身に転移しててもう長くないって告げられた。

「お母さんは前から自分が癌だって事知っていたんだけど、息子には心配かけたくないから黙っててくれって言われたんだ・・・。」

なんでだよ。なんで言わなかったんだよ。
なんで俺には心配させてくんねぇんだよ。
悲しくて寂しくて悔しくて、柄にもなく大泣きしてしまった。

次の日の昼、母ちゃんは死んだ。
最後1回も目覚まさずに。

ごめんな。
なんの親孝行も出来なかった。
心配ばっかかけて、迷惑ばっかかけた。
出来の悪い息子だったよな。
本当ごめんな母ちゃん。

その後母ちゃんの遺品を片付けてた時に、見覚えのない俺名義の通帳と手紙を見つけた。

「○○へ
あんたがこの手紙を読んでるときには、もう私はいないんだろうね。
病気の事黙っててごめんね。
仕事で健康診断があった時にね、初めて知ったんだ。
でもその時すでに癌細胞がいくつかあったの。
手術してもお金かかるし、あんたももう一人で生きていける年まで育ってくれたから、母ちゃん手術しなくていいですって言ったの。
もっとあんたの顔見ていたかったけどこればっかりはしょうがないよね。
ごめんね。

母ちゃんはあんたの母親で本当に幸せでした。
父ちゃんが死ぬときに、「○○は絶対に私が守るからね」って約束したの。
母ちゃん約束守れたかな?
覚えてないかもしれないけど、あんたが4歳の時に言ったんだよ。「父ちゃんの代わりに僕が母ちゃんの事守るからね!」って。
母ちゃん涙が出るほど嬉しかった。
○○は私の子で幸せだったかな?
何度も言うけど、私は幸せだったよ。
あなたは私の宝物です。
自慢の息子です。
本当にありがとう。

母ちゃんより」

涙が止まらなかった。
何度も読んで、何度も泣いた。
通帳には73万入ってた。

母ちゃん、ありがとう。
俺母ちゃんの子供で本当によかったよ。
幸せだったよ。
迷惑ばっかかけた俺を許して下さい。
母ちゃんが作った飯の味とか絶対忘れないから。
こんな俺を産んでくれてありがとう。

あんたはおれの自慢の母ちゃんです。

母がいないのを確認してこっそり覗いてみた

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2013年3月 3日 22:45
  • 家族

私が中学生の頃の話。
母と大喧嘩をして部屋でふて寝した翌日、机の上にクラスの親同士で回すノートがあった。
母がいないのを確認してこっそり覗いてみた。

以下大体の内容。

A(私)は死産と流産の後にようやくこの世に生を受けた、私達夫婦にとっては初めての子、大切な宝物です。
女の子と分かってからは、真っ黒な髪の毛の子になって欲しくて、妊娠している間は昆布など海藻をずっと食べていました。
つむじがふたつある、ひねくれた子になりそうな子だけれども、産まれて初めて泣き声を聞いた時は涙が止まりませんでした。
昔からアニメが大好きで、将来は絵の方面に進みたいと言う我が子。
どれだけ大変な道かは解らないけれども、私が生きている限り我が子のファン一号であり続けたいです。

あと何故かあまり上手くないアンパンマンの絵がノートの隅に描いてあった。
思い返せば遠足には必ず母の手紙と、当時私が大好きなキャラが描かれてあった。
大喧嘩して全部破って捨てた後、母からビンタを喰らった意味がようやくわかり、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになりながら謝った。
母も大泣きしてた。
今私は学生だけどもイラストの仕事をちょいちょい貰ってて、この前初めて貰った給料でケーキ買って帰った。
すごく喜んでくれた。

墓参りする時はいつも水子地蔵にまんじゅう持っていく。
ちなみに、未だに髪は染めていない。

おかあさんの口紅

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2013年3月 1日 11:24
  • 家族

5歳の頃、母さんの赤い口紅に憧れた私が、勝手に使って根元から折ってしまったことがありましたね。

「なんで折れちゃったの?お化粧してみたかった?」

と聞く母さんに、泣きながら頷くことしか出来ませんでした。

「人の物を勝手に使ったらダメだよ。でも、わざと折ったんじゃないよね。お母さん分かってるからね。」

そうやって優しくたしなめられて、自分を信じてくれることが嬉しくて、悪いことをした罪悪感でいっぱいになりました。
謝るのが苦手な子供だった私も、その時ばかりはしゃくりあげながら何ども

「ごめんなさい。」

を繰り返しました。

「何が悪かったのか分かったから、これからは同じ失敗しないね。お母さんでごめんなさいの練習できてよかったね。」

そう言って泣き止むまで膝に抱いて頭を撫でてくれたこと、今でもはっきり覚えています。

翌朝、しっかり化粧をして朝ご飯を作る母さんに

「口紅は?」

と聞いたら、

「折れただけだから大丈夫。筆でほじくればちゃんと使えるよ。」

と笑われましたね。
夕方、買い物から帰ってきて、イチゴの匂いつきの可愛い子供用リップクリームを渡しながら

「今度は折らないようにね。色の付いた口紅は、大きくなったら買ってあげる。」

そう言われて、また号泣しました。
その事をふと思い出し、こんなこともあったよねと電話口で話すと、

「そう?覚えてないわ~。」

と返され、少し笑ってしまいました。
二十歳の誕生日に、鮮やかなローズピンクの口紅をくれたことは、偶然ということにしておきましょうか。
 
どこまでも寛大でおおらかで優しい、自慢の母親です。
ありがとう。
あなたの娘で本当によかった。

来月、幼馴染の結婚式参列のため、久々に地元へ帰ります。
あの時の口紅はもう無くなったけど、化粧が似合う大人になった娘の姿、見てやってください。
孫の顔見せるのは、もう少しだけ待っててね。
どんなイケメンでも、母さん以上にかっこいい旦那様なんて、そうそう見つけられそうにないから。

最後のメール

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2013年2月22日 11:08
  • 家族

俺の父ちゃんは昔母さんを亡くし、俺と妹を一人だけでずっと育ててくれた。
父ちゃんは普段会社ではとっても真面目で無口なエリート社員らしいが、家ではいつも明るくしてくれて・・・母親の愛情を知らない俺たちにたっぷりと愛情を注いでくれた。
父ちゃんはビールが大好きで、酔うともっと明るくなって面白くなって・・・悪いところがひとつもないそんな父ちゃんが大好きだった。

そんな毎日が続くある日、父ちゃんが倒れた。
俺はびっくりして妹と一緒に父さんを急いで病院に連れて行った。
病院について診察室に行くと、

「とりあえず検査入院しましょう。」

と医者に言われて俺たちは病院をあとにした。
検査入院は一週間で、毎日毎日俺たちはお見舞いに行った。
行くたびに父ちゃんは俺たちを笑顔で迎えてくれた。

こんなこともあった。
俺たちがいつもどおりお見舞いに行くと、

『お前らほんまに優しいなぁ。父ちゃんほんま幸せもんやわ。』

と言って父ちゃんは涙を流した。
初めて見る父ちゃんの涙・・・。
本当にいい父ちゃんだな・・・。
一週間がたち検査結果が出た。
医者があせってる。
なんか妙な胸騒ぎがした。
医者は話し出した。

『落ち着いて聞いてくださいね・・・。あなたたちのお父さんは肺がんです。いろんなところに移転してしまっていて・・・もう治ることは無いと思いますし・・・多分もって3、4ヶ月くらいだと思います・・・。』

その言葉を聞いたとき びっくりして動けなかったのは 今でも覚えている・・・。

その後家に帰って妹と一緒に泣き明かした。
泣いて泣いて泣いて泣いて・・・・・・。
父ちゃんともうすぐお別れと考えるだけで気が狂いそうだった。

そして次の朝、いつものとおり父ちゃんの病室へ行き父ちゃんの病気のことを告げた。
すると父ちゃんは、一瞬びっくりした顔になったが、すぐに笑顔になりこう言った。

『その病気はお前らにはうつったりはせんのやな??それはよかったよ。昨日ベッドでな、私はどうなってもいいですから、息子や娘にまでうつったりするような病気だけはやめてください。私が治って子供が苦しむような病気だけは絶対にやめてくださいってずっと祈ってたんやよ。いやぁ神さまっているんやなぁ。』

そう聞き、俺は部屋を飛び出し、トイレでずっと泣いていた。ずっとずっと・・・。
自分がこんな病気に侵されていても、それでもまだ子供を心配してる俺たちへの愛情に・・・。
どんだけいい父ちゃんなんだよ・・・。
父ちゃん・・・離れたくないわ・・・。

余命宣告されてから2ヶ月後、まだ元気な父ちゃんに俺と妹から携帯電話をプレゼントした。
父ちゃんは、

『これでお前らともどこ行っても話せるようになるんやなぁ。』

と言って喜んでくれていた。
父ちゃんはメールのやり方など、必死に覚えてくれて、毎日俺たちに電話してくれてた。
そして余命宣告から3ヶ月と少したったある日・・・医者から電話が入った。

『お父さんの容態が急変しました。いますぐ病院に来てください!』

俺は妹を連れて急いで病院に向かった。
父ちゃん死ぬな!!
そう叫びながら病院に向かった。
病院につき病室の扉をおもいっきり開けると・・・父ちゃんの顔には白い布がかぶされてあった・・・。
その場で泣いた。
本気で泣いた。
倒れこんで泣きじゃくった・・・。
父ちゃん父ちゃん・・・なんで死ぬんだよ・・・。

家に帰ると俺のケータイが光っていた。

未読メッセージ一件:父ちゃん

父ちゃんからのメール??
あれっ・・・さっき死んじゃったはずやろ・・・??
受信した時間を見てみると、驚くことに父ちゃんが死ぬたった14分前だった・・・。
そのメールにはこう書かれていた。

『大輔、友美へ
お前らを残して逝っちまうなんてほんま最低な父ちゃんだよな。ごめんな。許してくれ。ル大輔、友美。父ちゃん、お前らの父ちゃんでいれてほんまよかった。もう死んでも悔いはなんもないわ。ほんまにありがとうな。幸せになるんやぞ。』

父ちゃん・・・死ぬ直前まで俺らのこと考えてくれてたんだ・・・。
そして俺は返信をした。

『父ちゃんマジでありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。あんたは最高の父ちゃんだよ。これだけは胸張って言えます。本当にありがとうね。天国行っても俺ら見守っててください。』

俺は、二度と返信の返ってこないメールをもう一度読み返し、心からのありがとうを込めながら、送信ボタン押した。

たった一人の妹へ

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2013年2月14日 12:11
  • 家族

一昨日妹が死んだ。
原因は居眠り運転の車にはねられての事だった。
年齢はまだ23歳と若くこれから楽しい人生が待ってたはずなのに。

小さい頃両親が交通事故で無くなり兄妹離れ離れで暮らさなければ成らなかった。
生活能力の無い俺達にとってそれはごく当たり前の事だったと思う。
俺はその当時17歳妹は12歳だった・・・。

俺は父親方の親戚に引き取られ、妹は母親方の親戚に引き取られていった。
2人とも引き取られたのは良いが、やはり他人が家に来ると言う事は、受け入れがたい部分も有ったのだろう、俺はそれ位の事は重々承知している。

ただ12歳と幼かった妹にとっては非常につらかったと思う。
俺は何とか我慢をして生活していく事は出来たが、ある日俺の親代わりの親戚の父親が妹は親戚を盥回しされているんではないかと、夫婦で話をしているのをふと耳に入れた。
いてもたってもいられず、その親戚の家に電話をしたら

「もう他の家に預けた。」

と言う。
俺はその親戚に

「何でちゃんと見てくれないのか?」

と問いただしたら、

「大人には大人の事情がある!」

その一言でかたずけられてしまった。
そう言われた俺は、ただただ悔しくて悔しくて泣いた。
自分の無力さを恨んだ。
両親が交通事故で亡くなり、唯一の肉親がたった一人の妹だった。
そんな妹を毎日毎日

「泣いてはいないか?」
「元気にしてるのだろうか?」

と毎日思っていた。
そして俺が高校を出て21歳に成り就職を機に一人暮らしを始めるとともに妹を

「俺の借りているマンションに一緒に住まないか?」

と言ったら、妹はすんなりと受け入れてくれた。
こうして一緒に住むことが決まりその日の夜に、これからとこれまでの生活の事を話し合った。
妹はやはり親戚の家ではあまり良くない扱いを受けていたそうで、俺のこの話を聞いた時、その家で嬉しくて泣いていたと言う。
やっとこの生活から開放されるんだと。

それからの俺の生活は大変だった。
お金が無く公立高校にしか行かせてやれなかったが、普通に高校生として生活させてやりたいと、必死になって働いた。

毎日毎日働いた。
やりたい事もせず、俺の事は置いといて何よりも妹のために頑張って働いた。
こうして妹が高校を卒業して就職が決まり、その日は2人でささやかなお祝いをした。
あの小さかった妹が、大きくなりこうして俺の前で笑ってる。
俺は涙が出そうになった。

その時妹が、小さく小さく聞こえるかどうかの小さな声で、

「ありがとう。」

と言ってたと思う。
本当にそう聞こえたかどうかは分からないが、その時俺はそう聞こえたと思いたい。
そしてある日妹が父の日だからとネクタイをプレゼントをしてくれた。
俺は、

「なんで父の日にプレゼントなんだよ~。」

って笑って聞いてみたら、妹が

「両親が亡くなって代わりにここまで育ててくれたお兄ちゃんがお父さん代わり。」

なんだと。
俺はそれを聞いて嬉しかった。
両親が亡くなり妹のために何も考えず必死に働いてたから・・・。
そういった心から嬉しがる事が無かったから非常に嬉しくてトイレで妹に気付かれないように声を殺してクゥクゥ泣いた。

ネクタイを締めて見せてくれとせがむ妹に恥ずかしいからと必死に断わった事を今更遅いが悔やんでいる。
何故あの時妹に見せてやらなかったんだと。
今でも妹のふくれっつらが目に浮かぶ。

妹の事故に遭ったと連絡を会社で聞いた時、最初は何がなんだか理解できなかった。

病院に駆けつけた時には既に息を引き取った後だった。
眠るようにベッドに横たわる妹の顔見た時、俺は嘘だと思った。
何でなんだと。
両親が亡くなり兄妹離れ離れに暮らすはめになり、挙句の果てに親戚に盥回しにされ、邪魔者扱いを受けて暮らしていた妹。
こんなにも不幸な暮らしを受けて生きてきた妹にやっと見つかったと思う幸せな日々。

妹が

「お兄ちゃん、今まで見守ってくれててありがとう。私は十分幸せだから今度はお兄ちゃんが幸せになってね。」

と言ってくれていた優しい妹に、何でこんな仕打ちが有るんだと!!
俺の幸せなんかお前の後で十分なのに、何でお前が先に逝くんだと・・・。
何で両親ならずたった一人の妹までこうなるんだと、俺は病室で妹の顔を見ながらそう思った。
俺の幸せなんかお前の後で十分なのに、何でお前が先に逝くんだと・・・。

葬式には俺の友人・妹の友人とその彼氏。あと優しくしてくれた親戚の者だけで静かに行いました。
たらい回しにした親戚も来ていて

「残念な子を亡くしたね。」

っと言った時に俺は怒った!
激しく怒った!
小さい頃に邪険に扱っておきながら何を今更と、何であの時優しくせずに今そんな言葉をかけるのかと。
それを言うとその親戚の人達は何も言わずその場から離れた。
今思えば少し言い過ぎたかもしれないけれど、その時優しくしてくれてれば、妹はもっとましな人生を送っていたかもしれないと思うと、俺は悲しかった。

友人や親戚には言えないのでここで妹の事を少し話したい。

妹は俺が病気のと時に必死で心配してくれていた優しい子だった。
妹はつらくっても中々俺に相談しない繊細な子だった。
妹の高校の卒業式には両親の遺影と一緒に参加した。
妹がご飯食べて帰るなら連絡しろって事を忘れて外で食って帰った時には怒られた。
妹に怒鳴りつけて泣かせた事もあった。
妹の帰りが遅いと怒りその事で喧嘩もした。
妹に彼氏が出来たと聞いて複雑な気持ちになった。
妹が泣いてた時も一生懸命話を聞いてあげた。
妹との色々と書き込めないくらいの思い出が一杯有った。

これからも喧嘩もしながら兄妹仲良く暮らして行きたかったけど妹はもう居ない。
結婚の挨拶に妹の彼氏が来たら追い返そうと思ってたけど、それすらもう出来ない。
それでも俺は当たり前の事だけど、これから妹の居ない生活を生きていかなければならない。
妹の言葉通り精一杯生き、そして幸せになる事が妹への最高のはなむけになると俺は信じている。

俺は無神論者だけどこれだけは言わせて欲しい。
この世に神様が居るとしたらあの世で妹が幸せで有る事を切に願う。
来世でも妹に会え、その妹が人並みの幸せな暮らしが出来ることを願う。
今度生まれ変わってもまたあの頃と同じ家族で出会いたいと俺は願う。

最後に俺の家族へのメッセージを言わせてください。

お父さんへ
「こんなに立派になりました。妹の事よろしく。」

お母さんへ
「あなたの息子は精一杯生きています。先に逝った妹を可愛がってください。」

妹へ
「いろいろと迷惑かけたけど、安心してください。そちらに逝った時にはまた兄妹として仲良くしよう。」

最後になりますが皆さんへのメッセージを大きな声で言わせてください。

「ありがとう。」

カラオケ誕生日パーティー

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2012年12月15日 12:01
  • 家族

20年以上前にテレビで見た実話。

パパ、ママ、小学生3人の3姉妹の仲良し5人家族。

ある日ママが交通事故で死んじゃうんだ!

慣れない家事にお父さんも奮闘。
タマゴ焼きを焦がしたり、洗濯物をシワだらけにしたり・・・。
失敗しながらも笑顔で幼い3姉妹を育てます。

そんなお父さんのささやかな楽しみはお風呂に入りながら唄うこと。
いつも

『カラオケボックスで思い切り唄いたいな~。』

と言いながら・・・。

お父さんの誕生日の数日前、3姉妹は3人で集めた貯金箱を持って通学路の途中にあるカラオケボックスへ。

『予約できますか?』

受付にいた若い女性店員は怪訝な顔で店長を呼びます。
この店長さん、いつも通学途中の3姉妹を見守っていました。
そして

『お母さんは?』
『死んじゃった!お父さんしかいないの・・・。』

続けて

『お父さんの誕生日会をしたいのです!』

現在と違い当時のカラオケボックスは高かったのです。
持参したお金では到底足りません。
全てを悟った店長は

『解りました、協力しますよ。』

誕生日会当日、早くから個室を貸してくれたので、3姉妹揃って飾り付け。

時間が来たのでお父さんを呼びに行く3姉妹。
幼い3姉妹とお父さんの誕生日パーティが始まります。

お父さんも唄ってビールを飲んで・・・(^^)
3姉妹もアニメの曲を歌ったり、踊ったり、楽しい時間を過ごします。

パーティが終わり帰り際、お父さんはフロントに精算に行きます。
お父さんも3姉妹の持参した金額で不足なのは、もちろん知っていたのです。

そこで対応した店長さん。

『会計は終わっています。娘さんから頂きました。』
父さん『足りないでしょう?』
店長『いいえ!充分頂きました。そしてお金以上の物を私たちも娘さんから頂きました。こちらこそありがとうございます。』

楽しそうに帰る家族を見送った後、店長と従業員は号泣!

お父さん、3姉妹、店長と従業員、みんな幸せな時間を過ごしたそうです。

10歳下の妹

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2012年12月12日 11:08
  • 家族

俺には妹がいるんだが、これが何と10も年が離れてる。
しかも俺が13、妹が3歳の時に母親が死んじまったんで、俺が母親代わり(父親は生きてるからさw)みたいなもんだった。
父親は仕事で忙しかったから、妹の世話はほぼ俺の担当。
飯食わせたり風呂入れたり、つたないながらも自分なりに一生懸命やってたと思う。

妹が5歳の時のこと。
保育園に妹を迎えに行ったら、なぜか大泣きしてやがる。
その日、お遊戯会の役を決めたんだが、妹はやりたかった役になれなかったらしい。

「まあそれは仕方ねーだろ、あきらめろ。」

と最初は諭してたんだが、よく話を聞いてみると、どうもおかしい。
劇にはいろんな動物や妖精や探検家?が登場するらしく、女の子の一番人気は妖精。
妹も当然妖精がやりたかったようだ。
希望者多数だったので、決定は恨みっこなしのジャンケンにゆだねられるも、妹は見事勝ち抜いて妖精5人のうちの一人に選ばれた。

ところが、先生が

「○○ちゃん(妹)は動物の方がいいんじゃない?」

と妹を妖精役から外したという。
そんな馬鹿なと思いながら、俺はすぐに保育園に電話して確かめた。
そこで分かったのは、劇の衣装は保護者が作らなければいけないこと。
そして、妖精のひらひらの衣装はとても難しく、俺の家では無理だと判断され、お面などを作れば済む動物役に妹が割り振られたことだった。

先生も悪気があった訳じゃないんだろうが、俺は妹に母親がいない引け目をなるべく感じさせたくなくてそれまで頑張ってきただけに、かなりショックで、妹にも申し訳なかった。
それで、裁縫なんて家庭科実習とボタン付けくらいしか経験がなかったくせに

「絶対にちゃんと作るから、妹を妖精役にしてやってくれ。」

って頼み込んだ。
結局、先生が根負けして妖精は6人になった。

それから、俺は放課後になると学校の家庭科室に通い詰めた。
家にミシンなんてなかったし、保育園からもらってきた材料と型紙だけじゃ全然意味不明だったから、家庭科の教師に教わりに行ったんだ。
受験生だったし、教師も同情して

「作ってあげる。」

って言ってくれたけど、俺は意地でも自分の手で縫い上げてやりたかった。
ほかの子と同じように、家族が愛情込めて作った衣装で舞台に立たせてやりたかったんだ。
2週間ほとんど掛かりっきりになって、ようやく衣装は完成した。
スパンコールをたくさん縫いつけた、ふんわり広がるスカートに、レースを使った羽根、花の形の襟元。
縫い目なんかはよく見るとガタガタだったんだけど、普通に着てる分には、他の子と全然変わらなかったと思う。
初めて妹に見せた時の歓声は今でも忘れられない。
着せてやった時の最高の笑顔も、本番の舞台でのまじめくさった顔も、その夜、衣装を着たまま寝ちゃった寝顔もずっと覚えてる。

実は妹が近々嫁に行くことになってさ。
こないだ、披露宴で流すビデオに使うとかで、小さい頃俺が撮ってやったビデオごっそり持ってったんだけど、あのお遊戯会の映像流れたらやばいw
確実に泣くww

妹は多分衣装のこと覚えてないし、映像は俺が号泣してたせいでぶれまくりだから大丈夫とは思うが・・・。

まず、報告が遅くなって申し訳ない。

5月の予定だった妹の結婚式は、結局先週ようやく挙げられた。
俺の入院のせいで延期させてしまって、ほんと申し訳なかった。
兄貴として情けない、最後の最後で妹の幸せを邪魔するとは。

妹は綺麗だった。
本当に綺麗で綺麗でまぶしくて立派で輝いてて、でもなんか俺がつききりで世話してたころのちびの顔そのまんまな気がした。

何でかな、大きくなってからはあんまりそんなこと感じなかったのに、ウェディングドレス着て完璧にメイクしてるのに。
見れば見るほど泣きべそかいてたちっちゃいころそのまんまで、思わず笑ったつもりが号泣してしまった。
絶対泣かないとか無理に決まってるのに強がってた俺が馬鹿だった。
しかも最後に、

「これが一番の宝物、嫁入り道具に持っていく。」

って、あのときの衣装だった。

大きくなったら

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2012年10月11日 12:35
  • 家族

我家は母子家庭。
もちろん裕福ではないけど、つつましく暮らせば生活に困るような事もないような家庭のつもりだったのですが。

ある日、元々指輪など装飾品にそれほど興味のなかった私が珍しく超々安物の指輪を気に入って購入した夜。

私「ねえ、これかわいいでしょ~?」(本当に気に入ってたから。)
小4の息子「買ったの?」
私「うん、どう?」
息子「高かった?」
私「まっさかーー、500円だったかな。」

その後、何故か息子は下を向いて黙ってしまいどうしたのかと思ってたら

「俺が大きくなったら、すっごい高い指輪買ってあげるから。」

って涙ふきふき言われてしまいました。

買えないから買わないのももちろんあるけど、我慢するほどそういうのが欲しい私ではなかったのに息子は、きっと勘違いしちゃったんだろうなって。
でもそんな気持ちが嬉しくて、私も泣き笑いしちゃった。

これから先、何があってもこの子がいてくれたら乗り越えていける、って改めて思わせてくれた夜でした。

姉の荷物

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2012年10月11日 12:32
  • 家族

大学を卒業し就職が決まり、一人暮らしのアパートを引っ越すことになった。
友人数人と、電車で1時間半ぐらい離れた実家から姉が手伝いに来てくれたのだが、なぜか姉はデカイ荷物を持ってきた。

「???」

と思いつつ作業を開始し、昼飯時。
コンビニや食べ物屋に行くのも大変な田舎のこと。

しかし俺は見栄はって、仕出屋に寿司の出前を頼んでおいた。
友人らには大好評。
夕方前には引越し終了。
新居でひとまず落ち着いて、友人らも帰っていった。

が、最後まで残っていた姉が、例のデカイ荷物をもったまま帰ろうとする。

「あれ?そんなでかい荷物をまった持って帰るん?引っ越し祝いか何かじゃないのか?」

と問い詰めても言葉を濁すばかり。

じれったくなってむりやり荷物を奪い中身を見ると・・・大量のオニギリだった・・・。

「引越しで台所も片付けてるし、みんなお昼に食べるものないだろうと思ったんだけど・・・。すごいお寿司とか出てきたから、出しにくくなっちゃった。」

恥ずかしそうに苦笑する姉。
俺は泣きそうになった。
あんな重い荷物をわざわざ1時間半もかけて電車に揺られもってきてくれた姉。

もちろんその後オニギリは全部ひきとって、ラップにくるんで冷凍保存し、一週間かけて全部食べた。
あんなに最高にうまいおにぎりは初めてだった。

母さんの誕生日

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2012年9月28日 20:02
  • 家族

社会人になって初めて迎えた母さんの誕生日。

「いつもありがとう。」

ってプレゼントを渡したかった。
でも照れくさいし、もし選んだプレゼントが気に入ってもらえないと怖かった。

だから

「選ぶのめんどいから。」

って嘘ついてデパートに連れて行って、

「何でもいいから適当に買えよ。」

とぶっきらぼうに言うと、

「高いエプロンだけどいい?」

とおずおずと見せに来て、値札見たらたった3000円。

「こんな安物かよ。」

とひったくって後ろ向いて、泣きそうな顔を見られないようにレジに走った。

服でもバックでも、ほかに何でもあるだろ、財布の中に給料全部入れてきたんだぞ!って。
涙が出たけど、トイレで急いで顔洗って、そ知らぬ顔で袋を渡した。

そしたら、母さんがうれしそうにそれを抱きしめたのを見て、また泣きそうになった。

いまでも帰るたびにそのエプロンつけて飯作ってくれて、ありがとう。
ほんと美味いよ。
世界一だ。
いつも素直になれなくてごめん。
マザコンでもいいよ、母さん大好きだ。

生まれたときから

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2012年9月27日 15:53
  • 家族

初めてのあかちゃんに無我夢中だった。
ろくに眠らず、夜鳴きもひどかった娘。

へとへとに疲れはてて、抱っこでゆすりながら

「あんたはママを苦しめたいの?ほんとにひどい子だ。」

と悪態をついた日々。

赤ん坊の気持ちなんて、全然わからない。
母親の自信なんて、みじんもない。
ただ、もがくだけの日々。

あれから数年たって、娘は五歳になった。

「あのね、ママ。」(もじもじ)
「なぁに?」
「あたしね、ママのこと、生まれたときからすきだったの。」

あの頃の私が一番聞きたかった言葉。
やっと聞けた。
こっそり台所で泣いた。

突発性難聴と診断された妻

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2012年9月27日 15:48
  • 家族

長文だが投下させて下さい。

昨年、突発性難聴と診断された妻。
病院に通って服薬治療を続けてきた妻だったが、とうとう先週

「このままの聴力で安定して行くでしょう。」

と言われて帰って来た。

「きっとショック受けてんだろうなー。」

と家に帰ったが、いつも通りのあっけらかんとした妻だった。

「私、手話覚えるしかないかなー。」

なんて笑いながら話してた。
(静かな場所であれば、響く様な感じだが聞き取れるし話せる程度。)

夜子供が寝た後に、これから必要になるかも・・・?と、二人でゴロゴロしながら筆談をしてみた。

最初は他愛もない話だったんだが、いきなり妻が

「ごめんね。辛くなったらいつでも言ってね?私こんなんになっちゃって、いつでも離婚しても良いと思ってるよ。」

って書いた。
つい大きな声で

「お前離婚したいのか?!耳が聞こえない位で離婚するわけないだろ!バカか!」

って言ってしまった。
妻はかぼそい声で

「出来る事、一生懸命やるから、頑張るから捨てないでね・・・。」

って泣いた。
妻がこの件で初めて泣いたのを見て、俺も泣いた。
ずっと我慢してたんだって。
不安だったろうな、辛かったろうな・・・。

抱き合って泣いてる俺達にびっくりして起きてしまった2歳の娘が、

「おか~しゃん おと~しゃん 泣かないの。ヨチヨチ。」

ってしてくれた。

この温かい家族をこれからも俺が守って行こうと思ったよ。

ドラゴンバスター

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2012年8月23日 01:37
  • 家族

小1の頃、ばあちゃんに旅行の土産にと「ドラクエ2」を頼んだ。
でも買ってきたのは黄金に輝くソフト「ドラゴンバスター」。

当時60歳くらいだったばあちゃんにはそんな違いわかるはずも無いのに、俺はばあちゃんが憎くて、

「ばあちゃんなんか嫌いだ!!」

といってその日は一言もばあちゃんと話さなかったっけ。
物心ついたときから毎日いっしょに寝てたばあちゃん。
でもその日だけは両親と一緒に寝たんだ。
ばあちゃんその日は寂しかったろうな。

んで、次の日学校から帰ってしょうがなく「ドラゴンバスター」をやってみた。
そしたらこれが以外に面白い。
夢中になって遊んでいるとばあちゃんが突然部屋に入ってきて、

「ごめんなぁ。○○○。ばあちゃん馬鹿だがらわがんねくてよぅ・・・。(山形弁)」

俺はゲームに夢中で

「もういいから!入ってくんな!!」

って言ってしまった。
そう言われた時のばあちゃんほんとに悲しそうな顔してた。

でも、「ドラゴンバスター」が面白かったから怒りなんてとっくに忘れて、その日はいつもどおりばあちゃんの部屋に行った。
布団に入るとばあちゃんがぎゅっと抱きしめてくれた。
俺はその日ばあちゃんに抱きしめられながらばあちゃんの腕枕で眠った。

ばあちゃんが死んでもうすぐ5年。
ばあちゃん、あの時は本当にごめんね。
急病で亡くなったばあちゃんに俺は何もしてあげられなかったけど、一人暮らししている今でもあの「ドラゴンバスター」は大事に持ってるよ。

ばあちゃん、いろんな思い出をありがとう。

馴染みのラーメン屋

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2012年8月 6日 08:24
  • 家族

昨日珍しく俺は母ちゃんを外食に誘った。
行き先は昔からよく行く馴染みのラーメン屋だった。

俺は味噌大盛り、母ちゃんは味噌並み盛りを頼んだ。

「昔からここ美味しいのよね。」

って、柄にもなく顔にシワよせて笑ってたんだ。

ラーメンが出来上がると、俺も母ちゃんも夢中で麺をすすってた。
あんまりにも母ちゃんがニコニコしながら食べてるもんだから、俺もつられて笑っちまったよ。

しばらく経って、ラーメンを食い終わった俺はふと母ちゃんの方を見たんだ。
ラーメンの器に浮かぶチャーシューが一枚、二枚、三枚・・・。
そのチャーシューを捲ると麺がまだ沢山余ってた。

母ちゃんは俺の方を申し訳なさそうに見て、

「ごめんね、母ちゃんもう年だから。ごめんね。」

と繰り返してた。

「んなもんしゃーねーべ。」

と言うと、俺は母ちゃんの残したラーメンをすすった。

そういやガキの頃、よく無理して大盛り頼んで、結局食べきれなくて母ちゃんに食ってもらってたっけ。
いつの間にか立場も逆転。
あんなに若かった母ちゃんの顔も今じゃシワだらけで、背丈も頭一個分違う。

そのシワの数程今まで散々迷惑掛けたんだろうなって思うと、悔しさと不甲斐なさで涙が出てくる。
母ちゃん、こんな俺を今まで育ててくれてありがとう。

ハンバーグの味

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2012年7月25日 08:51
  • 家族

俺の母さんは、生まれつき両腕が不自由だった。
なので料理は基本的に父が作っていた。
ただ、遠足などで弁当がいる時は、母さんが頑張って作ってくれていた。

でも、小学校6年の時の遠足で、見た目が悪い母さんの弁当を見られるのが嫌で、とうとう

「弁当はコンビニで買っていくから、この弁当はいらない!!」

と言ってしまった。
母さんはそんな馬鹿な俺に、ただ、

「うまく作れなくてごめんね。」

としか言わなかった。

時は過ぎ、小・中は給食だったのだが、高校になってからは給食はないのでいつも昼は購買のパンですませていた。
しかし、高校2年になったある日、母さんが弁当を作ると言い出した。
それは遠足の時に作ってくれたものとは、見た目も味も段違いに良くなっていた。
不自由な手で、一生懸命作ってくれたのだ。

と、思ったのもつかの間。 肺炎で入院したかと思うとぽっくり逝ってしまった。
弁当を作り始めてから3ヶ月しか経たない内に。

母さんが死んだ後、親父から聞いたのだが、どうやら母さんは俺の為に、定食屋をやっている知り合いの所に一年間料理を習いに行っていたらしい。
そして後日、その定食屋に行って見た。

定食屋の人と俺は直接、関わりは無いけれど、優しそうな人だった。
そして母がよく弁当に入れていたメニュー、ハンバーグ。
それの定食を頼んだ。
そして、それを口にしたとたん、ぼろぼろと涙がこぼれてきた。

たった3ヶ月しか食べられなかったけど、たしかに母さんのハンバーグの味にそっくりなのだ。
腕がまともに動かせないのに、頑張って作ってくれた、あのハンバーグの味。
形は少し不細工だったけど、とても美味しかった、あの、ハンバーグの味。

生まれてきてくれてありがとうね

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2012年7月 4日 02:10
  • 家族

194 :癒されたい名無しさん:2009/10/05(月) 05:54:14 ID:Eljg/jzH
母の泣ける話になるかどうかはわからないけど、誰かに聞いてもらいたい。

私は母親です。
出産後、まもなく子どもが小児がんだとわかり、入院生活が始まりました。
小児がんの中でも難しい症例で、1歳の誕生日を迎える事は難しいだろうと言われました。

厳しい闘病生活も、何も知らない赤ちゃんってすごいです。
普通に笑ってけろっとしてました。
でも、すごく頑張ったけれど病気は治らず、息子は、たった1年半でこの世を去りました。

息子の最後の一ヶ月は痛みとの闘いでした。
わずか一才の息子にモルヒネを飲ませるなんて・・・。

亡くなる直前、腫瘍は全身に転移して昏睡状態になりました。
動けない息子の体を撫で、大丈夫だよ、大好きだよって、ばかみたいにそればっかり繰り返しました。

アンビューで自発呼吸が戻らなくなった頃、

「お母さん、最期に抱っこしますか?」

と聞かれました。
頷き息子の体を抱き上げました。
お腹は腹水でぱんぱんに膨れ上がり、腫瘍熱で体は40度を超すほど熱く、手足は氷のように冷たい、小さな体を抱いた。

よく頑張ったね、私をあなたのお母さんにしてくれてありがとう。
あなたが生まれてきてくれた事は、私の人生で一番の幸せだったよ。
大変な事もいっぱいあったけど、ほんとに楽しかった。
助けてあげられなくてごめんね。
偉かったね。
ママの自慢の○○。

生まれてからたった1年半。
そのほとんどが闘病でした。
髪の毛もまゆげもまつげもつるつるになるほど治療したのに結局治せなかった。
あんなに苦しい思いをさせてごめんね。
私があなたを産まなければ、あなたがこんなに苦しむ事はなかった。

195:癒されたい名無しさん:2009/10/05(月) 05:57:16 ID:Eljg/jzH
だけど、勝手でごめんね。
きっと運命だったんだって思うんだ。
あなたに出会わない人生なんて絶対なかった。
私は本当に、本当にあなたの事が大好き。
あなたのママになれて、最高にハッピーです。

火葬の時、あなたの体を担いで逃げようと本気で思ったよ。
人の目ばっかり気にして生きてきたけど、誰に何て言われてもいいって、初めて思った。

だけど、あなたの体を見て、あぁ、もうここには居ないって、すとんと何かがわかったの。
骨になったあなたと家に戻り、骨壺を開けてひとかけら食べちゃった。
また一つになりたかったのかな。

母親の愛情ってすごいです。

親って、子供が思うよりも未熟で、みっともないくらい勝手だから、子供の立場から見ると腹が立つ事も多いと思う。
無事に生まれてくれればって思ってたのに、五体満足で生まれてしまえば今度はどんどん欲が出てくるんだよね。

だけど、子供を生んだ時、その子を初めて抱いた時のことを忘れる母親はいないと思う。

子供を置いて出てったとしても、認知症で記憶をなくしたとしても、きっと、いつか見た幸せな夢のようにずっと体に染み付いてる。

どれだけその命が祝福されて生まれてきたか、生きていてくれる事がどれだけありがたいか、もし、ここをみてるあなたのお母さんがそのことを伝え忘れているのなら、私が代わりに言わせてもらいます。

生まれてきてくれてありがとうね。
私をあなたのお母さんにしてくれてありがとう。
かわいくてかわいくて仕方なかった。
あなたが笑ってくれたらそれだけで疲れなんてとんでったよ。

生きていてくれてありがとう。
あなたは、私に対して後悔なんてする事ないんだよ。
なんにも心配しなくて大丈夫。
幸せになる道を選んで生きてください。
あなたの幸せが、なにより私の幸せです。

長文&微妙にスレチすみません。
2ちゃん初カキコなためいろいろ問題あるかもですが、読んでくれてありがとう。
みんな幸せになってね。

嫌いだった兄の話

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2012年6月25日 01:05
  • 家族

71 :ローカルルール変更議論中@VIP+:2009/04/17(金) 14:36:28.98 ID:+xML+o0X0
今時の若者とは思えないほど真面目で頑固な兄がいた。
兄は一流大学を目指し、来る日も来る日も勉強に明け暮れていた。

小さい頃、私はお兄ちゃんっ子で、毎日馬鹿なことして遊んでいた。
一緒にお風呂も入ったり、近くの川で魚を捕まえてこっそり二人で飼ったりもした。
夜は二段ベッドに寝て、面白かったアニメや漫画の話をした。

もはやそんな昔の面影は無くなって、常に自分のことを考えトップに立とうとしていた。
誰からの力も借りず、自分だけを信じ勤勉に励んでいた。
県でもレベルの低い高校に通う私を見下すような目で見る兄。

私はそんな兄が嫌いになった。

本命校受験の一週間前から兄は部屋から出なくなり、食事も取らず一心不乱に勉強をしていた。
さすがの兄もプレッシャーを恐れていたのだろう。

私はそんな兄にあるものを買ってきた。
期間限定で発売された合格祈願のスナック菓子のカールだ。
神経が張り詰めている時、こういったユニークなもので少しでも兄の気持ちを和らげられれば、と思った。
カタブツの兄は嫌いだったが、心の奥ではまた昔の時のように仲良くしたかった。
兄は無言で受け取った。
返されると思っていた私は嬉しかった。

そして試験は無事終わり、兄は見事本命大に合格した。
家族全員でお祝い、外食に出かけた帰りの車の中で私は兄に言った。

「私のあげたカールのおかげだね。」

兄は面白くなさそうな顔で一言。

「食べないで捨てた。」

ショックと言うよりは腹が立ってしょうがなかった。
同時にもうこの兄とは昔のような仲には戻れないと思った。
プツリと兄との繋がりが切れたような気がした。

きっと大学でも馬鹿みたいに勉強漬けで、卒業後は一流会社に就職しエリートまっしぐらのつまらない人生をおくるのだろう。
ああこの兄にはピッタリだ。

それから3ヵ月後。
兄が交通事故に遭ったとの連絡が入った。
両親と病院に駆けつけた時、兄はもう息絶えていた。

ああ、なんてあっけない死を迎えたんだろう。
つまらない兄にはこんな人生がピッタリだったんだろう。
涙は出なかった。
まだ腹が立っていた。
あんな兄の為にどうして私が涙を流さなきゃならないんだ。
そんな残酷なことを平気で思える自分にも嫌気がさした。

葬式を済ませた後、母と一緒に兄のアパートに向かった。
遺品整理をするためだ。
気が進まなかったが母一人では大変なのでしょうがない。
真面目で几帳面な兄らしく、部屋は気味悪いほど綺麗に片付けられていた。

本当にゴミ一つなかった。
母が衣服を整理している間、私は兄の勉強机の中を片付けるよう言われた。

(もしかしたらお金でも入っていないかな、あったらネコババしてやろうか。)

一番上の引き出しには受験関係の書類が残されていた。

本命の合格報告書 も入っていて、顔に出さない兄もやっぱり嬉しかったんだと思った。

報告書の封筒を開けて、私は一瞬息が止まった。
丁寧に折りたたまれた菓子の袋が入っていた。
私があげた、カールの袋だった。
涙が止まらなかった。

父、関白宣言&父、手紙

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2012年6月23日 16:55
  • 家族

12 名前:彼氏いない歴774年:2006/04/03(月) 14:08:36 ID:KXcebzsM
あるとき、父から

「夕方、父の会社に寄れ。」

とメールがきた。
帰宅途中、父の会社に寄ると、特大の花束とケーキを持った父が待っていた。
母の誕生日プレゼントだったらしい。

「お母さんの誕生日だから、お前が持っていきなさい。」

と言われたので、

「私、もうプレゼントあげちゃったから、二度もプレゼントあげたら怪しむよ。お父さん、自分で持っていきなよ。お母さんも喜ぶよ。」

と言うと、

「お父さんはな、関白宣言なんだよ! 嫁の誕生日にプレゼントなんて、そんなジュワジュワしたことできるか!!」

と、言われた。
ちなみに後日、母に

「あのケーキと花束は父からだったんだよ。」

と教えると、

「知ってたよー。お父さん、ポケットにレシート入れっぱなしだったもの。」

と母は笑ってた。

610 :彼氏いない歴774年:2009/05/31(日) 01:51:44 ID:wDP9DNSf
急に思い出したので投下。

小学1、2年の頃、友達や弟と段ボールとか、身近にあるいらないもので秘密基地(ダンボール小屋みたいなやつ)作るのにハマってた。

ある日、家の居間の中に弟と秘密基地を作った。
我ながら力作だったので、そうだポストもつけよう!と思って、ビニール袋に

「てがみをいれてね。」

って書いておいた。
何となく付けたので、手紙が欲しかったわけではない。

いつもなら作って一通り遊んだら潰してしまうんだけど、その基地は力作だったし、翌日が休みだったので、母に頼んで一晩居間に置いてもらうことになった。

翌朝、潰される前に遊ぼうと思って、いつもよりめちゃくちゃ早く起きた。
居間に行って秘密基地を見たら、ポストに手紙が入ってた!

「お母さんかな!?」

と思って(母は子供の遊びに協力的だった)、ドキドキしながら見たら、

「○○ちゃんへ、お父さんより。」

と書いてあった。
父は優しいけど不器用で、そんなことしそうになかったので子供ながらに驚いた。

手紙には、勉強がんばってるねとか、お姉ちゃんとして弟の面倒みて偉いね、とか普段言わないような言葉が並んでて、最後に

「お父さんは、がんばり屋さんの○○ちゃんが、だいすきです。」

って書いてあった。
小さかったけど泣きそうになったよ。

なんだか照れ臭くて、父が起きてきてもその手紙の話はしなかったし、父も触れなかった。

それから十何年も経つけど、父にそんな言葉をもらったのはそれ一度きり。
おかげさまで未だに仲良しです。

手抜きカレーのうた

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2012年6月21日 08:53
  • 家族

742 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2012/05/15(火) 20:01:37.01 ID: Be:
嫁が死んで半年、なんとか子どもの前で泣かずにやってきたけど今日とうとう涙腺が決壊してしまった。

昨日仕事終わって帰ってきたら、台所からカレーのにおいがする。
長女(小6)と次女(小4)の声もする。
今日は俺の母は所用で我が家に来られないはず。

「包丁と火は婆ちゃんのいる所で使うこと。」

と言ってあるので家事しようと思う心がけはいいが、一応注意しようと台所にいったら長女がなんか歌ってる。

「今日のごはんは手抜きカレー 肉と野菜を鍋にいれ♪

水とブイヨン、ルーいれて 最後に愛情かくし味♪」

だってよ。
なんだよ、それ結婚する前に、当時住んでたアパートでカレー作った時歌ってた奴じゃん。
ちゃっかり娘に教えてるんじゃねーよ・・・。

ボロボロ泣いてる俺を見つけて、子どもたちも泣いてしまい、料理中断。
3人でわんわん泣いた後、

「今日のカレーしょっぱい。」

って言いながら食ったよ。

愛情、しっかり入ってた。
つか、効きすぎたばーか。

妹とたまごやき

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2012年6月19日 02:44
  • 家族

344 Mr.名無しさん(※344) 05/01/30 19:33:46
妹が別れて、落ち込んでます。

付き合って3年、うちにもきてたなかなかいいやつだったんだけど。

どうしたらいいかな?

345 Mr.名無しさん 05/01/30 19:36:51
まあ時間が解決するしかないからなあ。
話したそうだったら聞いてやれ。

とマジレス。

346 Mr.名無しさん 05/01/30 19:37:19
話聞いてやれ。

347 344 sage 05/01/30 19:40:23
俺さ、兄として自信ない。

妹はいつも明るくて、二人でがんばってきた。
あんなに泣きながら部屋に閉じこもったら・・・どうしていいかわからないよ;;

話ききにいくのって、やぼじゃないかな??
とりあえず、好きなケーキかってこようかな;;

348 Mr.名無しさん sage 05/01/30 19:43:21
>>344
ケーキくらいはいいかもな。
お前いいやつだな。
かかわり過ぎないように、過敏にならないように、がんがれ。

349 344 sage 05/01/30 19:47:21
とりあえず、ケーキ買ってくる;;
いっぱいあったほうがいいよね。

話ききたいけど。。

「お兄ちゃんなんか、恋愛わからないじゃない!!」

とか、あたられたら、俺、生きてけないよ;;

いってきます。
そろそろショートケーキかな。。

351 Mr.名無しさん sage 05/01/30 19:52:09
いってこい。

こんなに買って来て!
いらない!
お兄ちゃんなんか恋愛わかんないでしょ!
ショートケーキきらい!
とか言われちゃうのが毒男品質なんだから、まあそこらへんは落ち込むなw

352 344 05/01/30 20:05:01
財布忘れた~~><

もっかいいってくる~~。

354 Mr.名無しさん sage 05/01/30 20:06:16
>>344
お前って・・・。

355 344 05/01/30 20:33:06
ただいま。
いっぱい買ってきた。
2000円分てきとうに、詰めてもらったよ。

さて・・・これから怪しいふいんきの部屋にいくのだが・・・。

①ノック 「ケーキ置いとく」っと言って、逃げてくる。
②ノック 「ケーキ食べないか?」っとしんみり誘う。
③ノック 「ケーキ買ってきたよ~ん♪」と、明るさ振りまいてみる。

どれがいいorどうすればいいかな;;
お湯沸かすね;;

356 Mr.名無しさん 05/01/30 20:36:49
いっぱいで2000円とは安いなw
つーか、電車男じゃねーんだから、毒男になんか相談しないで兄貴らしく考えろ。

359 344 05/01/30 20:42:00
ここで質問したのがダメだったのか;;
長年ここの住人だったのに;;

とりあえず、お湯沸いたから、紅茶はいったよ、ケーキ食べようって声かけてきます・・・。

亜空間があるよ。

361 Mr.名無しさん 05/01/30 20:44:19
あ?くうか?ん??

362 346 05/01/30 20:44:36
妹=萌えーって香具師しかいない毒板で、妹をマジでなぐさめる方法聞いてもさ・・・。

366 Mr.名無しさん 05/01/30 21:11:14
>>344
もう逝ったのか?
ま、普通に声かけろや。
拒絶されるようなら、ドアの前かキッチンに置いといてあげりゃいい。
or
両手いっぱいにケーキ抱えて妹の部屋に珍入し、一人でケーキにむしゃぶりついて退室汁。
  _, ._
(; ゚Д゚) う~ん、どっちがいいかな?
迷うな・・・。

367 Mr.名無しさん 05/01/30 22:05:12
ネタでもなんでもいいから、とりあえず344が帰ってくるまで、

  ( ゚ Д゚) 待ってますね。
  ( つ旦O
  と_)_)

368 344 sage 05/01/30 22:08:29
妹の部屋から以下のような物音がします。

タンスを開け閉めしてる音。
雑誌が投げられてる音。
なんか破いてる音。
ときどき金属音。

ごめんなさい。
まだ、妹に声もかけられない。
紅茶冷めちゃった。

にゃんこも心配して、僕のそばにいます。

もう少し、落ち着いてから、チャレンジしてみます;;

369 Mr.名無しさん sage 05/01/30 22:12:40
実況はいらないから早く逝け、兄貴らしくな。

370 Mr.名無しさん sage 05/01/30 22:24:46
そうだな。
こんなスレに実況してもどうにもならないぞ。
まじめにやれ。

371 344 sage 05/01/30 22:28:26
ノックしたら、ドアに何かがあたってくだける音がしました。

372 344 sage 05/01/30 22:48:31
あっと、妹がでてきました・・・。

いってきます。(゜゜)>

373 Mr.名無しさん 05/01/30 22:55:06
  _, ._
(; ゚Д゚) う・・・けっこう緊張感あるな・・・。

なんのスレだかワカランくなってきたが、とりあえず344を待とう。

374 Mr.名無しさん sage 05/01/30 22:56:11
テキトーなスレだったのにな・・・。

385 344 sage 05/01/30 23:34:58
これは・・・・ちょっと時間かかりそうです・・・。

わかったことは、不二家のケーキは、一口で食えるってことと、紅茶にブランデーをたらすと二杯目は、ブランデーに紅茶をたらすようになるということです。

今、二人で泣いてるとこ;;

386 Mr.名無しさん sage 05/01/30 23:43:57
キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!

てか、泣いてるうううぅぅぅ!!
しかも兄妹そろって!!!!??

だ、誰か、なぐさめて・・・(゚Д゚;≡;゚д゚)

モレの辞書にゃ"優しい言葉"が載ってないんだ!

387 Mr.名無しさん sage 05/01/30 23:51:48
テキトーっていうから来てみたのに、なんだよこの雰囲気は。

俺も優しい言葉なんて知らないよ。
とりあえず、疲れるまで泣いとけばすっきりするはず。

388 Mr.名無しさん sage 05/01/30 23:59:02
だから実況はいいからさw
がんがれ。

俺の彼女には妹がいて、姉妹すげー仲がいい。
俺にも妹いるけど、やっぱりそんな仲良くなれないからなあ。

と、俺も何もできないが344はがんがれ。

391 344◆jzw.UX39oc sage 05/01/31 00:52:28
ただいま。
名前にトリップつけてみた。
ネタだと思もわれてもいいから、スレ違いだけど、結果報告します。
でも、事情が複雑で、どこから説明していいか、わかりません。

もし、ザオリクが使えるなら、母ちゃんに1分生き返ってもらって、卵焼きのレシピを訂正してもらいたい。

卵焼きで彼氏と破局した、憐れな妹の話を、どうかそっとおききください。

392 Mr.名無しさん sage 05/01/31 00:57:04
>>391
よしこい。

393 344◆jzw.UX39oc sage 05/01/31 00:59:06
俺は妹と二人で生きてきた。
妹が生まれてすぐに、父(血縁ではね)は、僕ら家族を捨てて蒸発した。

妹が3歳のころに、母は美しいまま、病で亡くなった。
僕は9歳で、母の弱る姿を見ながら、母からいろいろ託された。

「お兄ちゃんだから、あーちゃんを頼んだよ。」

ことあるごとに、俺にいってた。
俺にだって、母が必要で、さびしくって、悲しかった。

妹は幼くて、母のことを覚えていない。
そんな妹に、母が残したもの。
それが、料理のレシピ集。

394 Mr.名無しさん sage 05/01/31 01:03:36
おれ、すでに。・゚・(ノД`)・゚・。

344よ、(゜゜)←この顔文字ちょっぴりバカにして悪かったな。

395 344◆jzw.UX39oc sage 05/01/31 01:06:04
家の近くには、母方のばあちゃんがいて、こまめに面倒みてくれた。

俺と妹は、家事を分担した。
でも二人ともよくわからなくって、家はちらかってたな。
ばあちゃんがこまめに掃除に、きてくれた。

妹が、小学校にあがったときに、俺は母から預かった母の書いたレシピ集を渡した。
その日以来、台所の責任者は妹だった。
いすの上にのって、なんどもなんども手を怪我しながら、料理を学んだ。
ばあちゃんが丁寧に教えてくれた。

妹の料理は、小学校の半ばには、けっこううまかった。
暗記した母のレシピ。
なのに、いっつも見てた。

396 344◆jzw.UX39ocsage 05/01/31 01:09:54
妹は料理が大好きで、将来お店にをやりたいなっていってた。
俺と一緒に店をやるんだと。
母さんのレシピの店。

だから、俺は高校卒業後は、飲食店でコックやってる。
妹には、春から、栄養士学校にいってもらう。

妹はさ、料理をしてるとき、確かに母を感じてたんだろうな。
聞こえない母の声。
そっと見守ってくれたんだ。
だから、妹は今では、料理が上手だよ。

397344◆jzw.UX39oc sage 05/01/31 01:13:18
妹の彼氏は、なかなかいいやつだったよ。
親がいないことなんかぜんぜん気にしなかったし。
ただ、一人っ子だったから、甘ちゃんだったな。

そんでさ。
妹はさ・・・早く結婚してでてかないと、俺に嫁さんがこないと思ってるらしいんだ。
まぁ、確かにな、妹を見届けるまで結婚する気もないけれど、彼女ができても、家にはよばなかったけれど。
でもさ、だからって、あせって結婚なんか考えるなよな。
まだ、高校生だぜ。
ありえないよ。
まだ、夢見がちな恋してればいいんだよ。
な、そうおもうだろう?

398 344◆jzw.UX39oc sage 05/01/31 01:17:26
そんでさ、今日はさ、彼氏の家で、料理をしたらしいんだよ。
彼氏の両親も一緒でさ。
多少こっちの事情とか知ってるらしい。

そんでさ、妹が作ったのよ。
卵焼き。
そしたら、むこうのお母さん

「甘すぎる。」

っていって。
卵焼き教えるからって、台所に二人でいったらしいのね。

まぁさ、相手の家の料理を学ぶことも重要じゃない?
妹もさ、素直に、教えてもらおうとしたのよ。
大好きな卵焼きを。

でもさ、だんだん悲しくなったんだろね。

399 Mr.名無しさん sage 05/01/31 01:20:11
    _, ._
  ( ゚ Д゚) >>397 俺、毒男だけど、そう思うぞ。
  ( つ旦O
  と_)_)

    _, ._
  ( ゚ Д゚)  >>398 む、むこうのお母さん!? なんてことを・・・。
  ( つ O. __
  と_)_) (__()、;.o:。
          ゚*・:.。

400 344◆jzw.UX39oc sage 05/01/31 01:21:02
卵にさ、しょうゆ入れてるときに、涙がでてきちゃったんだって。

「こんなのは、卵焼きじゃない!!」

もう、おかしくちゃったんだね。
そのまま。
逃げるように、家をでてきたらしい。

もちろん、彼氏は追ってきたんだって。
んでまぁ、このへんは、泣きながらで、俺もよくわからないんだけど。
うちの母の卵焼きは甘いんだ!って彼氏に訴えたらしいのね。

ここが、運命の分かれ道よ。

彼氏も、かっこつけたかったんか、素直なのか、アフォなのかしらないけど、こういったらしいのよ。

「俺は、あまくない卵焼きが好きだ。」

だから、もう、急にさめて、別れるっていって、帰ってきたらしい。

401344◆jzw.UX39oc sage 05/01/31 01:23:51
まぁさ、たかが卵焼きだから、冷静にみて、彼氏の母も善意だったかもしれないし、被害者かもしれないよな。

でもよ。

卵焼きの重さが違うんだよ。

卵焼きはな。
妹の母の想いのつまった。
最初の料理なんだよ。
だまって、感謝して食えと。
文句いうなと。

ああ、文句いうやつは、ふって当然だ。
そんなこころないやつとこいくことないさ。

402 344◆jzw.UX39oc sage 05/01/31 01:26:17
母がな、妹に残した料理の本はな。
ぜんぶひらがななんだよ。
へたくそな絵だって書いてある。
いろんな、注意もかいてある。
いろんなとこに、心配事とか書いてある。

そんな本のな、最初のページが卵焼きなんだよ。
わかってるのか、このアフォ;;

403 344◆jzw.UX39oc sage 05/01/31 01:32:39
「おかあさんのりょうりのほん」

あーちゃんへ。

はじめは、たまごやきから、やってみましょう。
ひをつかうので、おばあちゃんや、おにいちゃんに、おしてもらうんだよ。

まずは、

たまご 2こ
さとう スプーンで4はい

よういしてください。

そしたら、たまごをぼーるにわりましょう。
さとうも、いれましょう。あーちゃんもおにいちゃんも、あまいたまごやきがだいすきです。
おかあさんもすきです。

よくまぜたら、ふらいぱんをあたためて(きをつけてね)
あぶらをひいて、たまごをいれましょう。

たまごを、ぐるぐるはしで、かきまぜて。
ふらいがえしで、しかくにかたちをととのえましょう。

おさらに、ひっくりかえせば、できあがりです。

じょうずにできたかな?おかあさんもたべたいな。

404 344◆jzw.UX39oc sage 05/01/31 01:35:06
この母さんのレシピを変える必要あるかい。
明日は、仕事を休んで、母の墓前に、そっと、甘いたまごを供えるよ。

おやすみ。

血のつながりのない母さん、ありがとう

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2012年6月15日 09:54
  • 家族

304 :大人になった名無しさん:2005/07/14(木) 01:28:13
母は俺が幼稚園の年中の冬に亡くなった。
どうしていなくなったのか分からないまま泣いていたのを覚えている。
泣いてる俺に

『お母さんはいないけど、お父さんがいるからな。』

と父は言ってくれた。

その父が再婚したのは俺が小学2年の春だった。
正直父に裏切られた気分だった。
なつく、なつかないのレベルではなくむしろ『拒絶』に近かった。
家に帰ると義母が

『おかえり。』

と言っても無視して、顔も見たくなくて部屋にこもった。

仲良く義母と笑ってる父自身も許せなかった。
棺の中で花に囲まれていた母の姿が目に焼き付いて離れなかった。
父は、たった一人ぼっちで焼かれて行った母を忘れて知らない女と笑っているんだと思い、尚更義母を毛嫌いした。

今思えば義母にとんでもないような意地悪をしてた。
ご飯は食べないし、学校の書類も

『親に見せるように言われた。』

と言って父にしか渡さなかった。
部屋にも亡くなった母と撮った写真を飾っていた。
父に叱られても義母と父の前で

『母さんを忘れてニセモノを連れて来た父さんが悪いんだ!』

と大泣きして怒った。

それでも義母は優しかった。
1年半以上経ち、少し義母の事を許せるようになると、今度は実の母との間に苦しむようになった。

305 :大人になった名無しさん:2005/07/14(木) 01:47:26
今こうして義母を許しかけているのは、母を裏切っているんじゃないか?

俺は悩んだ。
そしてとうとう苦しくなり、義母に悩みを言ってしまった。

すると義母は

『我慢しないでいいんだよ。廉君が都合のいい時に私を使えばいいんだから。話してくれてありがとう。大丈夫、裏切りじゃないよ。』

と言って俺を抱き締めてくれた。

それを聞くと妙に安心して不覚にも泣きじゃくってしまった。
きっと寂しかったんだなぁ、俺。
母さんが死んだからって忘れる訳がないのに変な意地張ってた。

今年の成人式に初めて手紙をもらった。

『廉君へ
成人おめでとうございます。
初めて会った時からもう13年もたったのですね。
早いものです。

初めはなかなか心を開いてくれなかった廉君が私に

「おかあさん。」

と言ってくれた日がとても懐かしいです。
あの頃の私の願いは、いつも「廉君が血の繋がった息子だったら」でした。
そうしたら初めからあなたに受け入れてもらえるでしょう?
あの頃のあなたの気持ちを思うと馬鹿な考えです。
でもその必要はありませんでした。
あなたはちゃんと自分で悩み、考え、私に言ってくれました。
ありがとう。

今では本当の家族ですね。
だから私はもう血の繋がりは望みません。

例え血の繋がりは無くてもこうして家族になれる、通じあえる何かがあるのなら、私はあなたと血が繋がってない事を誇りに思います。
今だから話せますが、私には子供ができません。
そんな私に可愛いい息子が出来て、今日こうして成人した姿を見ることができました。
今の私の願いはただ「あなたの幸せ」です。
これからも私を母でいさせて下さいね。』

306 :大人になった名無しさん:2005/07/14(木) 01:48:11
全文写してみた。
またうるんできたな。
俺も血が繋がって無いこと誇りに思うよ。
ありがとう母さん、かあさん。

昔から親父の行動が謎だった

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2012年6月12日 13:49
  • 家族

83 :774RR :2008/07/01(火) 17:30:10 ID:VWpHqDDa
昔から親父の行動が謎だった。
家ではほとんど酒も飲まず、タバコも吸わず、すげ無口。
休みは大体家にいたが、月一回ぐらいに土曜日の深夜にベロベロに酔って上機嫌で帰ってくる事があった。

大体、その翌週の日曜日は朝の5時頃出かけ、夕方過ぎには帰宅。
そんな時は身体がすす汚れてるか、爪の間が真っ黒だった。

何か有れば母親が親父の間に入って会話をしていたし、物心付いた時からこんな感じだったので妹も俺も別に普通の事だった。

ただ、朝早く出かけて帰ってくると疲れた顔をしていたが、妙にイキイキとしていた。

そんな毎日を繰り返しを送っていたが、母親が乳ガンであっという間に死んでしまった。
乳ガンと分かってから三ヶ月であっという間に。

84 :774RR :2008/07/01(火) 17:30:57 ID:VWpHqDDa
当時、高2だった自分が初めて目にした身近な人の死は、ものすごくショックな事で一週間位布団に包まって過ごした。

中学生だった妹はそのまま引きこもりがちになり、学校を週2位しか行かなくなってしまった。
俺と妹、母親大好きだったからさ。
あまりにも早く突然に会えなくなってしまって本当にガタガタになった。

そんな中、親父は相変わらず無口なまま。

親父は仕事から帰ってくるのが大体深夜だったので、飯は俺が作るか、妹と近くのファミレスに食べに行った。

親父との会話は元々無かったが、更に話さなくなった。
その時の親父は日に日にやつれて行くのが分かったから、親父も死んでしまうんじゃないかと恐くて、自分から話しかける事も出来なかった。
家の中は常に静かで物音もほとんどなく、妹は夜になると寂しいからと、布団を俺の部屋に持って来て手をつないで毎晩寝ていた。

寝ていると家で唯一する音、玄関の開け閉めの音と、部屋に俺と妹を見に来る足音くらい。
母親がいなくなって半年で家庭内一家離散状態。
それからそんな状態がしばらく続き、俺は大学に進学。
妹は高校に入学した。

相変わらず親父は無口なまま。

ある日、家のリビングでテレビを見ていると親父が来た。
何か言いた気な顔をしながら。
ちょっと気まずかったので

「最近、月一のお出かけ無くなったの?」

と話しかけた。
そしたら返事が、

「一緒にちょっと出かけないか?」
「え?」

ビビった。
だって話したのって恐らく一ヶ月ぶり位。
内容のある話は恐らく三ヶ月ぶり。

取りあえず、妹を呼び出し、母親が死んでから初めて家族で出かける事となった。
そこで初めて昔からの親父の謎の行動がなんなのかわかった。

85 :774RR :2008/07/01(火) 17:31:53 ID:VWpHqDDa
向かった先は小ちんまりした工場?
ガレージ?
何ココ?
誰この人達?
何この髭の人?

俺と妹は訳も分からず中に入った。

そこに並んでいた物はバイク。
皆、思い思いに作業をしている。
奥では酒盛りもしている。

壁には写真がズラズラと並べられ、その中に親父の姿と母親の姿が映っている写真もあった。
中で作業していた人達は一言二言親父と話し、皆出て行ってしまった。
親父が写真を見ながらポツポツと話し始めた。

バイクに初めて乗った時の事、母親と初めて会った時の事、初めて母親と遊びに行ったときの写真、結婚式でのドタバタ話、俺が生まれ妹が生まれ成長した事。
そして母親の死について。
母親のガンが発覚した所から親父は涙をボロボロ流しながら一生懸命話していた。

妹が母親の死以来、俺と妹一緒にいる時は大体手をつないでたが、そんな親父の姿を見て、妹は、余った手で親父の手をつないだ。

ものすごく臭い事だと思うが、俺はこの時、家族っていいな、、、と思った。
そして俺はこの家族の一員で、妹も父も家族の一員なんだと思い、気が付いたら三人で泣いていた。

それからしばらくして、妹は親父のバイクの後ろに、俺は汚ったないバイクの汚ったない髭面のおっちゃん(今ではメンテ師匠)の後ろに乗ってしばらく走った。

これが俺の記念すべきバイク体験のむさ苦しい第一歩だった。
広い道路に出、海岸線を抜けて、山道を走り、気が付いたら夕日が落ちる直前の綺麗な景色が一望出来る所だった。

こんな綺麗な夕日を見たのは後にも先にもこの時が一番綺麗な夕日だった。
来る前に髭師匠に渡された、クソ重いリュックを下ろし、しばらく妹と一緒に夕日を見ていた。

夕日が沈む直前にそのリュックから髭師匠がその場で煎れたコーヒーをもらい、妹と親父と髭師匠と俺で飲んだ。

髭師匠の入れるコーヒーは最高だ。
特にお互い喋る事無くコーヒーを飲みながら夕日を見入っていた。

妹の手が俺の手から離れて何となくこれから上手く行くような気がした。

86 :774RR :2008/07/01(火) 17:32:33 ID:VWpHqDDa (6 回発言)
帰る途中、温泉に寄って10年ぶりくらいに親父と風呂に入った。
もうわかっていたが、昔からの親父の月一お出かけは、バイクを整備し仲間と酒を飲み、その翌週ツーリングに出かけていたのだった。

母親は当然知っていたが、同じガレージで作業しているバイク仲間が不慮の事故で死んで行くのを見て、子供には乗せないように親父に言ってたのだ。
だから親父がバイク乗りだというのは俺たちに話さなかった。

当時はバイク=不良、悪者ってイメージが酷かったろうし、自分の子供が親より先に死んじゃったらそれこそ悲しい事は無いからね。

そんな事を露天風呂で話した。
それから自宅に帰り、少し会話をして寝る事にした。

妹が隣の布団に入り、親父の事、母親の事を話した。
その時に初めてお互い極力避けて来た話題、母親の死と、親父の事も話した。
お互い話した内容は憶えてないと思う。
二人で自分に話しかけてた感じだったから。

妹が寝た後に一人で色々考えた。
母親が心配していた事。
俺と妹を失う事。

それでも親父はバイクの事を話した。
自分と家族を取り戻す為に。
無口な親父は必死だったんだろう。
母親の死を受け入れる為に。
家族を守る為に。
その為に選んだ答えがこの日の出来事だったんだろう。

もっと別の方法で解決出来たのかもしれない。
母親との約束(バイクに乗せない)を破らなくても別の方法があったのだろうと思う。

けれども、親父が決断を下し、もがき苦しんでいるのであれば、俺は俺の出来る限り親父を支持しようと思う。
家族を、俺と妹を守ろうと必死なのだから。

88 :774RR :2008/07/01(火) 17:33:29 ID:VWpHqDDa (6 回発言)
俺は翌朝、教習所に向かい中型二輪の申込証をもらって来た。
夜、三人で話した時、相変わらず無口だったが親父は嬉しそうな顔をしていた。

今では土日は例のガレージで親父と妹と俺と三人で遊びに行っている。
走りに行くときは親父の後ろに妹を乗っけて、メンテをする時は皆の分のおにぎりを作ってガレージで遊ぶ。

それでもやっぱり親父は無口だ。
無口なりに無言で語ってくる。
二人で走っている時は特に無言で語ってくる。

そんな親父が大好きだ。
妹も大分明るくなった。
明るい妹が大好きだ。
髭師匠はたまに臭いが好きだ。

そして、危険な反面、家族との会話を取り戻すきっかけとなったバイクに俺は一生乗り続けると思う。

帰るところがあるから帰り、大好きな人達を悲しませない。
親父の無言の語りを忘れない限り。

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2012年6月 4日 12:31
  • 家族

私の母は未婚の母です。
父は本妻さんと、私の腹違いの兄姉夫婦と暮らしてます。
二人はもうそういう関係ではありません。
が、私がたまに郷に帰ると、電話が来ます。

「酒飲もう。」

と。
で、指定された店に行きます。
と、席に付いた途端、酒から刺身から寿司、テンプラと、ものすごい量の料理がテーブルに並びます。

父が予約で、料理を一から注文しておくのです。
父はもうとうに還暦を過ぎて、身体の調子も良くないというので、料理にほとんど手を付けず、私の方に押しやります。

「食え、食え、もっと食え。」

とエンドレスに言います。
父は、自分の酒は必ず手酌で、私にばかりお酌します。
私の酒杯は常に満タンです。
食べきれない・飲みきれないでふうふう言って、店を出る頃、父は

「何か困ってることはないか?」

と言います。
旦那の仕事は上手くいってるか、暴力なんて受けていないか、体は大丈夫か、お金に困ってないか、と続きます。

「なにもかも大丈夫。」

と答えます。
最後に父は、目をそらして

「お前には何もしてやれないで、申し訳ない。」

と必ず言います。

「世の中には償えないことがある。」

と言うのが父の口癖です。
父は、私の祖父の前で、

「誰に何を言われても別に何も構わないが、娘は俺に文句のひとつも言わない。それが俺のした事の罪だ。」

と言って、泣いたそうです。

私を大学に通わせてくれた母へ

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2012年5月30日 10:51
  • 家族

あなたは私を産むまでずっと父の暴力に苦しんでいましたね。
私が産まれて時、あなたは泣きながら喜んだんですね。

私が一歳の誕生日に、借金を抱えたまま父が自殺しましたね。
借金を返すために昼はパート夜は居酒屋で仕事の毎日でしたね。

保育園では遠足のおやつは雑穀のおはぎでしたね。
小学校の給食費を払えない月もありましたね。
修学旅行のおみやげはご当地キーホルダーだけでしたね。
中学の制服は親戚のおさがりでしたね。
高校のお弁当はいつもご飯に梅干しと海苔でしたね。

無理を承知で大学行きたいと頼んだ時、あなたは反論しませんでしたね。
ごみ処理場から捨てる予定の参考書をもらいに行きましたね。
お金がかかるから私立は受けられず、国立専願受験でしたね。

センター試験の前日には初めて特上寿司を食べさせてくれましたね。
センター試験に失敗したけど、あなたは最後まで諦めないよう励ましてくれましたね。

前期に落ちて、一度私は自殺しかけましたね。
あなたは怒ることもなく、ずっと私に謝り続けていましたね。
私もあなたにずっと謝り続けましたね。

そして私は気持ちを切り替えて後私はその後も頑張って勉強して、なんとか後期に合格することが出来ましたね。
あなたはずっと

「おめでとう、おめでとう。」

と泣き続けてくれましたね。

でもあなたは入学の準備の時に急に倒れて病院に運ばれましたね。
医者が、癌が全身に転移していてこれから一週間が峠だと告げましたね。

私がただただ泣き続けている時にあなたは

「この体の傷や癌の一つ一つがあなたを育てあげた立派な勲章なのよ。」

と微笑みながら言いましたね。

あなたは最後まで泣くことも苦しむこともなく、静かにこの世を去りましたね。

今私は医者になるために毎日一生懸命に勉強していますよ。
あなたの命を奪った癌に苦しむ人々を治療して助けたいから。
私が育った環境は決して恵まれてはいなかったけれど、あなたに生まれ、育てられて本当によかったよ。

ありがとう、お母さん。

一緒に生きてる兄の話

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2012年5月25日 10:57
  • 家族

555 :本当にあった怖い名無し:2010/02/01(月) 17:06:19 ID:eXQVYWj50
我が家の仏壇には、他より一回り小さな位牌があった。
両親に聞いた話では、生まれる前に母のお腹の中で亡くなった、俺の兄のものだという。

両親はその子に名前(A)を付け、ことあるごとに

「Aちゃんの分も○○(俺)は頑張らないと。」

などとその兄のことを持ち出してきて、それがウザかった。

そして高校生のころ、典型的なDQNになった俺はあまり学校にも行かず遊び歩いていた。
ある日、母親の財布から金を盗んでいるところを見つかった。

母親は泣きながら

「あんた!!こんなことしてAちゃんに顔向けできんの!!」

と怒鳴ったが、俺も鬱憤がたまっていて

「うるせー!だったらAじゃなくて俺を流産すればよかっただろうが!」

と怒鳴り返してしまった。
そして売り言葉に買い言葉だったのか、母親が

「そうだね!Aじゃなくてアンタが死んどったらよかった!」

と叫んだときだった。

556 :本当にあった怖い名無し:2010/02/01(月) 17:08:34 ID:eXQVYWj50
「そんなことゆったら、めーー!!」

という叫び声が頭の中に響いた。
舌っ足らずでカン高いその声は、ほんの幼児のものに聞こえた。

母親にも聞こえたようで、2人で

「え?え?」

と周囲を見渡すと、拝む時以外はいつも閉めている仏壇の扉がいつの間にか開いていた。
それを見た瞬間、母親号泣。
おかしくなったのかと思うくらい、腹から声上げて泣いてた。

喧嘩してたのも忘れて慌ててなだめると、

「許してくれた・・・。許してくれてたんだ。」

って何回もつぶやいてる。
そして母親はぽつりぽつりと話し始めた。

Aは流産したんじゃなかった。
俺と一緒に生きて産まれてきた。
Aと俺はいわゆる「結合双生児」だった。

でもAの方は俺に比べて未発達で、体もずっと小さかった。
俺の胸の部分に、手のひらくらいの大きさのAがくっついてるような状態だったらしい。

手術で切り離せばAは確実に死ぬ。
でも両親は俺のために分離手術に同意した。

未発達とはいえ、Aは顔立ちもはっきりしていて、手術前、

「ごめんね。」

と謝る母親の顔をじっと見ていたそうだ。

557 :本当にあった怖い名無し:2010/02/01(月) 17:10:52 ID:eXQVYWj50
それから、母親はずっと

「Aは自分を切り捨てた私たちを恨んでいるのでは。」

という思いがぬぐえなかったのだという。
だから俺に必要以上にAのことを話して聞かせていたのだろう。
Aの犠牲の上にある命なのだ、ということを忘れないために。

あの時聞こえた声がAのものである確証は何もない。
俺と同い年なら、子供の声っていうのもおかしいし。

でも、あの声は俺たちを恨んだり憎んだりしてる声じゃなかった。
家族が喧嘩してるのが悲しくて、幼いながらも必死で止めようとしてる、そんな感じだった。

もしあの声がAなら、Aはきっと家族を許してくれていて、ずっと見守ってくれているのだろう。
だから母親も俺も、あの声がAだと信じたかった。

俺は声が聞こえた日からまじめに学校に通い始めた。
兄貴に一喝(?)されて、もう馬鹿やってる場合じゃねーなって気持ちになったから。
そんで勉強もかなり頑張って、現役で大学に合格できた。

合格発表の日、朝からゲロ吐きそうなくらい緊張して、掲示板見た瞬間にあまりの嬉しさに

「うがああああ。」

って変な声上げちゃったんだけど、その時、俺の奇声にかぶせて、あのカン高い声が

「やったあー!」

って聞こえてきたんだよね。
俺、本気で泣いた。
またいつか、声を聞かせてくれると信じてる。

兄貴

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2012年5月16日 18:19
  • 家族

中学の入学式が終わっ2日後、突然母親が蒸発したんだ。

理由は分からない。
女手1つで俺と兄貴を育ててたから生活は楽ではなかったんだ。
それは分かるが、それでも俺は楽しかったし、母も兄貴も楽しくやってると思ってた。

でも本当に突然、母がいなくなった。
最初は2、3日帰ってこないだけだど思ってた。
兄貴が何も言わずに普通にしていたから。

1週間2週間たっても母は帰ってこなかった。
その間俺の食事や家のことは、当たり前のように兄貴がやっていた。
何もいわないで、ずっと以前からそれが日常だったみたいに。

当時高2だった兄貴には、付き合い始めたばっかりの彼女がいたはずだった。
放課後一緒にいたかったはずなのに、スグに学校からかえってきて、家の事をして俺の食事を作ってくれて、俺の弁当も毎日作ってくれてたっけ・・・。
それから県内1の進学校に通っていたから、夜遅くまで勉強もしていたみたいだった。

そんな兄貴の苦労も知らずにいたおれは今までどーリ学校にいって、放課後は好きなバスケに打ち込んで、本当に今までどーリだった。
母親がいない寂しさを感じないくらいに兄貴が俺にかまってくれたりしていた。

それでもある日俺は言ってしまった。

「母さんどこ行ったの?もう帰ってこない?そんなんいやだ・・なんで帰ってこんの?」

一度泣き言言い出すともう止まらなかった。
自分でも気づかなかったけど、やっぱり無理してたんだと思う。
兄貴は俺が泣き止むまでずっとそばにいてくれた。

その後、母親が蒸発したこと・理由は分からないこと、1度だけ母から電話があったことを教えてくれた。
もう帰ってこないことも教えてくれた。
おれは又泣いた。
すると兄貴はこういった。

「寂しい思いはさせない。兄ちゃんがいるから大丈夫だ。御飯だっておいしいのを作ってやるさ。」

本とはもっと違う言葉だったかもしれないけど興奮していた俺はよく覚えてない。
もちろんガキだったおれはその言葉で泣き止むことはなく、ずっと泣いていた。
泣きつかれて眠るまで兄貴はずっとそばにいた。

それからの俺は荒れた。

別にタバコとか警察沙汰とかはなかったが学校で教師ともめたり同級生と喧嘩になって相手に怪我させたりもした。
そんな時いつも兄貴が学校にきて謝っていた。
同級生の親に謝りに行った事もあった。
本当に迷惑かけたとおもう。

そんな感じで1年が過ぎた。
当然の疑問だけど生活費はどうしているんだろうと思っていた。
聞いて見ると前からもらっていた生活保護金とバイト代を使っているって答えが返ってきた。
俺に内緒でバイトをしていたらしい。

どうも母が蒸発した翌月から始めていたらしい。

何のバイトなのかはどうしても教えてくれなかった。
でも生活保護金とバイト代だけで生活を支えてたんだから、ホントに大変だったと思う。

おれは高校に進学した。
兄貴が勉強教えてくれたから特待生で入学して費用は一切かからなかった。

兄貴は進学せずに就職して生活を支えてくれていた。
俺はバイトして少しでも兄貴を助けたいと思った。
でも兄貴がそんな時間があるならバスケと勉強してろって言ってくれた。
俺はそれに甘えた。
今思い返してみれば俺はどれだけ駄目な弟だったんだって思う・・・。

そんな俺たちの生活を見かねた親戚が離婚していた親父を連れてきた。
今からでも一緒に暮らそう。
そういった親父に兄貴はこういった。

「俺たちを1度捨てた人間には頼らない。でも弟には苦労をさせたくない。弟だけでよいから一緒に暮らしてやってくれ。」

兄貴は泣いていた。
後で聞いた話だが自分ひとりで俺の面倒や大学進学費用を支えられないのが、悔しくてたまらなかったらしい。
そんな兄貴の気持ちが嬉しかった。
でもこれ以上兄貴に迷惑をかけたくなかったおれは、親父と一緒に暮らし始めた。

それでも兄貴とは手紙で連絡をとってた。
1月に2、3通ぐらいきてたっけ。
次第に兄貴からの手紙が少なくなり、最後には来なくなった。

最近昇進して忙しいって手紙に書いてあったのと、大学受験2ヶ月まえだったことからそんなに気に止めてなかった。

晴れて大学に合格して兄貴に報告の手紙を出したら、3週間後知らない女の人がたずねて来た。
兄の恋人だったと言った。
その人はこういった。

「あきおさんね、もう君には会えないんだ。あえないだけじゃなくて、手紙もかけない。ううん、君だけじゃなくて私ももう会えないんだ。」

そういって3つの封筒をだした。
1つは兄貴の遺書だった。

兄貴から手紙が来なくなったのは、兄貴が入院したからだった。
入院なんてかくとお前心配するから、大学受験控えてるから、昇進して忙しいってウソついた。
ごめんな。
医者が言うにはもう助からない見込みが高いって。
お前の卒業式とか入学式とか見に行けないかな。
ごめんな。
そういえばお前の引退試合も仕事で見に行けなったな。
ごめんな。

お前さびしがりやだから俺がいなくなって大丈夫かな?
でも、もうずっと俺がそばにいなくても大丈夫だったから大丈夫か?

何か文章おかしいな。
いざこんな事書こうとしたら中々かけないもんだね。
もっといっぱい書きたいことがあるはずなのにな。
なんでかな、言葉が出てこないよ。

いまさらだけどこの手紙をお前が見てるときは、俺はもういないんだよな。
お前の成長をまだまだ見たいし、お前が本気でほれる女の子も見てみたい。

なんて自分の子供に言う言葉みたいだな。

それなんだ。
お前に言いたいのは。

母さんがいなくなってから俺がお前の親父代わりで母親代わりだったつもりだ。
それでもやっぱり寂しい思いをさせたよな?
最初の頃は料理も下手くそだったよな?

全然駄目な兄貴でごめんな。
頼りになんない親父だったな、ごめんな。
お前の悩みひとつ聞いてやれない母親だった。
ごめんな。

身内自慢になっちゃうけど、こんな俺の弟なのにお前は最高にいい男だよ。
お前の兄貴だったこと、親父だったこと、母親だったこと、全部がおれの自慢だよ。
これから先もっといい男になって、立派な父親になってくれ。

あ~何書いてんだろう俺、馬鹿みたいだな。
これ以上書くと情けないこと書いちゃいそうだから、そろそろ終わりにするよ。

じゃあ元気でな。

いつもの手紙とちがって、子供が書いた手紙みたいな兄貴の遺書がとても暖かった。
残り2つの封筒は兄貴の日記と、兄貴が恋人に宛てた手紙だった。

手紙を読んで分かったんだけどこの女の人は兄貴が高2の時から付き合ってる人だった。
その日記や手紙には俺のことがたくさん書いてあった。

俺のことで悩んでる兄貴がそこにいた。
俺のことをとても考えてくれてる兄貴がいた。
俺の前では決して見せなかった弱い兄貴がいた。

兄貴の苦労が始めて分かった。
兄貴が抱えていたつらさが初めて分かった。
もう兄貴に会えないと思った。

悲しくてたまらなかった。

いままで長々書いてきたけど結局おれは兄貴にありがとうが言いたい。
6年間で兄貴にありがとうなんて言った覚えがないんだ。恥ずかしい話だけど、ほんとだめだな俺。

なあ兄貴、こんな俺が自慢の弟だなんて言ってくれてありがとう。
俺を6年間守ってくれてありがとう。

それから兄貴を6年間支えてくれたナナさん、どれだけ感謝してもたりないけど本当にありがとう。

無関心な父親

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2012年3月27日 10:27
  • 家族

799 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:02/07/23 01:32 ID:tHmWWTGI
小さい頃から無口で無愛想で、たまに喋っても何かと理屈ばかりのいわゆる理系の人間で、俺のことに関しては何も言わず無関心ぽい感じだった。

精神論て概念なんぞ何一つ持ち合わせてないロボットみたいな父親だった。
そんな父親の背中を見てきたせいか俺は友達も少なく、外にも出ないので激しく世間知らず、と自分で言うのもなんだけどかなりのダメ人間だった。

そんな俺は18になって本格的に自分を変えようと父親に

「東京の大学へ進学する。」

と言った時、てっきり

「しっかり勉強しろよ。」

とかロクでもない事言うのだろうと思ってたら

「自分の目で都会をしっかり見て来い。」

と言った。
なぜか涙が止まらなかった。

あとから母に教えてもらったけど俺の大学進学費用をかなり貯めていたらしく、俺の知らない学資保険まであった。
地元の大学なら余裕でおつりが出るくらい。
俺が都会の大学に進学するだろうと、父親が車も買わずにかなりつぎ込んでたらしい。

てっきり無関心かと思ってたらちゃんと俺の事を考えていてくれた事が分かって今頃感動してしまった。

旅立ちの日の朝

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2012年3月26日 08:36
  • 家族

738 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:02/06/17 22:19 ID:KNaJf8JV
高校を卒業して初めての一人暮らしへの旅立ちの日の朝。
私は前の日に原因は忘れちゃったけど、些細なことでお父さんと喧嘩してた。
それでもおばあちゃんに

「お父さんに一言くらいは何か言っていきなさい!」

ってうるさく言われて、ちょっと気まずいながらも洗面所で顔を洗ってた父のもとへ。
それでも意地っ張りな私は何ていっていいか分からず、一言

「行って来るね。」

ってぶっきらぼうにつぶやいた。

父は何も言わなかった。
でも、洗った顔をタオルでごしごしこすりながら、目を真っ赤にしてるのを見たとき、初めて父が泣いてるのに気づいた。

何も言わなかったけど、

「お父さん実はすごく淋しいんだろうなー。」

って思ったら、私も駅までの道で涙を抑えずにはいられなかった。

父が死んで一年

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2012年3月23日 12:22
  • 家族

44 :名無しさん@お腹いっぱい。 :04/04/27 20:51 ID:r6n5n5mV
父が死んで一年になる。
父は母の再婚相手で、俺が小学生の時に突然父親になった。

当初は「父さん」と呼べず、悲しい思いをさせたかもしれない。
「○○(父の名)さん」と息子に呼ばれるのはどんな気持ちだっただろう。
息子に

「本当の父さんじゃないくせに!」

と言われる父はどんな気持ちだっただろう。
毒づき、当たり散らす息子にとても手を焼いていたと思う。

俺が中一の時に事故で両足を折ってしまい、歩けなくなったときがあった。
その時期に期末テストで、追試はほぼ決定だと思っていた時、父がおぶって学校まで連れて行ってくれた。
学校に近づくにつれて他の生徒の好奇の目に晒されている気がして、俺はとても恥ずかしくなった。
実際中一にもなって父親におぶられている俺をくすくす笑う女子もいた。
そんな折、ふと父の顔を背中越しに見ると、とても堂々としていた。

「自分の息子をおぶって何が悪い?」

今にもそう言いそうな表情で。

謝罪も感謝の言葉も贈れないまま、父はもう二度と会えないところへ行ってしまった。

俺には叶わない夢がある。
もし父が歩けなくて困ってしまうような時がきたら俺がおぶってやる。
叶わない夢だけど・・・。

身体の弱かったかあさん

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2012年3月22日 12:30
  • 家族

70 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/10/17(水) 02:22:16.22 ID:FYgGyfSfO
19の時、妹が産まれた。
友達から

「お前の子供だろー!」

なんてからかいも受けたりした。

でも、高齢出産だったかあさんはそれが元で、体がおかしくなった。

「無理して産むから!妹なんていらない!なんで子供が出来るん?!」

って、思った。
正直、その時は妹が嫌いだった。
余計な「物」だった。
気持ち良さそうに寝ている姿にムカついた。
結局、かあさんは出産のために入った病院から出ることなく家には帰ってこなかった

妹を殺してやろうと思った。
大嫌いだった。
絶対面倒なんて見ないって思った。

でも、父さんは違った。

「自分の子供だからね。かあさんとの子供だからね。」

そう思った。
お葬式が終わって、49日の法要の日がきた。
それまでほとんど家には帰らなかった。
妹がいる家にはいたくなかった。

法要のあと、父さんに呼ばれた。
話があるって。
リビングのソファーに父さんが座ってた。
そばで妹が寝ていた。

泣いた。
すごく泣いた。
父さんの話を聞いてすごく泣いた。
そして、自分のバカさ加減に情けなくなった。

かあさんは元々体が悪かった。
ずっと昔から。
私を産む時も家族・親戚中から反対されてた。
でも、私を産んでくれた。

妹を妊娠した時も医者に止められていた。

「せっかく授かったかけがえのない命を無駄にしない!」

って医者に言った。
どうせ長くないみたいだから、あなたとあの子に最後のプレゼント。
そう父さんに言った。

「私が死んで、あなたが死んでも、これであの子は一人ぼっちにはならない。」

そう父さんに言った。

ごめん、もうかけない。

オレンジ色のチューリップ

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2012年3月18日 23:24
  • 家族

6年ほど前の今頃は、花屋に勤めていた。
毎日エプロンをつけて店先に立っていた。

ある日、小学校1年生ぐらいの女の子がひとりで花を買いに来た。
淡いベージュのセーターにピンクのチェックのスカート。
肩の辺りで切り揃えた髪が、動くたびに揺れて愛らしい。

フラワーキーパーの前に立ち止まり、真剣な面持ちで花を選んでいる。
母の日でもないし、クリスマスでもないし、

「何のプレゼントかなぁ。」

と思って、しばらく様子を見ていた。
あっちを見たりこっちを見たり、あまりにも一生懸命でなかなか決まらない様子だったので、

「誰かにプレゼントするの?お誕生日?」

と声をかけてみた。
少女は首を横に振る。

「お母さんにあげる。」

と言う。

「お母さんお花が好きなん?」

と聞くと、今度は首を縦に振る。
こんなおっさんが相手したら緊張して言葉にならないかなと思って、ニコニコ笑顔を頑張ってみた。
しかし、少女の口から思いがけない言葉を聞いて、胸がつまった。

「パパが死んじゃったの。ママ元気ないの。だからお花あげるの。」

そんな言葉を口にしながら、一生懸命お花を選んでいる。
泣きたい気持ちで爆発しそうになった。

「そっかぁ。。。お母さんきっと喜ぶねぇ。」

笑顔を頑張れなくなってきた。
それから色々話を聞いてみると、つい最近お父さんが亡くなったこと、お母さんが時々泣いているのを見かけること、おばあちゃんに、お母さんがどうしたら元気になるか聞いたら、お花がいいよって教えてもらったことが分かった。

レジの後ろへ駆け込んで、しゃがみこんで急いで涙を拭いて、パンッパンッと頬っぺたを叩いて気合いを入れなおした。

「どれにしよっか?お母さん何が好きかなぁ?」
「これがいい。」

指の先にはチューリップ。
鮮やかな明るいオレンジ色。

「うん、チューリップかわいいね。じゃあ、リボンつけるからちょっと待ってて。」

女の子は大人しくじっと見ている。

「お母さん早く元気になるといいね。」
「うん。」

出来上がった花束を大事そうに抱えて、ニッコリ笑ってくれた。

「ありがとう。」
「気をつけてね。バイバイ。」

と言って手を振った。
元気よく手を振りかえしてくれると思ったら、ぺこりとおじぎをした。
小さな女の子が頭を下げる姿を見て、限界に来た。
どしゃぶりの雨のように涙が溢れて止まらなくなった。

もっと他に言ってあげられることはなかったか、
してあげられることはなかったか。

そんな時に限って何にも出てこない。

急に思い立って、駆けていく少女を追いかけた。

「ちょっと待って!」

振り返ってきょとんとしている。

「ちょっとだけ待ってて。」

店に入ってきたばかりの小さな小さなチューリップの鉢植えを急いでラッピングして、メッセージカードに

「はやくげんきになりますように。」

とひらがなで書いた。
その時初めて名前を聞いた。

「みかより」

と書き添えた。

「これも一緒にプレゼントしてあげな。これは親指姫っていう名前のチューリップやねん。かわいいでしょ?」
「うん。ありがとう。」

もう一度、さっきより、もっといい顔をしてくれた。

「バイバイ。ありがとうね。」
「バイバーイ。」

花よりも何よりも輝くように明るい笑顔だった。

後日、お母さんと、おばあちゃんと、みかちゃんが店にやってきた。
わざわざお礼を言いに来て下さったのだ。
ピンクのチューリップで花束を注文して下さった。

「この子はピンクが好きなんです。私がオレンジ色が好きなものですから、こないだはオレンジを選んでくれたみたいで。」

みかちゃんはただニコニコしている。
花束を本当に嬉しそうに抱えながら、お母さんとおばあちゃんを交互に見上げる。

「よかったね。」

おばあちゃんが頭をなぜる。
お母さんは優しい顔で見ている。

「うん!」

お母さんはきっと元気になられたことだろう。
小さな小さなみかちゃんの笑顔は、今も明るく輝いていることだろう。

父のサンドイッチ

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2012年3月17日 23:45
  • 家族

うちの両親は昔すごく仲が悪かった。

母はとても気が強くいつも一方的に怒鳴り散らして父は下を向いて黙ったまま。
そんな光景を何度も見ながら育った。
私は父のことがとてもかわいそうに思えて父の味方だった。
幼心に

「パパとママが離婚したらパパといっしょにくらす!」

ってずっと思っていた。

私が通っていた幼稚園ではお昼に給食が出ていたんだけど、1ヶ月に一度お弁当を持っていく日があって、その時は母がいつも腕を振るってかわいいお弁当を作ってくれていたのでとても楽しみにしていた。
しかしお弁当を持っていく前日、ケンカをした後、母が家を飛び出してしまった。

「明日はお弁当なのにどうしよう。」

と思っていたがそのことを父に言い出せず、そのまま眠りについてしまった。

次の日、目を覚ましたが母はまだ帰っていなかったが父が台所に立っていた。
私が起きてきたことに気付いた父が

「パパがお弁当作ったから。」

と言って得意気に私にお弁当箱を見せた。
しかし、中身はパンのサンドイッチがひとつ入ってるだけ。
それに妙に腹が立った私は

「こんなのお弁当じゃない!ママが作ってくれるのと全然ちがうもんっ!!」

って言って泣き出してしまった。
父は始めビックリした顔をしたがみるみる寂しそうな顔になり

「ママみたいに上手に作れなくてごめんな。」

って言って涙をこぼした。

幼稚園に行ってお昼の時間になり、お弁当箱を開けるとパンにイギリスの国旗の旗が刺さっていた。
父なりに工夫をして見た目を良くしてくれたんだと思う。
それを見た私は母がいない寂しさや、父が心をこめて作ってくれたお弁当のことなど色んなことが頭に浮かんできて泣きじゃくりながらサンドイッチを食べた。

中身はマーガリンに砂糖がかかっている甘いものだったけど、涙のしょっぱい味が今でもすごく印象的です。

父の愛情

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2012年3月16日 14:52
  • 家族

これ、反抗期の時の話しなんだけど、今でも忘れられない。

幼い頃からずっと片親で育ってきた私は、父親と二人暮らしをしてた。
友達や親戚から見ても、誰から見ても、私を大事に宝物の様に可愛がってくれて、一生懸命働いてくれてた。
私の願い事は無理してでも、自分を犠牲にしてでも叶えてくれた。
風邪の時には仕事さぼってでも側に居てくれてた。
寂しい思いはさせなかったと思う。
二人きりだけどクリスマスや誕生日も毎年してくれた。

けど、十代半ば、反抗期のせいで、父の優しさが凄くうざくなってきたんだ。
心配される事とか、口聞く事も、すべてがうっとおしくなったんだ。
私は毎晩、夜遅く帰って来て父が心配してくれても私は父に罵声しかあびせなかった。
友達と遊ぶ事が楽しくて、だんだん家にも帰らなくなった。

そんな毎日を繰り返しまた夜、久しぶりに帰ったら私の分のおかずとか、小さなケーキがおいてあったんだ。
もう誕生日も二~三日すぎてたのに、おいてあって、毎日ご飯作っていつ帰って来るのか分からない私をずっと待っていてくれてたんだとおもったら、切なくて悲しくて申し訳なくて涙が溢れてきた。

そして無造作に置かれてた小銭入れ、ボロボロな汚い小銭入れ、私が幼稚園の頃に父の日にあげたやつ。
まだ使ってたんだ。
父は、ほんとに私を誰よりも何よりも大切な宝モノなんだって事が胸につきささって、父に優しくしてあげられなかった事に、また泣いた。
また後から知った事だけど、私が小さい頃に書いた父の日のカードも、肌身離さず持っていました。

あの一件以来、私はちゃんと帰るようにはなりました。
そんなこんなで今私は結婚もして、もうすぐで子供も産まれます。
私は父がくれたあの愛情を、これから産まれてくる子供にたっぷりそそぎます。

そんな私をこれからも空から見守っててください。
お父さん、こんな私を育ててくれてありがとう。
私はとっても幸せです。
大好きだったよ。

じいちゃんのお守り

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2012年3月14日 01:07
  • 家族

つい先日じぃちゃんが死んだ。
父方のじぃちゃんで、親戚中わんわん泣いた。

んで、昨日じぃちゃんの荷物整理してたら古い100円硬貨がドッサリ出てきたのよ。
しかも製造年が全て同じ年。
何の年か分からず困ってると、親父登場で一言

「それ俺の生まれた年・・・。」

その夜、深夜にトイレで目覚めると居間に明かりが。
親父がむせて咳しながらタバコ吸ってんのよ。

「むせるぐらいならタバコ止めろよww」

と冗談言おうとしたが言えなかった。

葬式でも涙を見せなかった親父が、例の100円玉並べて泣いてんのな。
俺、正直、涙を全く見せない親父を冷たい人間だと思ってた。
強い人間なんだと実感。
トイレなんか忘れて、俺ももらい泣きしながら寝たよ。

んで、今日起きたら何事もなかったかのように親父が

「これ、じぃちゃんのお守りだ。」

って例の100円玉くれた。
何気なく見たら、親父、大事そうにその100円玉財布に入れてんのな。

俺も大事に財布に入れてるよ。
親父みたいな強い大人になりたいと思った。

親父の時計

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2012年3月12日 00:52
  • 家族

大学が決まり一人暮らしの前日の日、親父が時計をくれた。
金ピカの趣味の悪そうな時計だった。

「金に困ったら質に入れろ、多少金にはなるだろうから。」

そういってた。
二年生のある日、ギャンブルにハマリ家賃が払えなくなった。
途方にくれていた時、ハッと気がつき、親父の時計を質にもって行った。
紛れもない偽者であることが判明した。
すぐに親父電話した。

俺「おい!偽者子供につかませんなよ!」
親父「なっあてになんねーだろ人のゆうことなんざ。困った時にこそ裏切られるんだよ。最後の頼みの綱になー。がはははは!これが俺の教育だよ。で、いくら必要なんだ?金に困ったんだろ?」
俺「あきれるわ。十二万貸してください・・・。」
親父「明日振り込むから、何があったかは聞かない。金がない理由は親にいえない事が多いわな!がはははは!女にでもはまったか?このバカ息子が!!ははは!!」

正直心底むかついたが、親父の声は俺を安心させてくれた。
今思うと、小さい会社だが経営者らしい教育だったのかなと思う。
そんな親父も去年の夏、ガンで死んだ。往年の面影も消え、ガリガリになった親父がまた時計をくれた。
まだ箱に入った買ったばかりの時計だった。
必死で笑顔を作りながらいった。

親父「金に・・困ったら質にでも・・・入れろや・・・!」

オメガのシーマスターだった。
くしくもその日は俺の誕生日だった。

俺「親父の時計はあてになんねーから質には入れないよ。」

二人で笑った三日後、親父は死んだ・・・。

親父が死んだ今も、金ピカの時計はメッキもはげたがまだ時を刻んでいる。

継母の日記

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2012年3月10日 16:44
  • 家族

私がまだ小学2年の頃、継母が父の後妻として一緒に住むことになった。
特に苛められたとかそういうことはなかったんだけど、なんだか馴染めなくて、いつまで経っても「お母さん」と呼べないでいた。
そんなぎくしゃくした関係だったけど、継母が私のために一生懸命だったことはよくわかってた。

小学校4年になった夏休み、私は継母の提案で二人で川に遊びに行くことになった。
あんまり気が進まなかったけど、断る理由もなく言われるままにしぶしぶついていった。
現地に着くやいなや、私は継母のことを放ったらかしで川に浸かって遊んだ。

しばらく水と戯れてた時、急に深みにはまって溺れて息が出来なくなった。
すごく苦しかった。
でもそのうち喉の奥が

「クッ、クッ・・・。」

と鳴ってだんだん苦しくなくなってきて、意識が飛んだ。

気が付くと、私は病院のベッドで寝ていた。

「一時心臓が止まって危なかったんだよ。」

と涙ぐんだ父が言ってた。
ベッドの傍に、継母はいなかった。
私は父に

「あの人は?」

と訊いた。
父は一呼吸置いてゆっくりとした口調で教えてくれた。
私が溺れた時に継母が服のまま飛び込んで私を助けてくれ、そのまま力尽きて下流まで流された。
その後、救助されたものの、今も意識が戻らないのだ、と。

私は次の日に継母のいる病室に行った。
継母は機械に囲まれて、いっぱい管をつけられていた。
彼女は、そのまま我が家に戻ってくることなく・・・。

葬儀が終わって母の遺品を整理してたら、鍵のついた日記が出てきた。
私は父と一緒になんとか鍵を探し当てて、日記を読んだ。
そこには私との関係に悩む継母の苦悩など、私のことばかり書いてあった。
ずっと読み進めていくと最後のほうの日記に

「ちょっとはにかみ屋さんだけどとてもいい子。あの子なら、命かけてでも守れる自身がある。○○ちゃんを私に託してくれた△△(実母の名前)さん、本当にありがとうございます。」

継母は、あの日記を書いた数日後に命と引き換えに私を守ってくれた。
いつだってとても優しい目で私を見てくれていた。
いつも私の目線と同じ高さになるように中腰になって話し掛けてくれた。
そんな気持ちはちゃんと伝わってきてたのに私はあの人に何一つしなかった。
愛情をもらいっぱなしでそれに答えなかった。
私は愛情どころかあの人の命まで奪ってしまった。

日記を読んではじめて、私は

「お母さん!」

と大声で叫びながら錯乱状態になり、声が出なくなるまで

「ごめんね、ごめんね。」

と言って泣いた。
ぐしゃぐしゃになって泣いても、後悔ばかりで気持ちは晴れなかった。

年月が過ぎても、私は未だに「母」に対して申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
数十年経った今でも夏になるたびに思い出す。

アサヒビール

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2012年3月10日 02:03
  • 家族

私の父は無口で頑固で本当にこわくて、親戚中が一目置いている人でした。
家に行ってもいつもお酒を飲んでいて、その横で母がせわしなく動いていた記憶があります。

私が結婚する事になり、ドキドキしながら主人を連れて行くと、ずっと黙ったままやっと口を開くと

「ビールは何を飲むんや?」

でした。
その日はなんとか無事に終わり、式の当日終始酒をつぎにまわってた。

その後、子供が生まれ少し育児ノイローゼ気味になった私を見て、なぜか毎日孫の世話をしに来るようになった。
当然子供の面倒など見たことないので、する事がめちゃくちゃでイライラしていた私は嫌味ばかり言ってしまった。

2ヵ月後、あまり調子がよくないと言っていた矢先他界した。
なんでもっと優しくしてあげなかったんだろう?
紙オムツの仕方を聞かれて、

「それぐらいわかるでしょ。」

ってなんで冷たく言っちゃったんだろう?
あの日、自分でどうにかしようと思って変な形になったオムツが残されてた・・・。

その後、毎日つけていた日記が見つかり、式の当日

「あのバカ娘がとうとう嫁に行った。最後の挨拶では涙が出た。幸せになれ。」

って書いてた。
おまけに家には主人があの日答えた「アサヒビール」が押入れいっぱい詰められていた。

ホントの母親のような継母

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2012年3月 9日 11:02
  • 家族

俺を生んでくれた母親は俺が2歳の頃に死んだ。
後の親父の話では元々、体が丈夫な人じゃなかったらしい。

俺が6歳の頃に親父が再婚して義母がやってきた。
ある日、親父が

「今日からこの人がお前のお母さんだ。」

といって連れてきた。
新しい母親は俺を本当の子供のように可愛がってくれた。
家族とか血縁とかまだ分からない頃の俺にとって義母が本当の母親だった。

それから、何年か経ち俺が中学の頃、今度は親父が事故で帰らぬ人となった。
親父の葬式の席で親族が集まりこれからの俺たち家族の事で話し合うことになった。
親父の両親(俺から見て祖父母)は既に無く、親戚づきあいも疎遠で葬式には親父の親族は誰も来なかった。
後から知った事だが親父はガキの頃に両親を亡くし親戚中をたらい回しにされ、おまけにひどい扱われようだったらしい。
そんな事もあり自分が大人になって働き出してからは一切、縁を切っていたらしい。
まあ、そんな状況もあり今後の俺たち親子の事を生母、義母側双方で話をする事になった。

元々義母の両親は義母と親父との結婚に反対していた。
まぁ親としては娘の結婚相手にコブ付きだとやっかむの当然かもしれない。
また生みの母の両親は、まだ若い義母の事を考えて俺を引きと取ると言い出した。
双方の親の利害が一致して、俺は生母の家に引き取られると決まりかけた時。
それまで双方の話を聞くだけだった義母が口を開いた。

「この子は私の子です。例え血が繋がって無くても私の子供です!お願いですから、この子は私に任せてください。」

物腰の柔らかい義母が珍しく語気を荒げていた。
出会ってからはじめて見たそんな義母の姿に俺は驚きを覚えた。
最初は難癖を付けていた双方の両親も最後には義母に折れる形となり、俺は義母と二人で生活することになった。
稼ぎ頭の親父が死んで義母は必死で働いた。
受験で大変な時期の俺を育てる為に必死で働いてくれた。

高校3年の時、俺は家の事情もあり進路は就職すると決めていた。
しかし、その話を聞いた義母は

「大学に行きなさい。」

と言った。

「お金は母さんが何とかするからあんたは大学に行きなさい。」

なんで、実の息子でも無いのにそんなに俺に一生懸命なんだろう?
俺は半ば呆れながらそんな義母の言葉が嬉しくて思わず泣いてしまった。
そんな義母の言葉に背を押され少し遅れて受験勉強。
家の事情を考えると浪人は出来ないし、そんな事で義母を落胆させたくなかった。
元々、勉強は出来るほうじゃないので入れた大学も大した大学じゃなかったが、それでも合格と聞いた義母の涙混じりの笑顔は今でも忘れられない。

大学に入ったが俺は生活費分ぐらい自分で何とかしようと決めていた。
高校の時もそうだがアルバイト三昧の日々で良く留年しなかったものだと今でも不思議に思う。
大学も何とか無事に四年で卒業が出来、就職も決まり俺は晴れて社会人になった。
最初の初任給で義母にプレゼントを買った。

さすがに俺のプレゼント(たいしたもんじゃないけど)には参ったのか、

「ありがとう、ありがとう。」

と言いながら泣く姿に俺も思わず貰い泣き。
ほんと、感謝しなきゃならないのは俺の方です。

それからは二人でつつがなく暮らしていたが、俺も30の手前で結婚したい相手が出来た。
最初は俺の結婚を義母がどう思うかと思っていたが大喜びで歓迎してくれた。

「あんたもこれで一人前だね。」

と言われて照れくさいやら恥ずかしいやら。
最初は一緒に暮らそうと言ったが

「お嫁さんに悪いから母さんはここで暮らすよ。」

と断られる。
いやいや、かみさんも賛成してくれてるんだけど・・・。
何度か話はするもののの結局、離れて暮らすことに。
でも、結婚して一年経って義母が倒れた。
幸い大事に至らなかったが、今後、同じ事が有ってもいけないと思い、断っている所を半ば強引に同居することに。

その間、孫の顔も見せることが出来たしかみさんとも上手くやってるしで本当に幸せそうだった。
でも先月、その義母が他界。
くも膜下出血であっけなく死んでしまった。

通夜の席でかみさんが義母の話をしてくれた。
正直、この年になるまで義母のそれまでの人生を聞いたことが無かった。
かみさんは義母から色々、聞いていたらしい。

義母は親父と結婚する前に子供が生めない体だったらしい。
最初はそんな事もあり結婚を断っていたそうだが、親父はそんな事情を承知で

「俺たちには子供がいるじゃないか、俺の息子の母親になってくれないか?」

の言葉に義母は涙ながらに承諾。
親父も人前も憚らず泣いていたそうで、義母曰く

「あんなみっともないプロポーズは無かったけど嬉しかった。」

との事。
その話を聞いて俺はやっと理解できた。
そして言葉にならなずに涙だけが溢れて仕方が無かった。

今までかなり泣いたけど息が苦しくなるほど泣いたのは初めてだった。
ぶっきらぼうな親父の優しさもそうだが、親父のプロポーズを最後まで純粋に受け入れた義母に、言葉に出来ない思いがこみ上げてきた。
かみさんもそれ聞いた時は涙が止まらなかったそうで俺に話しながらまた号泣。

子供たちも泣いてる俺たちを見てつられて泣き出す始末。
義母いや、母さん、血は繋がってないけど貴方は俺にとって本当の母さんです。
生みの母には悪いけど、俺にとって貴方以上の母はいません。

親父、そっちで会ったら誉めてやってください。
貴方が選んだ人はとても素晴らしい人でした。
最後に母さん、もし生まれ変われるならまた貴方の子供に生まれたい。
今度は貴方の本当の子供に生まれ変わりたいです。
突然に逝ってしまって改まって感謝することが出来なかったけど、本当にありがとう。

かーちゃんの後輩

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2012年3月 6日 12:00
  • 家族

俺のかーちゃん、俺が高3に上がったときにいきなり倒れて入院した。

検査をして入院が決まったが、俺は内容を詳しくきかされなかった。
夏頃から受験勉強もあって、かーちゃんに会いにいく時間も取れなくなっていった。

俺は決して頭が良くはなかった。
かーちゃんは立教大学出身。
俺は小さい頃良く

「かーちゃんと同じ大学にいく。」

と言ったものだ。
実際に受験となると、ハードルは高かったけれど立教を目指してがんばった。
冬になり、かーちゃんは次第に痩せていった。
飯も食わなくなり、俺の手を良く握るようになった。
かーちゃんは俺に色々話をさせた。
学校、進路、夢。
思えば何であのとき気がつかなかったんだろう・・・。

涙が・・・ちょヤバ・・・。

最後の模試の結果が出た。
努力の甲斐か、立教大B判定が出た。
俺からすれば奇跡に近い判定。
おれは帰りに病院に行き結果を見せた。

俺「かーちゃん、おれ立教大いくよ。判定もホラ。」

得意げに模試を見せた。
かーちゃん「がんばってるのね。タケシ(仮)が後輩になってくれたらかーちゃん嬉しいよ。」

その日もかーちゃんは俺にたくさん話をさせた。
俺の手を握りながら、楽しそうに。

それからすぐ、俺は大学入試を迎えた。
大本命の日、朝早く起きて下に降りるとかーちゃんが台所にいた。
俺「何やってんだよかーちゃん、寝てなきゃ。」
母「今日は本命の日でしょ、お弁当持ってきなさい。」

一年ぶりのかーちゃんの弁当だった。
俺は涙が出るのをこらえながら準備をして出かけようとしたとき、かーちゃんが急に苦しみだした。
俺は急いで病院に電話し、救急車がきた。
家には俺しかおらず、付き添って行った。
意識が飛びそうになるくらい、混乱しながら苦しむかーちゃんの手を握った。
病院についてすぐ親父も駆けつけた。
しばらくして担当医に呼ばれた。
最期になるかもしれないのでついてあげて下さい。
俺と親父が病室に入ったときかーちゃんは無惨なほどだった。
血の気は引き、やせ細り、しばらくして意識が戻った。
かーちゃんはいつもみたく手を握った、病人とは思えないくらい強く。
俺は子供みたいに泣いていた。
かーちゃんは声にならない声で何かを呟いていた。
俺は耳を近づけて聞き取ろうとすると確かにこう言っていた。

「うけてきなさい。」

そしてかーちゃんは俺から手を離した。

そんなの無理に決まっている。
かーちゃんを置いて受験に行くなんてしかももう8時を回っている。
間に合うとしてもギリギリだった。
困惑した俺に親父が声をかけた。

「行ってきなさい、母さんもそうしなさいと言ってくれてるんだ。」

俺はかーちゃんのてをもう一度握ると弾けたように病室を飛び出していた。
そこからどうやって来たかはおぼえていない。
走って、乗り換えて、池袋駅を疾駆して、何とか一限の筆記を受けたときやっと正常な時間の流れに戻った気がする。
昼休み、何も食べる気がしなかったがかーちゃんの弁当を思い出した。
俺は中庭でそれを広げた時、何とも言えない懐かしさと何かこみ上げるものを感じた。
それは俺が中高5年間食べたかーちゃんの弁当だった。
おいしい・・・。
涙をこらえ食べた。
かーちゃん・・・。

それからは流れるように時間がたち手応えも何も感じないままフラフラと地元まで帰った。

病室に入ると、かーちゃんは居なかった。
看護婦さんに聞いて霊安室につれていってもらった。
数名の御遺体の中、変わり果てたかーちゃんを見つけ、俺は叫びともつかない嗚咽をし、かーちゃんを抱きしめた。
担当の看護婦さんに連れられてラウンジで落ち着くまで色々な話を聞いた。
かーちゃんは俺が来た数日は本当に機嫌がよかったそうだ。
看護婦さんや医者、同じ病室の人にも よく俺の話をしていたらしい。
逆に俺が来ない日が続くと元気がなく、泣いている日もあったという。
帰り際に、一枚のメモをもらった。
病院備え付けの薄っぺらいメモ用紙には震えた力無い

「お疲れさま。」

の文字があった。

葬式や通夜が終わり、俺は発表を見に行った。
結果は合格。
俺は泣いた。
合格も嬉しかったけれど何より心で叫んだ。

「かーちゃん、ちゃんと受かったよ!!!」

お祝いしてくれよ、かーちゃんの弁当で花見行こうよ。
何で・・・こんな時にいないんだよ・・・。

かーちゃん・・・。

俺は合格通知をかーちゃんの墓に見せに行きたくさんの話をした。
端から見たら変な人に見えるだろう。
でも俺はこの18年間の

「ごめんなさい、ありがとう。」

を全部語った。

母さんの形見

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2012年3月 2日 11:13
  • 家族

今年、母が亡くなった。

遅い反抗期だったと思う。
中学生まで親に逆らわず良い子だった俺が、高校生になり急に親に反抗するようになった。
母親には罵声を浴びせ、家に帰らない日々が続いた。

高校卒業と同時に家出同然に実家を出た。
最初のうちはそれでも住所くらいは伝えていたが、住所を何度か変えるうちいつの間にか両親との連絡は一切途絶えてしまっていた。
唯一電話番号を教えていた(それでも一切連絡のなかった)弟から電話が来たのは、俺の彼女のお腹に子供がいることが判明した今年2月の事だった。

母が倒れたと言う。

両親に対する反抗心はもうなかったが、いまさら帰るのは正直億劫だった。
母が深刻な状態などとは思ってもいなかった。
それでも行く気になったのは、彼女を紹介しようと考えたからだ。

母親が亡くなったのは、翌日俺たちが高速道路を走っている頃だったらしい。
久しぶりに会った親父はひどく小さな背中をしていた。
相変わらずの無骨な声で、

「よう。」

だか

「おう。」

だか一言発しただけだった。
母は俺の記憶とは全く違う老いた顔で、それでも安らかな表情で眠っていた。
涙は出なかった。

葬儀も終わって一週間位たった頃、親父から俺宛にひとつの段ボール箱が届いた。
中身は父の無骨な字で書かれた

「母さんの形見だ。」

というメッセージと大量の手紙、そして、ひとつの指輪だった。
百通以上はあろうかという手紙は、すべて母が俺に宛てて書いたもので、 俺が家を出た頃から書いていたらしい。
母らしい丁寧な字で ひたすら俺のことを心配する、そして自分の不甲斐なさを俺に詫びる内容だった。

それらの手紙は、親父らしからぬ几帳面さできちんと順番に梱包されていた。
同封されていた指輪にも一通の手紙が添えられていた。

「この指輪は、私のお母さん、つまりあなたのおばあちゃんの形見です。私が結婚するときにもらったものです。あなたにいい人ができたら、この指輪をプレゼントしてあげてください。私の両親や私たちのように、幸せな家庭を築いてください。」

俺は指輪と手紙を彼女に渡して、黙って寝室に行った。

しばらくして彼女が真っ暗な部屋に入ってきて、俺の背中に背中を合わせて座った。
すすり泣いていた。
その時、

「あぁ、泣いてもいいんだ。」

と思った。
涙が出てきた。
止まらなかった。
母さんごめんな。
そしてありがとう。
生まれてくる娘の名前には、あなたから一文字頂きます。
あなたに返せなかった愛情を、そのぶんこの子に与えられるように。

そして、あなたの優しさや強さをこの子に伝えるために。

難聴の娘

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2012年3月 1日 12:01
  • 家族

うちの娘3才は難聴。
ほとんど聞こえない。
その事実を知らされたときは嫁と泣いた。
何度も泣いた。

難聴と知らされた日から娘が今までとは違う生き物に見えた。
嫁は自分を責めて、俺も自分を責めて、まわりの健康な赤ん坊を産むことができた友人を妬んだ。
ドン底だった。
バカみたいにプライドが高かった俺はまわりの奴等に娘が難聴って知られるのが嫌だった。
何もかもが嫌になった。
嫁と娘と三人で死のうと毎晩考えていた。

ある晩、嫁が俺に向かってやたらと手を動かしてみせた。
頭おかしくなったんかと思ってたら、喋りながらゆっくり手を動かし始めた。

「大好き、愛してる、だから一緒にがんばろう。」

手話だった。
そのときの嫁の手、この世のものじゃないかと思うくらい綺麗だった。

それで目が覚めた。
何日もまともに娘の顔を見てないことにもやっと気付いた。
娘は眠ってたが、俺が声をかけるとニタッと笑った。

あれから三年。
娘の小さな可愛い手は上手に動いてる。
喋ってる。

お母さん、ごめんね

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2012年2月29日 20:40
  • 家族

子供の頃、家は流行らない商店で貧乏だった。
母がパートに出て何とか生活できているよう程度の生活だ。
学校の集金のたびに母親がため息をついていたのをよく憶えている。

別段、小学校、中学校は何とも思わなかったけれど、高校の入り、進学を考えた頃から両親と喧嘩することが多くなった。
私は大学に進みたかった。
美大に行って本格的に絵を描きたかったからだ。
しかし進学するのに必要なお金など、どう考えても捻出できなかった。
毎日、昼のパート、夕方からのパートと掛け持ちで働き、くたくたになっている母親に、

「何で進学できないんだよ!子供の進学資金も出せないようじゃ親失格だぜ!」

と言ったことがある。
母親は涙ぐみ何も言わなかった。
その姿にハッと我に返ったが、ぶつけようのない悔しさが邪魔をしてそのまま謝りもしなかった。
しばらく後になって、あの時なぜ謝らなかったのだろうと猛烈に悔やむことになった。

母親は事故で亡くなり、直接謝ることは出来なくなってしまったのだ。
パートの帰りの運転中の事故だった。
交差点に突っ込んでの事故で、ブレーキ痕もない、、過労だと思う、、

葬式の後、母の部屋を整理していて日記とも家計簿とも取れるようなノートを見つけた。
食費や光熱費、、、
私は家計をやりくりした事など当然ないが、そんな私が見てもギリギリの生活だった。

母親が自分のために使ったものなど何一つなかった。
なのに、、私のための進学のための貯金があった。
ぎりぎりの生活の中で、本当に数百円の単位で毎月貯金してあった。

私が怒鳴ったあたりから、パートの時間が増えていた。
後でわかった事だが、パートの勤務時間を頼み込んで増やしていたようだ。
増えた分は全て貯金、、

私はバカだった。
自分のことだけだった。
母の笑った顔を最後に見たのはいつだったろう?
私は何一つ親孝行などしてない。

母がいなくなってから、後悔の連続だった。
苦労ばかりかけて、自分のことばかり考えていた。
何の親孝行もしていない。
なぜあんな事を言ったのか、謝らなかったのか、謝りたい、心から母に謝りたかった。

そんな時、ものすごくリアルな夢を見た。
夢の中で母親は居間で座っていた。
母を見つけた私は、泣きながら母親に詫びた。

「何もしてやれないで、ひどい事を言って、ごめん。」

と。
本当に子供のように泣いた。
母親は私の手を握って、

「謝らなくちゃいけないのはお母さんだから、、ごめんね。」

と言った。
それを聞いて、私はますます声をあげて泣いた。
起きた時は枕まで涙で濡れていた。
そして手にははっきりと、母の手の感覚が残っていたのを憶えている。
それだけならリアルな夢で終わっていたのだが、その夢を見た朝、父が

「今朝、母さんの夢を見た。」

と言うのだ。
私のことをよろしくと言ったらしい。
父が

「直接会いに行って話したらいい。」

と母に言うと、

「もう会ってきたから。」

と言ったそうだ。
後悔の念が見せた夢で、偶然の事かもしれない。
でも、夢であれ母に謝ることができて良かった。

ドラクエ3

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2012年2月28日 11:41
  • 家族

私には、兄がいました。
3つ年上の兄は、妹想いの優しい兄でした。
ドラクエ3を兄と一緒にやってました。
(見てました。)

勇者が兄で、僧侶が私。
遊び人はペットの猫の名前にしました。
バランスの悪い3人パーティ。
兄はとっても強かった。
苦労しながらコツコツすすめた、ドラクエ3。
おもしろかった。
たしか、砂漠でピラミッドがあった場所だったと思います。
とても、強かったので、大苦戦してました。

ある日、兄が友人と野球にいくときに、私にいいました。

「レベ上げだけやってていいよ。でも先には進めるなよ。」

私は、いっつもみてるだけで、よくわからなかったけど、なんだか、とてもうれしかったのを覚えてます。
そして、その言葉が、兄の最後の言葉になりました。

葬式の日、父は、兄の大事にしてたものを棺おけにいれようとしたのを覚えてます。
お気に入りの服。
グローブ。
セイントクロス。
そして、ドラクエ3。

でも、私は、ドラクエ3をいれないでって、もらいました。
だって、兄から、レベ上げを頼まれてたから。

私は、くる日もくる日も時間を見つけては、砂漠でレベ上げをしてました。
ドラクエ3の中には、兄が生きてたからです。
そして、なんとなく、強くなったら、ひょっこり兄が戻ってくると思ってたかもしれません。

兄は、とっても強くなりました。
とっても強い魔法で、全部倒してしまうのです。
それから、しばらくして、ドラクエ3の冒険の書が消えてしまいました。

その時、初めて私は、泣きました。
ずっとずっと、母の近くで泣きました。
お兄ちゃんが死んじゃった。
やっと、実感できました。

今では、前へ進むきっかけをくれた、冒険の書が消えたことを、感謝しています。

ばあちゃんのすごろく

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2012年2月24日 15:46
  • 家族

362 名前:躯 ◆jk0cn7Uk1o 投稿日:04/05/23 19:43 ID:YasGQFUA
オレは小さい頃、家の事情でばあちゃんに預けられていた。
当初、見知らぬ土地に来て間もなく当然友達もいない。
いつしかオレはノートに、自分が考えたすごろくを書くのに夢中になっていた。
それをばあちゃんに見せては

「ここでモンスターが出るんだよ。」
「ここに止まったら三回休み~。」

ばあちゃんはニコニコしながら、

「ほう、そうかい、そいつはすごいねぇ。」

と相づちを打ってくれる。
それが何故かすごく嬉しくて、何冊も何冊も書いていた。

やがてオレにも友達が出き、そんなこともせず友達と遊びまくってたころ、家の事情も解消され、自分の家に戻った。
ばあちゃんは別れる時もニコニコしていて、

「おとうさん、おかあさんと一緒に暮らせるようになってよかったねぇ。」

と喜んでくれた。
先日、そのばあちゃんが死んだ。
89歳の大往生だった。
遺品を整理していた母から、

「あんたに。」

と一冊のノートをもらった。
開いてみると、そこにはばあちゃんが作ったすごろくが書かれてあった。
モンスターの絵らしき物が書かれていたり、何故かぬらりひょんとか、妖怪も混じっていたり。

「ばあちゃん、よく作ったな。」

とちょっと苦笑していた。
最後のあがりのページを見た。

「あがり」

と達筆な字で書かれていた、その下に

「義弘(オレ)くんに友達がいっぱいできますように。」

人前で、親の前で号泣したのはあれが初めてでした。
ばあちゃん、死に目に会えなくてごめんよ。
そしてありがとう。

母の唯一のワガママ

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2012年2月23日 08:23
  • 家族

「沖縄に行かない?」

いきなり母が電話で聞いてきた。
当時、大学三年生で就活で大変な頃だった。

「忙しいから駄目。」

と言ったのだが母はなかなか諦めない。

「どうしても駄目?」
「今大事な時期だから。就職決まったらね。」
「そう・・・。」

母は残念そうに電話を切った。
急になんだろうと思ったが気にしないでおいた。

それから半年後に母が死んだ。
癌だった。
医者からは余命半年と言われてたらしい。
医者や親戚には息子が今大事な時期で、心配するから連絡しないでくれと念を押していたらしい。

父母俺と三人家族で中学の頃、父が交通事故で死に、パートをして大学まで行かせてくれた母。
沖縄に行きたいというのは今まで俺のためだけに生きてきた母の最初で最後のワガママだった。

叔母から母が病院で最後まで持っていた小学生の頃の自分の絵日記を渡された。
パラパラとめくると写真が挟んであるページがあった。
絵日記には

「今日は沖縄に遊びにきた。海がきれいで雲がきれいですごく楽しい。ずっと遊んでいたら旅館に帰ってから全身がやけてむちゃくちゃ痛かった。」

というような事が書いてあった。
すっかり忘れていた記憶を思い出す事が出来た。

自分は

「大きくなったらお金を貯めて父母を沖縄に連れていってあげる。」

というようなことをこの旅行の後、言ったと思う。
母はそれをずっと覚えていたのだ。
そして挟んである写真には自分を真ん中に砂浜での三人が楽しそうに映っていた。

自分は母が電話をしてきた時、どうして母の唯一のワガママを聞いてやれなかったのか。
もう恩返しする事が出来ない・・・。
涙がぶわっと溢れてきて止められなかった。

ありがとう、父さん

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2012年2月22日 08:20
  • 家族

私がまだ小一の頃。
母さんと父さんはあんまり仲が良くなくって、どちらかというと母に良くして貰ってた私は、父のことがあまり好きではなかった。

そんなある日、学校に行ったとき上靴を忘れてしまった。

「仕方ない、靴下で一日過ごそう。」

と思っていたその時、父が上靴を持ってきてくれた。
父は背がとても高いが、ルックスはアンガールズの田中に似てて、はっきりいってかっこいいとはとても言えない父。
クラスメイトが私の机に集まっていたこともあり、恥ずかしさとか色々な感情で思わず、

「出て行ってよ!!お父さんが何で上靴もって来たの!!」

と強く言ってしまった。
父は、何も言わずに上靴を置いて、教室を出て行った。

家に帰ると、仕事から帰った母親がいた。

「○○(名前)、今日父さんに何か言ったの?」

すぐに、あの上靴のことだと分かった。
母に聞いた話によると、父は教室を出てから家に帰るまで、ずっとわんわん泣いていたらしい。
その日は出張の日で、東京に行ってしまったが、母には、

「○○を責めないでほしい。あの子は何も悪くない。」

と、泣きながら飛行場に行ったそうだ。

私も泣いた。
初めて、本気で父さんに申し訳ないと子供心に思った。

いつも、早く仕事に行って遅くに帰ってくる父さん。
教育なんてまるで興味ないのに、突然怒り出す父さん。
熱を出したとき、一番心配していた父さん。
不器用だけど、笑った顔は最高の父さん。
いつもお疲れ様って、何でずっと言えなかったんだろう。

その日の夜、父さんに電話を掛けた。

「わざわざ電話掛けてくれてありがとな。」

って泣きながら言ってきた。
私は泣きすぎてボロボロで、声にならない声で

「お疲れ様。仕事、頑張ってね。」

電話を切った後でも、私は罪悪感でずっと泣いていた。

父は二日後に帰ってきた。
私の好きな東京バナナをおみやげに買ってきてくれて。
東京バナナって、甘くてとってもおいしい。
でも、私が食べた東京バナナは、とってもしょっぱかった。

ありがとう、父さん。

何それ?手作り?ダサいね~、あんたのママ買ってくれないの?

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2012年2月21日 11:51
  • 家族

3歳の娘が、週末の公民館での開放プールを楽しみにしてる。

プールは一人に一つ玩具持ち込みOKなので私も娘に玩具を・・・。
ケチなのもあるがプールの為だけに買うのも何だしなぁ・・と、家にある小さいペットボトルで、いわゆるゴミ玩具を作った。
ゴミ玩具とはいえ私なりに手をかけ、ビーズを中に入れたりして可愛らしく作った。
娘もとても気に入った様で、お風呂でもそれで遊んでいた。
で週末プールにそれを持っていった娘、楽しく遊んでいたのに、どこぞのギャルママに

『何それ?手作り?ダサいね~、あんたのママ買ってくれないの?ダサイダサイ・・・。』

と言われ、娘はキョトン・・・。

しかもそのギャルママの子までが、ダサイダサイ騒ぎだした。
娘は無視して私の方にやって来たが、その子がついてきて、ダサイダサイ連呼。

娘は半泣きになって、自分の玩具をプールの外に投げ出してしまった。
娘はその日、今まで無い位におとなしくなって、何も話したがらなかった。
私は少々心が痛かったが

『新しい玩具買いにいく?』

と聞いた。
しかし娘は無言で、首を横にふった。
そして夜、娘が

『ママの玩具、投げたりしてごめんなさい・・・。また遊んでいい?』

と言った。
嬉しかった。
少し泣いてしまった。

お母ちゃんはとっても疲れてるから。いつ起きるか分かんないな

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2012年2月21日 11:48
  • 家族

日曜に、ミスド行った時の話。

若いお父さんと3歳くらいの、目がくりくりした可愛い子が席についた。
お父さんと私は背中合わせ。
以下、肩越しに聞いた会話。
(ちょっとうろ覚え)

子「どーなつ、おいしいねぇ。」
父「ん、おいしいね。」
子「おかーちゃんにも、あげたいねぇ。」
父「そだね。」
子「おかーちゃん、いつおっき?」
父「んー、お母ちゃんはとっても疲れてるから。いつ起きるか分かんないな。」
子「そっかあ。」

子「○○(自分の名前)、ゆーえんち!」
父「ん?」
子「ゆーえんちいって、かんらんしゃ!おかーちゃんいっしょ!」
父「そだね。お母ちゃんと行きたいね、三人で。お母ちゃんがおっきしたら・・・。」

子「おとーちゃん?だいじょうぶ?えーんえーん?」
父「大丈夫。えーんえーんしてないよ。お父ちゃんは大丈夫だから。」

もう涙堪えるのに必死でした。
この親子になにがあったのかは推し量ることしかできませんが、やさしいぼくちゃんと、まだ若いお父さんに幸あれ。

天国への手紙

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2012年2月16日 18:20
  • 家族

105 名前:名無しの心子知らず 投稿日:02/03/12 02:10 ID:kZUjKi9/
4歳になる娘が、字を教えてほしいといってきたので、どうせすぐ飽きるだろうと思いつつも、毎晩教えていた。
ある日、娘の通っている保育園の先生から電話があった。

「○○ちゃんから、神様に手紙を届けてほしいって言われたんです。」

こっそりと中を読んでみたら、

「いいこにするので、ぱぱをかえしてください。おねがいします。」

と書いてあったそうだ。
旦那は去年、交通事故で他界した。

字を覚えたかったのは、神様に手紙を書くためだったんだ・・・。
受話器を持ったまま、私も先生も泣いてしまった。

「もう少ししたら、パパ戻って来るんだよ~。」

最近、娘が明るい声を出す意味がこれでやっとつながった。
娘の心と、写真にしか残っていない旦那を思って涙が止まらない。

母のお弁当日記

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2012年2月16日 18:10
  • 家族

私の母は昔から体が弱くて、それが理由かは知らないが、母の作る弁当はお世辞にも華やかとは言えないほど質素で見映えの悪い物ばかりだった。
友達に見られるのが恥ずかしくて、毎日食堂へ行き、お弁当はゴミ箱へ捨てていた。

ある朝母が嬉しそうに

「今日は〇〇の大好きな海老入れといたよ。」

と私に言ってきた。
私は生返事でそのまま学校へ行き、こっそり中身を確認した。
すると確かに海老が入っていたが殻剥きもめちゃくちゃだし、彩りも悪いし、とても食べられなかった。
家に帰ると母は私に

「今日の弁当美味しかった?」

としつこく尋ねてきた。
私はその時イライラしていたし、いつもの母の弁当に対する鬱憤も溜っていたので

「うるさいな!あんな汚い弁当捨てたよ!もう作らなくていいから。」

とついきつく言ってしまった。
母は悲しそうに

「気付かなくてごめんね・・・。」

と言いそれから弁当を作らなくなった。

それから半年後、母は死んだ。
私の知らない病気だった。
母の遺品を整理していたら、日記が出てきた。
中を見ると弁当のことばかり書いていた。

「手の震えが止まらず上手く卵が焼けない。」

日記はあの日で終わっていた。
後悔で涙がこぼれた。

耳が聞こえない俺とその父の話

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2012年2月14日 12:46
  • 家族

492 :1/5:2006/02/13(月) 05:50:13 ID:Ksv7Zq5b
俺には母親がいない。
俺を産んですぐ事故で死んでしまったらしい。

産まれたときから耳が聞こえなかった俺は、物心ついた時にはもうすでに簡単な手話を使っていた。

耳が聞こえない事で俺はずいぶん苦労した。
普通の学校にはいけず、障害者用の学校で学童期を過ごしたが、片親だったこともあってか、近所の子どもに馬鹿にされた。
耳が聞こえないから何を言われたか覚えていない(というか知らない)が、あの見下すような馬鹿にしたような顔は今も忘れられない。

その時は、自分がなぜこんな目にあうのかわからなかったが、やがて障害者であるということがその理由だとわかると俺は塞ぎ込み、思春期の多くを家の中で過ごした。
自分に何の非もなく、不幸にな目にあうのが悔しくて仕方がなかった。

だから俺は父親を憎んだ。
そして死んだ母親すら憎んだ。
なぜこんな身体に産んだのか。
なぜ普通の人生を俺にくれなかったのか。

手話では到底表しきれない想いを、暴力に変えて叫んだ。
ときおり爆発する俺の気持ちを前に、父は抵抗せず、ただただ、涙を流し

「すまない。」

と手話で言い続けていた。

その時の俺は何もやる気がおきず、荒んだ生活をしていたと思う。

493 :2/5:2006/02/13(月) 05:51:13 ID:Ksv7Zq5b
そんな生活の中での唯一の理解者が俺の主治医だった。
俺が産まれた後、耳が聞こえないとわかった時から、ずっと診てくれた先生だ。
俺にとってはもう一人の親だった。

何度も悩み相談にのってくれた。
俺が父親を傷つけてしまった時も、優しい目で何も言わず聞いてくれた。
仕方がないとも、そういう時もあるとも、そんな事をしては駄目だとも言わず、咎める事も、慰める事もせず聞いてくれる先生が大好きだった。

そんなある日、どうしようもなく傷つく事があって、泣いても泣ききれない、悔しくてどうしようもない出来事があった。
内容は書けないが、俺はまた先生の所に行って相談した。

長い愚痴のような相談の途中、多分

「死にたい。」

という事を手話で表した時だと思う。
先生は急に怒り出し、俺の頬をおもいっきり殴った。
俺はビックリしたが、先生の方を向くと、さらに驚いた。

先生は泣いていた。

そして俺を殴ったその震える手で、静かに話し始めた。

494 :3/5:2006/02/13(月) 05:51:48 ID:Ksv7Zq5b
ある日、俺の父親が赤ん坊の俺を抱えて先生の所へやってきたこと。
検査結果は最悪で、俺の耳が一生聞こえないだろう事を父親に伝えたこと。
俺の父親がすごい剣幕でどうにかならないかと詰め寄ってきたこと。

そして次の言葉は俺に衝撃を与えた。

「君は不思議に思わなかったのかい。君が物心ついた時には、もう手話を使えていたことを。」

たしかにそうだった。
俺は特別に手話を習った覚えはない。
じゃあなぜ・・・。

「君の父親は僕にこう言ったんだ。

『声と同じように僕が手話を使えば、この子は普通の生活を送れますか?』

驚いたよ。
確かにそうすればその子は、声と同じように手話を使えるようになるだろう。
小さい頃からの聴覚障害はそれだけで知能発達の障害になり得る。
だが声と同じように手話が使えるのなら、もしかしたら・・・。
でもそれは決して簡単な事じゃない。
その為には今から両親が手話を普通に使えるようにならなきゃいけない。
健常人が手話を普通の会話並みに使えるようになるのに数年かかる。
全てを投げ捨てて手話の勉強に専念したとしても、とても間に合わない。
不可能だ。
僕はそう伝えた。
その無謀な挑戦の結果は、君が一番良く知ってるはずだ。
君の父親はね、何よりも君の幸せを願っているんだよ。
だから死にたいなんて、言っちゃ駄目だ。」

495 :4/5:2006/02/13(月) 05:52:20 ID:Ksv7Zq5b
聞きながら涙が止まらなかった。
父さんはその時していた仕事を捨てて、俺のために手話を勉強したのだった。
俺はそんな事知らずに、たいした収入もない父親を馬鹿にしたこともある。

俺が間違っていた。
父さんは誰よりも俺の苦しみを知っていた。
誰よりも俺の悲しみを知っていた。
そして誰よりも俺の幸せを願っていた。

濡れる頬をぬぐう事もせず俺は泣き続けた。
そして父さんに暴力をふるった自分自身を憎んだ。
なんて馬鹿なことをしたのだろう。
あの人は俺の親なのだ。

耳が聞こえないことに負けたくない。
父さんが負けなかったように。
幸せになろう。
そう心に決めた。

今、俺は手話を教える仕事をしている。
そして春には結婚も決まった。
俺の障害を理解してくれた上で愛してくれる最高の人だ。

父さんに紹介すると、母さんに報告しなきゃなと言って父さんは笑った。
でも遺影に向かい、線香をあげる父さんの肩は震えていた。

そして遺影を見たまま話し始めた。

496 :5/5 聞いてくれてありがとう :2006/02/13(月) 05:53:09 ID:Ksv7Zq5b
俺の障害は先天的なものではなく、事故によるものだったらしい。
俺を連れて歩いていた両親に、居眠り運転の車が突っ込んだそうだ。
運良く父さんは軽症ですんだが、母さんと俺はひどい状態だった。
俺は何とか一命を取り留めたが、母さんは回復せず死んでしまったらしい。

母さんは死ぬ間際、父さんに遺言を残した。

「私の分までこの子を幸せにしてあげてね。」

父さんは強くうなずいて、約束した。
でもしばらくして俺に異常が見つかったそうだ。

「あせったよ。お前が普通の人生を歩めないんじゃないかって。約束を守れないんじゃないかってなぁ。でもこれでようやく、約束・・・果たせたかなぁ。なぁ・・・母さん。」

最後は手話ではなく、上を向きながら呟くように語っていた。
でも俺には何て言っているか伝わってきた。
俺は泣きながら、父さんにむかって手話ではなく、声で言った。

「ありがとうございました!」

俺は耳が聞こえないから、ちゃんと言えたかわからない。
でも父さんは肩を大きく揺らしながら、何度も頷いていた。

父さん、天国の母さん、そして先生。
ありがとう。
俺、いま幸せだよ。

最近のあたしの話

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2012年2月 6日 08:36
  • 家族

疲れていた。
平均睡眠時間4時間。
本当に疲れていた。

出たくて出た実家。
帰る訳にはいかないし、帰りたくなかった。

その時母から電話がきた。
取り留めのない話をしながら、ふと、母が言った。

「頑張らなくていいんだよ。」

泣き声が聞こえないように声を押し潰しながら、

「解ったよ。」

と言って電話を切った。
あたしは声を出して泣いた。
わんわん泣いた。

泣き止んで、飲みかけのビールを一気に飲み干して、布団に入った。
明日も頑張ろう。
明日も頑張ろう。
そう強く思い、ゆっくり眠った。

妹を守る兄

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2012年2月 3日 02:02
  • 家族

中学の頃、学校でいじめにあっていた、教室に入れなくていつも保険室に通っていた。

いじめの事は家族にも言っていない、ただ私のワガママで保険室に通っているだけ、と教師、両親は思っていた。

いじめは段々とエスカレートし、また陰湿だった・・・。
でも回りに心配かけたく無くて、いつも無理して笑っていた。

辛くて孤独でどうしようも無くて、死んでしまおうと決心した日、高校生の兄が修学旅行から帰って来て私にお土産をくれた。

どこかのドライブインに売っているような、キーホルダーのオルゴール。
長崎に行って来たハズなのに・・・。

幼い頃から、兄と常に一緒にいたが、兄にはいつもイジメられた記憶しか無い。
だから、長崎のお土産を私にだけはくれなかった、そう思った瞬間、学校でのイジメと重なり、私はそのお土産を

『こんなのいらない!!』

と投げつけてしまった・・・。

すると、その衝撃でオルゴールがなった、題名は知らないけど

『涙など見せない強気なアナタをこんなに悲しませてるのは誰なの?』

って言う歌詞の曲が・・・。

兄は、何も言わずにそのお土産を拾おうとしゃがんだ、兄は泣いていた。
初めて兄が泣いているのを見て、呆然としていると、兄がポソリと言った。

『お前をイジメて良いのは、兄貴の俺だけだ、それ以外のヤツがお前をイジメるのは許せない、俺は知ってるから、お前が家で我慢して笑ってる事。小さい頃からいつも俺の前で泣いてたんだから、我慢なんかしなくて良いんだぞ。俺は、イジメてばかりの兄貴だけど、他人に妹をイジメられて黙っていられる兄貴じゃないからな。』

その言葉を聞いて、私は号泣、学校のイジメの事を全て吐き出しました、泣きすぎて喘息で咳き込みながら、全部。

兄は横に座って聞いてくれていました。
全部話し終わると、

『よく頑張った。』

と一言言って頭をポンポンと撫で、

『今日は寝ろ、明日は学校行かなくて良い。』

と言って部屋から出て行きました。
暫く一階で母親と兄が会話している声が聞こえてきました。

翌日から暫く学校を休み、再び登校すると、イジメはかなりされなくなっていました。
教師に聞くと、兄が中学の教員室に乗り込みぶちギレて行った様でした。
高校の生徒会長が乗り込んで来た為、教師も慌ててイジメに関して動き、結果私を含め多人数がイジメの被害にあっていた事も判明しました。

その何年か後、私は旦那と知り合い、結婚式を挙げた時、兄貴は

『小さい頃から、俺は妹をイジメて泣かして来た。でも、お前をイジメるヤツは俺は許さない。どうかこれからは、俺の変わりに守ってやってくれ。』

と。

兄ちゃん、今日は兄ちゃんの結婚式だよ、お返しに今日は私が兄ちゃんを泣かすから。

うちのかーちゃん

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2012年2月 2日 16:50
  • 家族

うちのかーちゃん
おやじの酒乱で離婚。
以後3人の子を一人で育てる。

姉貴二人遠くに嫁ぐ。
俺とかーちゃん二人暮らし。

かーちゃん、酒を飲むようになる。
度を越すようになる。
俺に怒られるから隠れて飲む。
友達から

「電話したらお前のかーちゃんまたよぱらってたぞ。」

と言われ、怒ってかーちゃんを蹴っ飛ばす。

「クソババー、てめー電話出るなこの!!」
「お母さん飲んでないよ。」

ろれつが回らない言葉で俺に許しを乞う。
それを聞いてまたかーちゃんの頭を思い切りひっぱたく。

そんな日が続いた。

結婚が決まった。
嫁と2人きりで海外で挙げた。
かーちゃんには式の写真とビデオをやっただけ。
嫁にも極力合わせないよーにしてた。

別々に暮らして半年。
ある日夜遅く保険の証書を取りに実家に帰ると真っ暗な部屋の中、テレビのあかりだけ。
その前にかーちゃんがボーッと正座していた。

「こんな夜中に何やってんのよ。またさけ飲んでるのかこの野郎っ!」

叩こうと思ってふとテレビを見ると、俺の挙式のビデオだった。

「叩かないで。ごめんね。ごめんね。」

ろれつが回らない言葉で這いつくばって懇願するかーちゃん。
俺はぼーぜんとした。

毎晩一人ぼっちでこのビデオを見てたのか・・・。
ごめんねお母さん。
本当にごめん。
もう叩かないから。
来週嫁さんと一緒にどっかおいしいものでも食べに行こうよ。

昨日の晩、母と嫁と食事してきました。

「嫁さんが母さんとメシ一緒に食べたいんだってさ。」

って言ったら喜んでた。自分がビール飲みながら

「母さんも1杯どう?」

て言ったら

「私はいいから。」

って・・無理すんなよな。
嫁に嫌われたくないのだろうか。

一生懸命嫁に俺のこと頼むって、優しい子だからって、親バカだなー。

嫁さんニコニコして頷きながら聞いてた。
母さん嬉しそうだった。

息子の結婚と嫁の話

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2012年1月30日 12:52
  • 家族

165 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/03/14(土) 07:21:00
この度、息子が結婚することになった。
お恥ずかしながら出来婚というやつだ。
で、息子の嫁さんの父上が、息子と俺と3人で飲まないかと仰ってくれた。

実は結構ガクブルだった。
もしかして息子の珍子もがれるんじゃね?とも思ったりもした。
あちらさん、若くして奥様と離縁なさったとのことで、男手一つで20年以上育ててきたなんて言うからさ。

そうとう娘のこと可愛いだろうからね。
俺も、同じように息子が小さい時に嫁と別れて男手一つで育ててるから、それがどんなに大変なことか、ちょっとくらいは分かるつもりだ。

そんな愛の結晶、俺の馬鹿息子にかっさらわれていくなんて、俺がその立場だったら間違いなく相手の珍子もぎに行く自信がある。
息子の背中叩いて覚悟決めろやと言い聞かせ、飲みに行くことになった。

166 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/03/14(土) 07:21:47
会話も全然発展しないし、息子は青ざめたまんまだし、重たい空気のままだったけど、それぞれ飲み進めてるうちに、無口だったあちらさんが結構饒舌になった。

「息子くんのおかげで娘があんなに綺麗になった。」

なんて嬉しそうに語ってくれるから、俺も調子に乗ったんだよ。

「妻にも、あんな可愛い子がお嫁さんに来るって見せたかった。」

ってさ。
酒のせいかあちらさんも遠慮なく、多分思いついたまま

「どうして別れたのか?」

と聞いてきた。

息子にはずっと母さんは出かけて帰ってこないんだと聞かせてた。
息子がじっとこっち見てるのが分かった。
俺も酔っているせいか、その場の雰囲気なのか、何の抵抗もなく、そのことを話した。

ある朝、嫁が起きてこなかったこと、
まだ生後間もない息子が泣いてたこと、
俺は何も気にとめないで出勤したこと、
残業して帰ったら家は真っ暗なままで息子が泣き叫んでいたこと、
やっと様子がおかしいことに気づいて救急車を呼んだけど、
乗せられていった嫁は帰ってこなかったこと、
嫁を見た救急隊員たちが首を振ったのをしっかり見ていたことを、

話した。

167 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/03/14(土) 07:26:13
それを聞いてひたすら泣いてる息子に、

「嫁さんを大事にしろ、子供を大事にしろ。嫁がいなくなるまで赤子の抱き方も知らなかった俺みたいな奴になるな。」

と、あとははっきり覚えてない、色々なことを話した。

あちらさんもぐじゃぐじゃに泣いてた。

俺は嫁がいなくなって、毎日毎日嫁の後を追うことだけ考えてた。
息子が幼稚園出たら行こう、小学校出たら行こう、進学できたら行こう、
息子がひとり立ちしたら、伴侶見つけられたら行こう、と考えてた。
延びに延びて、孫の顔見るまで行けなくなっちまったなあ。

息子たちの式には、俺の嫁の席が用意してくれるとのことだ。
きっと嫁は来るだろう。

母さんの涙

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2011年10月28日 11:36
  • 家族

泣ける話多いな・・・。
自分も、他人が読んだらなんとも思わないだろうけど、感謝の気持ちを込めて書かせてもらいます。

うちは親父が仕事の続かない人でいつも貧乏。
母さんは俺と兄貴のためにいっつも働いてた。
ヤクルトの配達や近所の工場とか、土日もゆっくり休んでたっていう記憶は無いな・・・。

俺は中学・高校の頃はそんな自分の家庭が嫌でしょうがなかった。
夜は遅くまで好き勝手遊んで、高校の頃は学校さぼって朝起きないことも多かった。
んで、高校卒業してすぐの頃、仕事もしないで遊んでて、当然金は無い。

そこでやっちゃった。盗み。詳しくは言えないけど、まあ、空き巣だね。
ただ、小心者の俺はその日に自首したんだ。良心が、とかじゃなくてびびっただけw
警察に俺を迎えに来た母さんはほんとに悲しい顔してた。でも泣いてはなかった。
一緒に家庭裁判所行ったときも、割と落ち着いてたね。

裁判所の帰りの電車で俺あやまったんだ。
ボソッと

「ごめん。」

て。
そしたら、

「お母さんこそお前に申し訳ないよ。ろくに小遣いもやれないで・・・。本当にお前がかわいそうで・・・すまなくって・・・。」

俺、電車の中でぼろぼろ泣いた。
声出して泣いてたと思う。
何やってんだ俺。何やってんだ俺。
って思って、情けなくて申し訳なくて・・・。
ここでも母さんは泣いてなかったな。
ただじっとうつむいてただけだった。

俺はその後必死になって勉強した。
昼はスーパーでバイトして、夕方からは受験勉強。
そして翌春に何とか大学に合格。
バイトは続けながら大学生活が始まった。

でも、母さんはなんとなく俺のことがまだ心配なようだった。
母さんも相変わらず働きづめだから、そんな生活の俺とはあんまり会話がなかったし、家が貧乏なのに変わりは無かったしね。

だから俺、入学後も一生懸命勉強した。自分の為っていうより、母さんを安心させてやりたかった。
それで大学1年目の終わりに、

「母さん。ちょっと見せたいものがあるんだ。」

そう言って紙を一枚渡した。
大学の成績通知書。
履修した科目が全部『優』だったから(マジ)。
最初は通知書の見方がよくわかんなかったみたいだけど、説明したら成績が良いのはわかったみたい。

母「へえ、すごいね・・・母さん科目の名前みてもよくわかんないけど、すごいんでしょ?これ。」
俺「すごいかどうかはわかんないけど・・・。」
母「すごいね。・・・偉いね。」
俺「だからさ・・・こんな物だけで偉そうに言うのもあれだけど・・・俺、もう大丈夫だから。母さんを裏切ったりしないから。」

そしたら、母さん泣き出しちゃった。
もう号泣。
そこで気付いたんだけど、俺、母さんが泣くのを見るの初めてだった。
きっと、何があっても子供には涙は見せないようにがんばってたんだと思う。
それを思ったら俺も泣き出しちゃったw
母さんより泣いてたかもw

はあ・・・親孝行しなきゃな・・・。
長文すいませんでした。

妹の日記

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2011年10月25日 17:02
  • 家族

510 名前:病弱名無しさん 投稿日:04/10/25 20:27:57 ID:aJy115U3
流れ的に家族の話ってことで、少し長いが俺の語りも聞いて欲しい。
ウザかったらスルーしてくれ。

うちの家族は父母俺妹の4人。
妹は俺の1コ下。
年子の弟妹なんて単に煩わしいか、逆に友達みたいな感覚とよく聞くが、うちの妹の場合は少々違った。
面倒見てないと危なっかしくて仕方がない。
なんか知らんがこいつはばかなのだ。

いや、リアルに頭が足りないとかではない。
日常生活は問題ないし、偏差値的には学区で2位の公立校でちゃんと上位層を維持してる。
俺は同じ高校でギリ中の下だが・・・。
妹がばかなのは、他人の悪意に極端にうといからなのだ。

例えば俺と妹のどちらかが夕食を作らなければならないとする。
俺は当然めんどくさいので妹にやらせることにする。

「おい、夕食当番じゃんけんしようぜ。ただしめんどくさいから、グーチョキパーでお互い違うの出したら俺の勝ち、同じのだったらお前の勝ち。一発で決まるし公平だ。いいな?」
「んー、うん。いいよ。」

疑問もはさまずに笑顔でこんな返事をする奴なのだ。
ばか。
しかもその時運悪くあいこが出た。
妹の勝ちだ。
そこで俺はこう言う。

「お、お前の勝ち。じゃあ残念だが夕食当番はお前に譲ってやる。がんばれよ。」
「え、えぇ?あ、うん、そういう意味だったんだ・・・うん。わかった。ありがと兄ちゃん。」

そのまま笑顔で普通に台所に向かった。
ばかだ。

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お兄ちゃんの嘘

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2011年10月19日 11:46
  • 家族

5つ上の兄の居る妹です。
私の家庭環境が>>299(世の中には両親が亡くなって、兄妹二人や姉弟二人になってしまった方もいます。)に似た状態で、兄は高校にも行かず働いて私を高校大学まで行かせてくれました。

小中高と保護者参加の学校行事の時は必ず参加してくれて、休みの日はお弁当を作って動物園や遊園地、誕生日には県外に旅行へ連れて行ってもらって、バースディプレゼントも貰ってました。
普通の家庭の子供と同じように、多分、それ以上に愛情を注いでもらったと自信を持っていえます。

兄に

「お兄ちゃん、私も来月から働くんだし大検取って大学行ってみない?私、学費出すよ。」

と言ったら、兄は笑顔で

「俺、頭悪いし勉強嫌いだから止めとくよ。それに今の仕事って嫌いじゃないから。」

と言われました。
嘘。
私が居ない時や寝ている間に私の教科書で勉強しているのは知っている。

お兄ちゃんの嘘の続きを読む

野草摘み

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2011年10月 6日 16:05
  • 家族

子供の頃、父が飲んだくれだった我が家は極度の貧乏だった。
しかし明るい母は、4人の子供とアル中の父を抱え朝は築地の魚市場、昼は貝類加工場、夜は寿司屋の店員と3つの仕事をこなしていて、寝てる間に帰って来る、目が覚めるともういない、の繰り返しで、1週間のうち、貝類加工場が休みの土曜日の昼間だけしか、顔を見る事が出来ない毎日だった。

そんなある土曜日、母がまだ就学前だった私を野草摘みに連れて行ってくれた。
普段、母と過ごす時間が無い私には春の野原で母と2人、つくしやフキを摘んだ事が本当に楽しく嬉しかった。

それから数十年が経ち、飲んだくれだった父は他界し子供達も大きくなった。

今では昔の苦労が嘘のような楽隠居生活を送る母に、ふっと野草摘みの事を思い出し

「あ~ちゃん(母の事)と野草摘みに行ったよね!普段は顔も 満足に見られなかったから、あの時は本当に楽しかった!」

と、何気なく言った私に

「あの頃は貧乏だったからね・・・。あんな野っ原に生えてる草まで食べさせて・・・すまなかったね。」

と母が泣いた。
子供だった私には、ただの楽しい野遊びだったけど、母に取っては子供達を飢えさせない為の苦肉の策だったんだね。
ありがとう。

それ以来、毎年この季節になると、あの楽しかった野草摘みを思い出しては、ちょっと胸がつまる・・・。

あ~ちゃん長生きしてね!

お弁当のにんじん

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2011年10月 5日 15:23
  • 家族

俺の母親は、俺が2歳の時にがんで死んだそうだ。
まだ物心つく前のことだから、当時はあまり寂しいなんていう感情もあまりわかなかった。

この手の話でよくあるような、「母親がいない事を理由にいじめられる」なんて事も全然なくて、良い友達に恵まれて、それなりに充実した少年時代だったと思う。
こんな風に片親なのに人並み以上に楽しく毎日を送れていたのは、やはり他ならぬ父の頑張りがあったからだと今も思う。

あれは俺が小学校に入学してすぐにあった、父母同伴の遠足から帰ってきたときのこと。
父は仕事で忙しいことがわかっていたので、一緒に来られないことを憎んだりはしなかった。
一人お弁当を食べる俺を、友達のY君とそのお母さんが一緒に食べようって誘ってくれて、寂しくもなかった。

でもなんとなく、Y君のお弁当に入っていた星形のにんじんがなぜだかとっても羨ましくなって、その日仕事から帰ったばかりの父に

「僕のお弁当のにんじんも星の形がいい。」

ってお願いしたんだ。

当時の俺は、ガキなりにも母親がいないという家庭環境に気を使ったりしてて、

「何でうちにはお母さんがいないの?」

なんてことも父には一度だって聞いたことがなかった。
星の形のにんじんだって、ただ単純にかっこいいからって、羨ましかっただけだったんだ。
でも父にはそれが、母親がいない俺が一生懸命文句を言っているみたいに見えて、とても悲しかったらしい。
突然俺をかき抱いて

「ごめんな、ごめんな。」

って言ってわんわん泣いたんだ。
いつも厳しくって、何かいたずらをしようものなら、遠慮なくゲンコツを落としてきた父の泣き顔を見たのはそれがはじめて。
同時に何で親父が泣いてるかわかっちゃって、俺も悲しくなって台所で男二人抱き合ってわんわん泣いたっけ。

それからというもの、俺の弁当に入ってるにんじんは、ずっと星の形をしてた。
高校になってもそれは続いて、いい加減恥ずかしくなってきて

「もういいよ。」

なんて俺が言っても、

「お前だってそれを見るたび恥ずかしい過去を思い出せるだろ。」

って冗談めかして笑ったっけ。
そんな父も、今年結婚をした。
相手は、俺が羨ましくなるくらい気立てのいい女性だ。
結婚式のスピーチの時、俺が「星の形のにんじん」の話をしたとき、親父は人前だってのに、またわんわん泣いた。

でもそんな親父よりも、再婚相手の女の人のほうがもらい泣きして、もっとわんわん泣いてたっけ。
良い相手を見つけられて、ほんとうに良かったね。
心からおめでとう。
そしてありがとう、お父さん。

俺たち家族

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2011年10月 5日 15:15
  • 家族

俺と弟、おやじ。
これが俺の物心ついた頃からの家族だった。
かあちゃんがいない理由は小学生の時になんとなく。
かあちゃんの親がおやじに額を畳にこすりつけるような詫びをしにやってきたのは知っているが、それ以上は知らない。

ていうかどうでもよかった。
トラック乗りのおやじもいつ家に帰ってくるのかわからん男だったから、いない時はじっちゃんのアパートに、いる時は3人で家に、という具合だ。

じっちゃんとこと違うのは、うちの方が雨漏りがたまにするくらい。
大した違いはない。

「兄弟一致団結して」というのは嘘八百。
喧嘩は絶えず。
おやじがいてもいなくても関係なく、殺伐とした兄弟だったように思う。

そんなある日、おやじが土日2日間休みが取れたからと言う。
そしておもちゃ屋につれてってやると言う。

「おもちゃ屋かよ、別に欲しい物なんてねーよ。」

と思ったが口には出さない。
弟も弟で、興味ない様子。
果たして休日を有意義に過ごせるのだろうか?

日頃薄汚いおやじが朝から床屋に行った。
俺と弟はじっちゃんの家に、前もって用意してもらった新しい服を取りに行った。
3人が合流したのは10時30分。
こぎれいな3人に汚い黄色の軽自動車で向った。
到着。

とりあえず昼を食って弟と距離を保って歩いていると後ろを歩いていたおやじがいない。

「いねーじゃねーか、おやじが迷子になるなよな。」
「そうだな。」

弟と意見が合った。
探していると、見つかった。
ボードゲームのコーナーにいる。
しゃがみこんで何かを手にしている。

「将棋セット」

駒と折りたたみの板のセットだ。
将棋?
なんで将棋なんだよ、と思った俺。

とりあえず、俺はその後、学校で知ってるやつに聞いてメモして家に帰った。
弟はとっくに将棋のことなんか忘れてテレビを見ている。
嫌がる弟に強制的にルールを覚えさせ、ひとまずやってみた。
3分で終わった。
勝負がついたからではない。
つまらんくなって弟が駒を投げたからだ。
その日から将棋セットは押し入れの奥へ行った。

今日は喪主である俺がいろいろと動いた。
身内もほとんどいない俺たち家族だが、盛大に行いたいとの俺たち兄弟の考えで、おやじにとって満足できる出来映えだっただろう。
弟は仕事先の海外から家族と共に、俺は離婚した1ヶ月後にその日を迎えた。
おやじは体を壊したのが3年前、寝たきりになっってしまったのが半年程前だ。
痴呆?みたいなものにもなっていたらしい。
苦しまずに逝けたのが幸せか。

棺を前にして俺と弟は話しをした。

「あの時のこと覚えてるか?将棋セット」
「覚えてる。おやじ、嬉しそうだったな。」

急に俺は、探して見たくなって押し入れを探した。
すぐ見つかった。
弟と一緒に箱から開けてちょっとやってみようかという話しになった。
駒を並べ終え、始まって10分ほどした時、ヘルパーのE子さんが立ち止まったままこちらを見ていたのに気がついた。
E子さんにはおやじのことで本当に世話になった人だ。

「あ、どうかなさったんですか?」

俺は聞いた。

「お父さま、今年の初め頃でしたかしら、その駒を握って涙を流しながら、仲良うしろよ、仲良うしろよ、とおっしゃっていたもので・・・。」

みるみるうちにE子さんの顔が紅潮している。
目の前の弟は下を向いたまま動かない。
俺は、箱の中に入っていたおやじが自分で鉛筆で書いた駒の動き方のメモを見ながら泣いた。

おやじ・・・。

うまく書けないが、これが俺たち家族でした。

妹よ

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2011年10月 4日 17:18
  • 家族

770 :本当にあった怖い名無し :04/10/26 16:14:48 ID:aFLRHW85
俺の妹さ、俺が17の時死んだのよ。
今からもう8年前。
まだ6歳でさ。
末っ子で、男兄弟ばっかだから、兄貴も弟も猫かわいがりしてたね。

でも、元々病弱でさ、ちっちゃくてさ。
でも、めちゃくちゃ可愛くてさ、ちょっとしたことでも、泣くんだよ。

「兄ちゃん、兄ちゃん。」

って、いっつも俺の後ついてくんの。
街にあるケーキ屋のショートケーキが大好きでさ、一週間に一回ぐらい、バイト代で買ってやってた。

食ってるとき

「おいしいー。」

って笑う妹が、とっても可愛くてさ、すっげぇ可愛くて。
妹が発作で倒れたって聞いて、俺、学校からバイク飛ばして中学校で弟拾って即効病院に行った。
色んな機械つけて、妹は寝てた。
おかんとばあちゃんが

「もうだめだぁ。」

って、なんか、じいちゃんに拝んでるし。

「シノを連れてかんといて!お願いや。」

って、じいちゃん、妹生まれてすぐに亡くなってる。
シノを抱くことなく逝ってしまったじいちゃんは、死ぬ間際まで

「シノを抱っこしたいなぁ。」

って言ってた。
俺が行って

「シノ!シノ!!」

って呼ぶと、意識が戻った。

「にーやん、あんねー、シノ、ショートケーキ食べたいん。」
「いっぱい買って来てやるから死ぬな!寝るな!おきてんだぞ!」

って、俺はケーキ屋からあるだけのショートケーキ全部買ってきた。
でも、妹死んじゃったよ。
俺がショートケーキ買って来て、病室のドア開けると、妹が笑ってて、

「買ってきたぞ!シノ、食って元気出せ!」

って、一口食わしたら、

「おいしいー・・・。ありがと、にいや。」

って、笑って目を閉じてソレっきり。
すぐに、ピーーーーって、機械が。
電気ショックとかやっても無駄だった。

棺おけに入るときに、気に入ってた、おかんが作ってやった紺色のフリルのいっぱいついたドレス着てた。
ばーちゃんが作ってやったお手玉もいれてやった。
お気に入りのテディベアも入れてやった。
俺、一年ぐらい立ち直れんかった。

壁にさ、誕生日に妹がくれた「にーやん達の顔」って絵があってさ、まだ六歳だから下手糞でさ、でも、兄弟で笑ってんの。
俺と一番上の兄貴の間で、カチューシャ付けた妹が笑ってる絵。
もう、ソレ見るたびに泣けて来るんだよ。

でも、我が家でな、ちょっと不思議なことが起きるようになったのはそれからなんだ。
夜中に、ばーちゃんの部屋から声がすると思ったら、ばーちゃん(ボケてなくて、霊感あり)が、

「あぁ、じーさん、紫乃連れてきてくれたん。そう、その服気にいっとんのな、あぁ、そうかそうか、これて嬉しいか。」

障子の隙間から見ると、ばーちゃんが笑ってんの。
相槌まで打ってさ。
テーブルにお茶とジュースまで出してさ。

妹の好きな、地元の古い店が作ってる瓶のサイダー。
俺、ついついばーちゃんの部屋あけちゃった。
そしたら、ばーちゃん、慌てもせずにさ

「ヒロトー、じいちゃんとシノがそこに来とる、挨拶せぇ。」

って、俺にまでお茶出すし。

「これ飲んだら、かえるとこまで帰りんさい。」

って、ばーちゃんは笑ってた。
まぁ、それくらいは序の口。
おかんが台所で、弟のおやつにホットケーキ作ってたら、作っといた一皿の、一枚の半分だけが無くなってんだって。
歯型ついてて。
どう見てもシノの口の大きさでさ。

「あの子、ホットケーキも好きやったからなぁ。」

って、ばーちゃんもおかんも涙してんの。
あとは、家に居るときに、シノの声を聞いたことは、全員ある。
おとんが、

「きっと、この家が好きで出て行かないんだろう。」

って言ってたな。
で、就職するからって東京で一人暮らし始めた。

その頃、好きな女もできて、告白しようか迷ってた。
ある日、夢ん中、妹とよく行った公園で、二人でベンチに座ってた。

「にーやんは、あの人すきなの?」

おかんが作ってやったフランス人形みたいなドレス着てさ、妹が笑ってんの。
向こう側のベンチに、俺の好きな人が座って、本を読んでて、それを指差しながら。

「うん。」

って、俺が答えると、

「大丈夫、シノが何とかしたげる。」

って笑ってた。

んで、しばらく経ったある日さ、その女の人から告白されてしまった。
それから、そのまま今に至るってわけで。
結婚して、しばらく経って、実家に、シノとじーちゃんの墓参りに行った時、墓前でさ、俺の奥さんが言うんだよ。

「そういえばね、不思議な事があったの。」
「なに?」
「あなたに告白する前にね、不思議な子にあったの。新宿で買い物してたら、ちっちゃい女の子に声をかけられてね、紺色に白いフリルのドレス着てて。でね、『おねーさんは、にーやんのこと好きですか?』って言われたの。『にーやんってだれ?』って聞いたら、『大丈夫ー、おねーさんは、にーやんのお嫁さんになる、うちのにーやんもおねーさんの事好き。』って言って、どっかに消えちゃったの。でね、その子が居なくなった後、不思議なんだけど、あなたの顔が頭に浮かんだの。」
「シノ・・・。」

しか、思い当たる所は無い。
そのことを、嫁に話すと、嫁は

「まさかー。」

って笑ってたが、実家に戻って、茶の間に飾ってある、妹の写真見て、

「この子!!」

って、驚いてた。
あぁ、シノがくっつけてくれたんだ。
で、またしばらくして、嫁が妊娠。
でも、ちょっと危なかった。

ある日、病院で、嫁の看護しながら、眠っちまった。
そしたら夢に、またシノが出てきた。

「にーや、おとーさんになるの?」
「そうだね。」

また、公園だった。
今度は俺の横に、腹が大きい嫁が座ってた。
たまごクラブ読みながら。

「シノ、にーやの子供、守る。」

って言って、
嫁も、

「お願いね。」

って言ったら嫁の腹の中に入ってっちまったよ。
むしろ、消えたの方が正しいのか。
目が覚めて、朝、嫁にその事を話したら、嫁も、同じ夢を見てたらしい。
で、嫁も

「お願いっていったら、おなかン中入ってっちゃった。」

って笑ってて。
無事、生まれました、我が子。

健康な、女の子です。
今年三歳になります。
しぐさが、妹に似てます。

笑い方とか、喋り方とかね。
あと、性格とか、好きな物とか嫌いなものとか。
っていうか、妹の生まれ変わりだろうな。
っていうか、俺、親ばかになりました。
麻雀も、パチンコもやめたし、家にも早く帰るようになったし。

俺の実家に帰ると、もう、皆、猫っ可愛がり。
ばーちゃん大興奮。
おやじ、初孫の為にデジカメとデジタルビデオカメラ買いました。
おかん、連れてくと離しません。

とても元気で、いたずら盛りの我が娘、元気に育てよ。

まぁ、平和です、我が家。

いってきます

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2011年10月 3日 10:38
  • 家族

もう二十年位前の話です。
私は小さい頃親に離婚されて、どっちの親も私を引き取ろうとせず、施設に預けられ、育てられました。
そして三歳くらいの時に今の親にもらわれたそうです。

当時の私はその自覚などしておらず、記憶は無く、その親を本当の親と思って中学二年まで過ごしてきました。
そして、突然の父との別れが訪れました。
脳梗塞で帰らぬ人になりました。

そして、その最悪の時に、

「私とその親は家族ではない。」

ということを、親戚の方から偶然にも知ってしまったのです。

葬儀のあと、私は母を問い詰め、本当の事を聞きました。
その時を境に、私は母を嫌いになりました。
死んだ父でさえも嫌いになりました。
多分、裏切られたとか思ったんでしょう。
元々家が裕福ではありませんでした。
ですから父が死んでしまったので、母が働きに出ざるを得ませんでした。

母は、朝は近くの市場で、昼から夜にかけてはスーパーで働きました。
それもこれも全て、私のためのものでした。
ですが、当時の私には、それすらもうっとうしく思えてなりませんでした。

時には、登校の時間と母が市場から帰ってくる時間がちょうど重なってしまい。
友達と登校していた私は、ボロボロになった母と家族であるということを、友達に知られたくなく

「いってらっしゃい。」

と言う母を無視しては、友達に

「誰あれ、気持ち悪いんだけど。」

という悪口すら言っていたものでした。
それを察してか、次の日にはわざと目を伏せ、足早に私とすれ違っていきました。
でも、それでも、母は何一つ文句をいわず働いてくれていました。
そんな日が一ヶ月くらい続いたと記憶しています。

そんな雨の日、雨合羽を着て市場から帰ってくる母とすれ違いました。
当然無言です。
その姿はなんとも淋しく、哀しく、辛そうに見えたのです。
涙が溢れました。
ぐしゃぐしゃに泣きました。
私は一体何をしているのか。
ボロボロになってまで私を育ててくれているあの人に、私は何をうっとうしく思っているのかと、凄まじい後悔が私を襲いました。

私は友達の目も気にせず、母に駆け寄りました。
でも、何を言っていいかわかりませんでした。
その時、ふと口をついた言葉が

「いってきます。」

でした。
言えた言葉はたったそれだけでした。
でも、母は一瞬驚き、そして泣きました。
そして、何度も何度も

「いってらっしゃい。」

と言ってくれました。
私が友達の元へ戻ったあとも、母は私を見ながら手を振って

「いってらっしゃい。」

と言ってくれていました。

今では、彼女こそが本当の私の母親です。
たとえ戸籍上はどうあれ、そう思っています。
恩は返しきれないくらいあります。
母は

「それが親の勤めだよ。」

と言いますが、でも、じゃあ今度は子として、親の面倒を見ていきたいです。
この人が母親で、最高に良かったと思います。

オムライス

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2011年9月28日 11:50
  • 家族

小学生の頃、一人っ子で、鍵っ子だったぼくの土曜日の昼食は冷えたオムライスだった。
毎週といっていいほど、ケチャップをつけてラップをかけたオムライスだった。
朝から夜まで働き通しだった母が忙しい時間の合間を縫ってつくってくれていたものだ。

そんな事はすっかり忘れていた一昨年、私は離婚して一人、今は母だけになった実家に帰った。

自暴自棄になり仕事も辞めていたから、実家で数日を過ごした。
毎晩黙って酒をあおる私を母は何も言わず、早く寝ろと促すだけで先に眠っていた。

ある日、昼過ぎまで寝ていた私が台所で酔い覚めの水を飲むとテーブルに何かあることに気付いた。
作り置きの冷えたオムライス。
メモがあって

「用事があって出かけるから、これ食べなさい。」

と書いてあった。
私はラップを剥がして、静かにオムライスを食べた。
懐かしさと、切なさと・・・色々な感情がまじって湧き出し、オムライスはしょっぱくなった。
私はその日、帰京する支度をして、また一からやりなおすと母に誓った。
今はまだ一人だけど、淡々とそれでも楽しく生きている。

口に出して言えないけれど・・・
お母さん、私は永遠にあなたの息子です。

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2011年9月22日 10:27
  • 家族

学生時代、書類の手続きで1年半ぶりに実家に帰った時のこと。
本当は泊まる予定だったんだが、次の日に遊ぶ予定が入ってしまったので結局日帰りにしてしまった。

母にサインやら捺印やらをしてもらい、帰ろうとして玄関で靴紐を結んでいると、父が会社から帰ってきた。
口数が少なく、何かにつけて小言や私や母の愚痴を言う父親のことが苦手で、一緒に居ると息苦しさを感じていたの私は、父が帰宅する前に帰ってしまいたいというのも、日帰り、ひいては通えない距離の学校を選んだの理由の一つだった。
父が、

「お前、泊まるんじゃなかったのか?」

と訊いたので、

「ちょっと忙しいから。」

とぶっきらぼうに答えると、手に持っていたドーナツの箱を私に差し出し、

「これやるから、電車の中で食え。道中長いだろうから。」

と言った。
駅に着くと、電車は行ったばかりのようで人気がなく、30分は待たされるようだった。
小腹が減ったので、父からもらったドーナツの箱を開けた。
3個ずつ3種類入っていた。
家族3人でお茶するつもりだったんだなぁ。
でも、私が9個貰っても食べきれないよ。
箱の中を覗き込みながら苦笑した。

その直後。
あぁ、あの人は凄く不器用なだけなんだろうなー。
ふとそう思うと、涙がぼろぼろ出てきた。
様々な感情や思い出が泡のように浮かんでは消えるけど、どれもこれも切なかったり苦かったりばっかりで。
手持ちのポケットティッシュが無くなっても、ハンカチが洗濯して干す前みたいに濡れても涙は止まらなくて、結局、一本あとの電車が来るまで駅のベンチでずっと泣き続けていた。

お弁当

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2011年9月21日 16:42
  • 家族

海の学習という名前で学年全体で泊りがけでの研修のあった5年生。
雨女の私が出かけると必ず雨。
今までの遠足も雨が多かったから、そんなにがっかりすることもだんだんなくなってた。

ただ海の学習だから海でボートに乗ったりできるのが楽しみだったのに。
本当なら外のお日様の下で食べられるはずだったお弁当。
かわいそうに。
せっかくお母さんが作ってくれてみんなで外で気持ちよく楽しくワイワイ食べたかったのになー。
雨だから研修所の宿泊大部屋でみんな自分のお弁当をとりだした。
あれ?包みの中にお母さん、何か入れてる??

「○○ちゃん、楽しみにしていた海の学習の日がきたね。たくさんのお友達と一緒にお弁当を食べてね。」

メモがでてきた。

3人年子の兄弟の真ん中の私。
いつも子育てに仕事に忙しかったお母さんは、それでも家事の手抜きはなかった。
それでも中子の私はあまり母にはかまってもらえてなかった。
それもあまり気にならなかったし。
お母さん大好きだから。

そこにこのメモ。
読みながら涙がブワーっとでてきた。

どんなおかずがはいってたか記憶にない。
自分の涙でしょっぱかったことは覚えてるのに。
そのメモ、お母さんに見られないように20年たった今でも隠してもってる。

塩ラーメン

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2011年9月13日 13:30
  • 家族

うちの家族は母と私(長男)、弟が二人の母子家庭。

父と母は、私が5才の時に離婚をし親権は母親へ。

「扶養金なんかいらない。」

と言い残し、私たち兄弟を引き取ったらしい。
女・酒・ギャンブル、全てに手を付けていた父の下に、一人でも子供を残して行きたくなかったのだろう。
母はそれからというもの、幼い私たちからひと時も目を離したくなかったのだろうか、私たちの入園した保育園で働き始めた。

お世辞にも給料は良いとは言えない。
おそらく12、3万だっただろう。
自分には何一つ買わず、全てを子供の為に注ぎ込んだ母。
いつもボロボロの服を着ていたのを覚えている。
しかし、それでも生活は厳しく、唯一ボーナスを貰ったときだけ食べに行ったのが、ある定食屋の塩ラーメンだった。
野菜がたくさんのった塩ラーメンを食べているあの時間だけが、私たち家族の至福の時だった。
そう、夏と冬、二度だけの。

今では兄弟も成人し、家族四人なに不自由なく暮らしている。
住むところはまちまちだが、そんなことを感じさせないほど、家族の絆は深い。
兄弟三人。
しかも年子で男ばかり。
これを、女手一つでここまで育て上げた母を、私は世界中の誰よりも尊敬している。

そして、その定食屋はというと。
大変残念な事に、数年前に店主が癌で亡くなり、今はその形だけが残り、シャッターを下ろしている状態である。
しかし、今でもあの店の雰囲気と、四人で過ごしたあの時間を生涯忘れる事はないだろう。

娘からの手紙

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2011年9月 5日 11:08
  • 家族

俺の毎朝の日課は、小学校1年の娘と一緒にモノレールに乗る事。
駅までの道は手を繋いで行く。
他人から見ると、いい家庭を絵に描いたような風景だが、実際は違う。

妻とは会話もほとんど無いし、たまに会話をするとなぜか口論になる。
そしてお決まりの展開。

「だったら、別れるか?」
「いいよ!でも、子供はどうすんの?」
「・・・。」

いつものセリフで言い争いが終わる。

ある日の出社前、読みかけの本を入れようとしてカバンを開けると中に何か入ってるのに気づいた。

「封筒・・・?」

取り出してみると、つたない字で俺の名前が書いてある。

『○○ ○○へ』(○○ ○○は何故か俺の氏名)

娘から俺宛の手紙だった。
いつの間に入れたのだろう?
早速読んでみた。

娘からの手紙の続きを読む

最高のママ

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2011年8月29日 10:45
  • 家族

493 :おさかなくわえた名無しさん :04/12/12 18:30:29
もう10年も前の話。
妻が他界して1年がたった頃、当時8歳の娘と3歳の息子がいた。
妻がいなくなったことをまだ理解できないでいる息子に対して、私はどう接してやればいいのか、父親としての不甲斐なさに悩まされていた。

実際私も、妻の面影を追う毎日であった。
寂しさが家中を包み込んでいるようだった。
そんな時、私は仕事の都合で家を空けることになり、実家の母にしばらくきてもらうことになった。

出張中、何度も自宅へ電話をかけ、子供たちの声を聞いた。
2人を安心させるつもりだったが、心安らぐのは私のほうだった気がする。

そんな矢先、息子の通っている幼稚園の運動会があった。
『ママとおどろう』だったか、そんなタイトルのプログラムがあり、園児と母親が手をつなぎ、輪になってお遊戯をするような内容だった。
こんなときにそんなプログラムを組むなんて・・・。

「まぁ、行くよ♪」

娘だった。
息子も笑顔で娘の手をとり、二人は楽しそうに走っていった。
一瞬、私は訳が分からずに呆然としていた。
隣に座っていた母がこう言った。

あなたがこの間、九州へ行っていた時に、正樹はいつものように泣いて、お姉ちゃんを困らせていたのね。
そうしたら、お姉ちゃんは正樹に、

「ママはもういなくなっちゃったけど、お姉ちゃんがいるでしょ?本当はパパだってとってもさみしいの。だけどパパは泣いたりしないでしょ?それはね、パパが男の子だからなんだよ。まぁも男の子だよね。だから、だいじょうぶだよね?お姉ちゃんが、パパとまぁのママになるから。」

そう言っていたのよ。

何ということだ。
娘が私の変わりにこの家を守ろうとしている。
場所もわきまえず、流れてくる涙を止めることが出来なかった。

10年たった今、無性にあの頃のことを思い出し、また涙が出てくる。
来年から上京する娘、おとうさんは君に何かしてあげられたかい?

君に今、どうしても伝えたいことがある。
支えてくれてありがとう。
君は最高のママだったよ。
私にとっても、正樹にとっても。
ありがとう。

地図

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2011年8月28日 15:01
  • 家族

オヤジが今年の春に入院し、夏に死んだ。
子供から見ても波乱万丈の人生で、職を転々とし、最後の2年間は大好きな車を仕事にしたい、ということでタクシーの運ちゃんやってた。
おふくろによれば

「あんなに生き生きと働いているのは今まで見たことがなかった。」

ということで、きっとタクシー運転手を天職だと思っていたのだろう。
入院して1ヶ月ほどたったゴールデンウイーク、オレは彼女を連れて見舞いにいった。

その彼女を親に会わせるのは初めてだったが、まだオヤジが多少は元気だった頃だったし、それに今度いつ会わせられるかわからないので、半ば押しかけるように連れていった。
そして、見舞いのあと彼女に地元の観光名所を案内しようという話になったとき、オレがあまり
そういう場所を知らないので本でも買って見ながら行くわ、というと、オヤジはやおら起きあがって、心配する母親をよそに、チラシの裏に鉛筆で地図を描きはじめた。

さすがタクシー運転手だ。
まるで自分の家の間取りを描くかのように、観光名所の場所を鮮明に描いた。
交差点の名前、目印となる建物、一番効率よく見て回る順番、オヤジなりにつけた「面白度」・・・すげえ。
どんなガイドブックよりもわかりやすい。
生まれて初めて、親父を心底尊敬した。
その地図を頼りに彼女を案内しながら、この土地、そしてこのオヤジのもとに生まれてよかった、
と心底思った。
そして、

「早くよくなって、またタクシーに乗るんだ。」

という、オヤジの強い思いを感じた。

オレらが帰った直後からオヤジの容態は悪化し、2ヶ月苦しんだ末8月に死んだ。
辛い人生だったろうな、と思う。
でもなオヤジ、オレはあんたの子供でほんとによかったと思ってるよ。
そして最後に、あんな些細なことだけど、あんたを尊敬できてよかった。

オヤジの描いた地図。今でもカバンのポケットに入ってるけど、見ると泣きそうなので出せない。
来年には、あんときの彼女の苗字をあんたと同じにして、墓参り行くからな。
そんで、またあの地図を見ながら、観光名所巡りするよ。

長くなってスマンかった。

病気の母ちゃん

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2011年8月26日 00:17
  • 家族

母ちゃんは俺が4つの時病気で死んだんだ。

ぼんやりと覚えてる事がひとつ。

公園でいつも遊んでた、夕方になるとみんなの母ちゃんが迎えにくるんだ。
うちの母ちゃんは入院生活が長くて、どうせ帰っても親父は仕事だし誰もいない。
暗くなってもよく公園にいたな、兄貴が部活終わって公園の前通って一緒に帰るのが日課だった。

その日も暗くなっても砂場で遊んでた。
そしたら俺を呼ぶ声が聞こえて、母ちゃんが息切れしながら歩いてきた。

「ママー!ママー!」

って馬鹿みたいに叫んで走ったよ。
暗い中、

「ブランコに一緒に乗ろう。」

って母ちゃんが俺を膝に乗せてしばらくそうしてた。

その後、何日かして病院で死んじまった。
後から親父に聞いたら、自分でも長くない事わかってたらしい。

あの時、母ちゃんどんな気持ち抱えてたんだ?

「どうしていつも病院にいるの?」

ってしつこく聞いてごめん。
辛かっただろう。
来年、俺彼女と結婚するよ。
母ちゃんの分も向こうのお袋さん大事にすっから。

誕生日プレゼント

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2011年8月25日 17:19
  • 家族

俺がまだ小学生だった頃、どうしても欲しかったオモチャを万引きしたら見つかって、それはもう親にビンタされるは怒鳴られるはでメチャメチャに怒られた。
それから暫らくして俺の誕生日が来たんだけど、その時に両親が俺にくれたプレゼントがその時万引きしたオモチャだった。

「お前これ欲しかったんだろ?」

と母親が言ってくれたとたん俺は泣いた・・・。

家貧乏だったのに多分無理して買ってくれたんだろうな・・・。
あれからもう15年くらいたったけど、今でも忘れられない思い出になっています。

亡くなった母のビデオ

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2011年8月25日 17:15
  • 家族

俺、小さい頃に母親を亡くしてるんだ。

それで中学生の頃、恥ずかしいくらいにグレた。
親父の留守中、家に金が無いかタンスの中を探しているとビデオテープがあったんだ。
俺、

「親父のエロビデオとかかな?」

なんて思って見てみた。
そしたら、病室のベットの上にお母さんがうつってた。

『〇〇ちゃん二十歳のお誕生日おめでと。なにも買ってあげれなくてゴメンね。
お母さんがいなくても、〇〇ちゃんは強い子になってるでしょうね。
今頃、大学生になってるのかな?もしかして結婚してたりしてね・・・。』

10分くらいのビデオテープだった。

俺、泣いた、本気で泣いた。
次ぎの瞬間、親父の髭剃りでパンチパーマ全部剃った。
みんなにバカにされるくらい勉強した。
俺が一浪だけどマーチに合格した時、
親父、まるで俺が東大にでも受かったかのように泣きながら親戚に電話してた。

そんで、二十歳の誕生日に、案の定、親父が俺にテープを渡してきた。
また、よく見てみたら。
ビデオを撮ってる親父の泣き声が聞こえてた。
お母さんは、笑いながら

『情けないわねぇ。』

なんて言ってるんだ。
俺また泣いちゃったよ。
父親も辛かったんだろうな、
親父にそのこと言ったら、知らねーよなんて言ってたけど、就職決まった時、親父が

『これでお母さんに怒られなくて済むよ。』

なんていってた。

俺このビデオテープがあったからまっとうに生きられてる。

弟の笑顔

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2011年8月 6日 23:35
  • 家族

372: 12/09 01:56
もう何年も前になる。
中学生の弟が鏡の前で一人で笑ってるのを見掛け、吹き出しかけた。
服や髪に気を遣いだし、彼女が出来たと喜んでた時期だった。
だから、今度は笑顔を作る練習でも始めたのか?と考えた。

9つ離れてるから弟が生まれる前から知っていて、あの赤ん坊が大きくなったもんだと、兄貴面して見なかったことにしてやった。
その後もそういう姿を幾度か見掛けた。

どれだけ経ってか、弟と喋るうちにやっと理由が分かった。
前に法事で親戚が集まったときに、みんな口を揃えて

「○○(弟)は笑ったらお父さんにそっくり!」

って言ってたんだよ。
俺から見ても、確かによく似てる。
父が死んだのは弟がまだ幼いときで、弟は父の顔を憶えていない。
父は写真を撮られるのが苦手だったから、笑顔の写真が一枚もない。

弟は普段、誰かが父の話をしても、大して興味なさげにしてるだけだった。
だから、記憶に残ってなきゃこんなもんかと寂しく感じたこともあった。

でも、そんなわけないんだよな。
弟は、ああやって父に会ってたのかと思うと、なぜか弟に申し訳なく切なくなる。
あの時、からかわなくて良かった。

バカ息子

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2011年8月 1日 09:05
  • 家族

前の会社で働いていた頃、母親からこずかい毎月一万ほどせびられた。
一人暮らしの俺にとってはつらかった。
払わないと

「親不孝者」
「バカ息子」

など、罵倒の嵐。

(この糞ババア、いつかマジで殺してやる。)

と呪った事もあった。
しかし、中学時代にグレて散々迷惑をかけた手前、半ばあきらめていた事もあった。

やがて俺が社会に働きに出て数年後、おふくろは死んだ。
その時、通夜の席で親戚に一冊の預金通帳を渡された。
額は100万程度。
聞けば俺の浪費癖を心配したおふくろが、俺からせびっていたお金を毎月積み立ててくれたものらしい。

それを聞いた時、俺は号泣して泣いた。
金を請求されるという表向きの事にとらわれ、なぜおふくろが金を請求するのかという事を考えもしなかった自分自身が誰よりも許せなかった。
母親が死んだ当時、俺は会社をリストラされ貯金も無く失意のどん底だったが、この100万円のおかげでホームレスにはならなくて済んだ。

今でも駄目なリーマンには変わりはないが、つらい時はこの事を思い出して頑張れてる。
今さらだけど・・・。

お母さん・・・。
ありがとう・・・。

クリスマスプレゼント

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2011年7月24日 23:39
  • 家族

693 :名無しの心子知らず:2008/12/26(金) 13:36:27 ID:ZLuBX3wZ
6歳の娘がクリスマスの数日前から欲しいものを手紙に書いて窓際に置いてお いたから、早速何が欲しいのかなぁと夫とキティちゃんの便箋を破らないようにして手紙を覗いてみたら、こう書いてあった。

「サンタさんへ。おとうさんのガンがなおるくすりをください!おねがいします。」

夫と顔を見合わせて苦笑いしたけれど、私だんだん悲しくなって少しメソメソしてしちゃったよw

昨日の夜、娘が眠ったあと、夫は娘が好きなプリキュアのキャラクター人形と「ガンがなおるおくすり」と普通の粉薬の袋に書いたものを置いておいた。
朝、娘が起きるとプリキュアの人形もだけれど、それ以上に薬を喜んで

「ギャーっ!」

って嬉しい叫びを上げてた。
早速朝食を食べる夫の元にどたばたと行って

「ねえ!サンタさんからお父さんのガンが治る薬貰ったの!早く飲んでみて!」

っていって、夫に薬を飲ませた。
夫が

「お!体の調子が、だんだんと良くなってきたみたいだ。」

と言うと娘が、

「ああ!良かった~。これでお父さんとまた、山にハイキングに行ったり、動物園に行ったり、運動会に参加したりできるね~。」

っていうと、夫がだんだんと顔を悲しく歪めて、それから声を押し殺すようにして

「ぐっ、ぐうっ。」

って泣き始めた。

私も貰い泣きしそうになったけれどなんとか泣かないように鍋の味噌汁をオタマで掬って、無理やり飲み込んで態勢を整えた。
夫は娘には

「薬の効き目で涙が出てるんだ。」

と言い訳をしてた。
その後、娘が近所の子に家にプリキュアの人形を持って遊びに行った後、夫が

「来年はお前がサンタさんだな。しっかり頼むぞ。」

と言ったので、つい私の涙腺が緩んで、わあわあ泣き続けた。
お椀の味噌汁に涙がいくつも混ざった。

パパは、1時間にいくらお金をかせぐの?

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2011年7月23日 20:38
  • 家族

ヘタレプログラマーは、今日も仕事で疲れきって、遅くなって家に帰ってきた。
すると彼の5歳になる娘がドアのところで待っていたのである。
彼は驚いて言った。

「まだ起きていたのか。もう遅いから早く寝なさい。」
「パパ。寝る前に聞きたいことがあるんだけど。」
「なんだ?」
「パパは、1時間にいくらお金をかせぐの?」
「お前には関係ないことだ。」

ヘタレプログラマーである父親はイライラして言った。

「なんだって、そんなこと聞くんだ?」
「どうしても知りたいだけなの。1時間にいくらなの?」

女の子は嘆願した。

「あまり給料は良くないさ・・・。20ドルくらいだな。ただし残業代はタダだ。」
「わあ。」

女の子は言った。

「ねえ。パパ。私に10ドル貸してくれない?」
「なんだって!」

疲れていた父親は激昂した。

「お前が何不自由なく暮らせるためにオレは働いているんだ。それが金が欲しいだなんて。だめだ!早く部屋に行って寝なさい!」

女の子は、黙って自分の部屋に行った。
しばらくして父親は後悔し始めた。

少し厳しく叱りすぎたかもしれない・・・。
たぶん、娘はどうしても買わなくちゃならないものがあったのだろう。
それに、今まで娘はそんなに何かをねだるってことはしない方だった・・・。
男は、娘の部屋に行くと、そっとドアを開けた。

「もう、寝ちゃったかい?」

彼は小さな声で言った。

「ううん。パパ。」

女の子の声がした。
少し泣いているようだ。

「今日は長いこと働いていたし、ちょっとイライラしてたんだ・・・。ほら。お前の10ドルだよ。」

女の子はベットから起きあがって、顔を輝かせた。

「ありがとう。パパ!」

そして、小さな手を枕の下に入れると、数枚の硬貨を取り出した。
父親はちょっとびっくりして言った。

「おいおい。もういくらか持ってるじゃないか。」
「だって足りなかったんだもん。でももう足りたよ。」

女の子は答えた。
そして10ドル札と硬貨を父親に差しのべて・・・

「パパ。私、20ドル持ってるの。これでパパの1時間を買えるよね?」

母の味

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2011年7月22日 17:13
  • 家族

154 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/06/16(火) 04:02:51.18 ID:+8cgu5ea0
俺は小学生の頃に母の作った炊き込みご飯が大好物だった。
特にそれを口に出して言った事は無かったけど母は判っていて、誕生日や何かの記念日には我が家の夕食は必ず炊き込みご飯だった。

高校生位になるとさすがに

「又かよっ!」

と思う様になっていたのだが、家を離れるようになっても、たまに実家に帰ると待っていたのは母の

「炊き込みご飯作ったよ。沢山食べなさい。」

の言葉だった。

会社に電話が来て慌てて向かった病室には既に近くの親戚が集まっていた。
モルヒネを打たれ意識の無い母の手を握り締めると母の口が動いた。
何かを俺に言いたそうだった。
母の口元に耳を近づけると

「炊きこ・・・たよ。たくさ・・・・さい。」

と消え入りそうな声で言っていた。
それが最後の言葉だった。

「ママの作ったスパゲッティー大好き!」

口の周りを赤くしてスパゲッティーを食べる娘と、それを幸せそうな目で見つめる妻を見る度に
母の炊き込みご飯が食べたくなる。

母子家庭

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2011年7月15日 12:31
  • 家族

俺んち母子家庭で貧乏だったからファミコン買えなかったのよ。
すっげーうらやましかったな、持ってるやつが。

俺が小6のときにクラスの給食費が無くなった時なんて

『ファミコン持ってないやつが怪しい。』

なんて真っ先に疑われたっけ。

「貧乏の家になんか生まれてこなきゃ良かった。」

って悪態ついた時の母の悲しそうな目。
今でも忘れないなぁ。

どーしても欲しくって中学の時に新聞配達して金貯めた。
これでようやく遊べると思ったんだけどニチイのゲーム売り場の前まで来て買うの止めた。

その代わりに小3の妹にアシックスのジャージを買ってやった。
いままで俺のお下がりを折って着ていたから。
母にはハンドクリームを買ってやった。
いっつも手が荒れてたから。

去年オレは結婚したんだけど、結婚式前日に母に大事そうに錆びたハンドクリームの缶を見せられた。
泣いたね。
初めて母に言ったよ。

『生んでくれてありがとう。』

ってね。

ママ役お姉ちゃん

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2011年7月13日 08:42
  • 家族

493:おさかなくわえた名無しさん 12/12 18:30 SAtrbW1A
もう10年も前の話。

妻が他界して1年がたった頃、当時8歳の娘と3歳の息子がいた。
妻がいなくなったことをまだ理解できないでいる息子に対して、私はどう接してやればいいのか、父親としての不甲斐なさに悩まされていた。
実際私も、妻の面影を追う毎日であった。
寂しさが家中を包み込んでいるようだった。

そんな時、私は仕事の都合で家を空けることになり、実家の母にしばらくきてもらうことになった。
出張中、何度も自宅へ電話をかけ、子供たちの声を聞いた。
2人を安心させるつもりだったが、心安らぐのは私のほうだった気がする。

そんな矢先、息子の通っている幼稚園の運動会があった。
『ママとおどろう』だったか、そんなタイトルのプログラムがあり、園児と母親が手をつなぎ、輪になってお遊戯をするような内容だった。
こんなときにそんなプログラムを組むなんて・・・。

「まぁ、行くよ♪」

娘だった。
息子も笑顔で娘の手をとり、二人は楽しそうに走っていった。
一瞬、私は訳が分からずに呆然としていた。
隣に座っていた母がこう言った。

あなたがこの間、九州へ行っていた時に、正樹はいつものように泣いて、お姉ちゃんを困らせていたのね。
そうしたら、お姉ちゃんは正樹に、

「ママはもういなくなっちゃったけど、お姉ちゃんがいるでしょ?本当はパパだってとってもさみしいの。だけどパパは泣いたりしないでしょ?それはね、パパが男の子だからなんだよ。まぁも男の子だよね。だから、だいじょうぶだよね?お姉ちゃんが、パパとまぁのママになるから。」

そう言っていたのよ。

何ということだ。
娘が私の変わりにこの家を守ろうとしている。
場所もわきまえず、流れてくる涙を止めることが出来なかった。

10年たった今、無性にあの頃のことを思い出し、また涙が出てくる。
来年から上京する娘、おとうさんは君に何かしてあげられたかい?

君に今、どうしても伝えたいことがある。
支えてくれてありがとう。
君は最高のママだったよ。
私にとっても、正樹にとっても。
ありがとう。

一人っ子の息子

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2011年7月10日 08:00
  • 家族

969: 05/08 11:28
私の婦人科系の出費がかさんでいて、我が家はあまり裕福じゃない。
だから息子には申し訳ないんだけれど、おもちゃなんかはお誕生日とクリスマスの年二回しか買ってあげてないんだ。

息子が6歳の誕生日に

「欲しいものは?何でも買ってあげるよ。」

って夫婦できいたとき、息子が言ったのは

「妹か弟が欲しい。」

だった。

「ボクはこの先一生おもちゃ買って貰えんでええけん、弟妹が欲しい。」

ごめんね。
あなたに弟妹をあげられないお母さんでごめんね。
子宮が無くてごめんなさい。
ごめんなさい、許してね。
頭が真っ白になってしまって、親の癖に取り乱して息子に縋り付いて泣いて謝ってしまったんだよね、私。
息子はビックリして

「お母さんを泣かせてごめんなさい。」

って泣きだした。
親としてなってないよね、私。
息子を傷つけたよね。
本当にバカだった。

長いので途中で切ります。

一人っ子の息子の続きを読む

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2011年7月 6日 08:59
  • 家族

52:名無し 2007/08/14 18:39:49
今日は兄の誕生日だ。
私より10才年上の兄は、私が10才の時に両親を事故で失って以来ずっと私を育ててくれた。

兄は私を育てるために大学をやめ、働きながら私を育ててくれた。
口癖は

「お前は俺の半分しか父さんや母さんとの思い出がないんだから。」

だった。
授業参観にも学校祭にも体育祭にも三者面談にも、いつも兄が来てくれた。
周囲のおばさま方の中で、明らかに兄は浮いていたが、それでもいつも兄は会社で休みをもらって学校に来てくれた。

初めて作った料理とも言えないようなものを、美味しいと言って全部食べてくれた。
仕事で疲れているだろうに、家に帰ってきてから私の学校での話を聞いてくれたり、宿題を見てくれたり、学校への連絡ノートも毎日欠かさず書いてくれた。
土日も私と遊んでくれて、色々なところへ連れて行ってくれた。

そんな兄には自分の時間なんてなかったように思う。
友達のを見て、

「お団子ヘアにして欲しい、友達のお母さんならやってくれた。」

とわがままを言った時、慣れない手つきで一生懸命作ってくれたのに、

「こんなんじゃない、お母さんに会いたい!」

と兄をなじってしまった。
兄はそれを聞いてごめんと泣き出してしまった。
あの姿を思い出すたびに、兄も両親を事故で失った子供だったんだと今でも泣きそうになる。

兄の続きを読む

デジカメ

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2011年7月 6日 08:53
  • 家族

なんか機械音痴の母がデジカメを買った。

どうやら嬉しいらしく、はしゃぎながらいろいろと写してた。

何日かしてメモリがいっぱいで写せないらしく

「どうすればいいの?」

って聞いてきたが

「忙しいから説明書読め!」

とつい怒鳴ってしまった。
さらに

「つまらないものばかり写してるからだろ!」

とも言ってしまった。
そしたら

「・・・ごめんね。」

と一言。

そんな母が先日亡くなった。
遺品整理してたらデジカメが出てきて、何撮ってたのかなあと中身を見たら、俺の寝顔が写ってた・・・。

涙が止まらなかった。

野球、ごめんね

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2011年7月 1日 12:53
  • 家族

198 :名無し物書き@推敲中? :04/05/05 22:20

幼い頃に父が亡くなり、母は再婚もせずに俺を育ててくれた。
学もなく、技術もなかった母は、個人商店の手伝いみたいな仕事で生計を立てていた。
それでも当時住んでいた土地は、まだ人情が残っていたので、何とか母子二人で質素に暮らしていけた。

娯楽をする余裕なんてなく、日曜日は母の手作りの弁当を持って、近所の河原とかに遊びに行っていた。
給料をもらった次の日曜日には、クリームパンとコーラを買ってくれた。

ある日、母が勤め先からプロ野球のチケットを2枚もらってきた。
俺は生まれて初めてのプロ野球観戦に興奮し、母はいつもより少しだけ豪華な弁当を作ってくれた。

野球場に着き、チケットを見せて入ろうとすると、係員に止められた。
母がもらったのは招待券ではなく優待券だった。

チケット売り場で一人1000円ずつ払ってチケットを買わなければいけないと言われ、帰りの電車賃くらいしか持っていなかった俺たちは、外のベンチで弁当を食べて帰った。

電車の中で無言の母に

「楽しかったよ。」

と言ったら、母は

「母ちゃん、バカでごめんね。」

と言って涙を少しこぼした。

俺は母につらい思いをさせた貧乏と無学がとことん嫌になって、一生懸命に勉強した。
新聞奨学生として大学まで進み、いっぱしの社会人になった。
結婚もして、母に孫を見せてやることもできた。

そんな母が去年の暮れに亡くなった。
死ぬ前に一度だけ目を覚まし、思い出したように

「野球、ごめんね。」

と言った。
俺は

「楽しかったよ。」

と言おうとしたが、最後まで声にならなかった。

「野球、ごめんね。」のフラッシュ動画

誕生日パーティー

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2011年6月29日 02:15
  • 家族

私が23歳の頃、就職1年目の冬、私の誕生日の日のこと。
職場の人たちが

「誕生パーティーをしてあげる!」

というので、家に、

「今日は遅くなるよ。ゴハンいらないから。」

と電話を入れたら、父が

「今日はみなさんに断って、早く帰ってきなさい。」

と言う。

「だってもう会場とってもらったみたいだし、悪いから行く。」

と私が言うと、いつもは温厚な父が、

「とにかく今日は帰ってきなさい、誕生日の用意もしてあるから。」

とねばる。

「???」

と思いながら、職場のみんなに詫びを入れて帰宅した。
家にはその春から肋膜炎で療養中の母と、電話に出た父。
食卓にはスーパーで売ってるような鶏肉のもも肉のローストしたみたいなやつとショートケーキ3つ。

「なんでわざわざ帰らせたの!私だってみんなの手前、申し訳なかったよ!」

と言ってしまった。
父は何か言ったと思うが、覚えていない。
母が、

「ごめんね。明日でもよかったね。」

と涙ぐんだ。
私は言い過ぎたな、と思った。
でもあやまれず、もくもくと冷えた鶏肉とケーキを食べて部屋に戻った。

その2ヶ月後、母の容態が急変し入院した。
仕事帰りに病院に行くと、父がいた。
廊下の隅で、

「実はお母さんは春からガンの末期だとわかっていたんだよ。隠していてごめんね。」

とつぶやいた。
呆然として家に帰ったあと、母の部屋の引き出しの日記を読んだ。
あの誕生日の日のページに

「○子に迷惑をかけてしまった。」

とあった。
ワーッと声を出して泣いた。
何時間も

「ごめんね。」

といいながら泣いた。
夜が明ける頃には涙が出なくなった。
すごい耳鳴りがした。

4、5日して母は死んだ。
仕事をやめて、看病していた父も数年前に死んだ。
父が準備したささやかな誕生日パーティーをどうして感謝できなかったのか。
母にとっては最後だったのに・・・。

父も数年後に死んだ。
こんな情けない自分でも、がんばって生きている。

お弁当

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2011年6月27日 07:37
  • 家族

私の中学校の昼飯は給食ではなく弁当持参だった。

私の母の作る料理はお世辞にも美味いとは言えないもので、なおかつ見た目も悪かった。
そんな母の弁当を、とても恥ずかしく思っていて、学校にも持っていけず、毎朝、家の玄関に母の作った弁当を忘れたフリをして置きっぱなしにしていた。

でも母は何も言わなかった。

ある朝、4時頃に、私は急にトイレへ行きたくなり目が覚めた。
両親ともまだ寝ているだろうと、そっとトイレまで向かうと、台所で物音がしている。

母だった。

一生懸命レシピを片手に弁当を作っていた。
私は兄弟が多く(5人)、母は全員分の弁当を朝早くから作っていた。

そんな事、ちょっと考えれば分かるのに、母の顔をもっとよく見れば分かってあげられたのに・・・。

それからは絶対に母の弁当を置いていくことはしなかったが、私は長い間母の心を踏みにじっていた事を考えると今でも涙が出ます。

千円札

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2011年6月20日 09:12
  • 家族

昨日、親父の七回忌だった。
うちは本当に貧乏でさ、商売やってたんだけど、つぶれてシャッターがおりてる店がほとんどの寂れた商店街の隅っこに店があって、それでも

「店で待っていてもお客は来ない。」

って、両親は毎日毎日朝から晩まで注文取りに走り回ってた。

俺は五歳下の妹と二人兄弟で、小学生の頃からいつも二人で夕食を作って遅くまで両親の帰りを待ってた。
小学生の料理なんてうまいはずはないけれど、親父は

「お前たちのカレーはすごくいい味だ。」

ってほめてくれた。

明るい家族だったから、貧乏でも楽しかった。
休みの日には、大きな鍋とインスタントラーメンを持って海に行って、たき火をしてラーメンを煮て食べた。
おいしかったなぁ。

小学校中学校と放課後友達と遊んだ記憶はほとんどない。
妹の面倒見なくちゃいけなかったし、家の手伝いもあったし。
高校受験の時にね、

「こんな暮らしをしててもお前は貧乏から抜け出せない。家のことはいいからちゃんと大学出て、自分でやりたいことを見つけろ。」

って親父が言ってくれて、鹿児島の全寮制の高校に行かせてくれたんだ。
バイトはできなかったけど、運良く奨学金がもらえて仕送りなしで高校に通えた。

たまに帰省すると、その度にくしゃくしゃの千円札を母親に隠れて何枚か渡してくれて

「少しで悪いな。」

って。
そんな金使えないよな。
今でもしまってある。
35枚。

馬鹿なりに一生懸命勉強して東京の国立大に受かった。
ホントは受かっただけで満足だった。
でも、親父すごく喜んでさ

「商売がんばってるから大学行ったら仕送りしてやれるぞ。」

って。

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兄弟の夢

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2011年6月14日 09:18
  • 家族

19: 12/22 23:55
三人兄弟の末っ子だったオレ。
オレが消防だった時に兄貴が高3だった。
車好きの兄貴は自動車会社に就職したくて大学に行きたかったみたいけど、頭は決してよく無かったので私立の大学にしかいける大学がなった。
兄貴は親父に大学に行きたいと言ったが、親父は

『家には金が無い。残りの兄弟もいるし、我慢してくれ。すまん。』

と言った。
影でその話を聞いていた俺は、それまで自分の家が貧乏だと思ってはなかったので驚いた。
話を承知した兄貴は、肩を揺らして泣いていた。
親父も自分が不甲斐無いのか泣いていた。

その後、兄貴は高卒で就職した。
数年後、同様に二番目の兄貴も高卒で就職した。
そして、俺が高3になった時、俺も大学に行きたいと思っていた。
自分でもいうのはなんだが、学校での成績はかなりいいほうだった。

しかし、親兄弟には迷惑はかけれないと進学は諦めていた。
迷惑をかけないように、

『オレも高校卒業したら就職するから。』

って家族にいつも言っていた。
そんな時、2人の兄貴が

『お前は安心して好きな道を歩め。大学に行きたいなら、はっきり言え。オレがどうにかしてやる。お前は頭もいいし、オレの出来なかった夢を叶えてくれ。』

と言ってくれた。
嬉しかった。
大声で泣いた。

数年後、オレは無事に大学を卒業、兄貴の夢でありオレの夢であった自動車会社に就職することができた。
兄貴は喜んでくれてはいたが、さぞ悔しかっただろうと思う。
申し訳ないことをしたと思っている。
面と向かって言うのは照れるので、ここで言わせてもらいたい。

兄貴、ありがとう。
いつか、最高の車を造るからな。

苺のショートケーキ

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2011年6月11日 08:35
  • 家族

俺には歳が六つ離れた妹がいた。
俺は小学校の頃からずっと体育5とかで元気だけが取り柄みたいな子供だったんだが、妹はちょっと体が弱くて少し体調を崩すと何日も熱で寝込んじゃうくらいだった。
そんな事もあってかお互いケンカもほとんどなく本当に仲良く楽しく暮らしていた。
結構妹に甘くて、いつも何か頼み事されたら断り切れないでそれを聞いてしまう。

例えば、苺のショートケーキがおやつに出たら、出た瞬間にはもう妹が顔で合図してくる。
俺も馴れたものでそれだけで

「はいはい・・・。」

って感じで聞いてしまう。
そしたら妹は、たった一つの苺で大はしゃぎする。
あれを見たら苺の一つや二つなんかまじで安いもんだって思った。
本当にそんな何でもない日々を過ごしていた。
でもさ、現実なんて本当にもろいもんだった・・・。

俺が高校2年生の時だった。
その日の朝もいつもと変わらない朝のはずだった。
いつもの目覚ましで起きて、いつもの制服に着替えて、いつもの道を通って学校に行く。
そんな何でもない日だったはずなのに、朝起きたら両親がやたらと騒いでいた。
朝からうるせぇなぁとか思いながら両親が騒いでる居間に行くとそこで顔面蒼白の妹が横になって呻いていた。
今までの熱とは明らかに違うような感じで、もう誰が見てもわかるくらいに

「苦しい・・・辛い・・・。」

って顔だった。
さすがに俺もびびって、すぐ妹に話しかけた。
そしたら、本当は苦しいはずなのに

「いつもの熱だから大丈夫だよ。」

って笑って言った。
そんなわけ絶対になかったのに・・・。

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親父の弁当

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2011年6月 8日 08:57
  • 家族

小1の秋に母親が男作って家を出ていき、俺は親父の飯で育てられた。

当時は親父の下手くそな料理が嫌でたまらず、また母親が突然いなくなった寂しさもあいまって、俺は飯のたびに癇癪おこして大泣きしたりわめいたり、ひどい時には焦げた卵焼きを親父に向けて投げつけたりなんてこともあった。

翌年、小2の春にあった遠足の弁当もやっぱり親父の手作り。
俺は嫌でたまらず、一口も食べずに友達にちょっとずつわけてもらったおかずと持っていったお菓子のみで腹を満たした。
弁当の中身は道に捨ててしまった。
家に帰って空の弁当箱を親父に渡すと、親父は俺が全部食べたんだと思い、涙目になりながら俺の頭をぐりぐりと撫で、

「全部食ったか、えらいな!ありがとうなあ!」

と本当に嬉しそうな声と顔で言った。
俺は本当のことなんてもちろん言えなかった。
でもその後の家庭訪問の時に、担任の先生が俺が遠足で弁当を捨てていたことを親父に言ったわけ。

親父は相当なショックを受けてて、でも先生が帰った後も俺に対して怒鳴ったりはせずにただ項垂れていた。
さすがに罪悪感を覚えた俺は気まずさもあってその夜、早々に布団にもぐりこんだ。
でもなかなか眠れず、やっぱり親父に謝ろうと思い親父のところに戻ろうとした。
流しのところの電気がついてたので皿でも洗ってんのかなと思って覗いたら、親父が読みすぎたせいかボロボロになった料理の本と遠足の時に持ってった弁当箱を見ながら泣いていた。

で、俺はその時ようやく、自分がとんでもないことをしたんだってことを自覚した。
でも初めて見る泣いてる親父の姿にびびってしまい、謝ろうにもなかなか踏み出せない。
結局俺はまた布団に戻って、そんで心の中で親父に何回も謝りながら泣いた。

翌朝、弁当のことや今までのことを謝った俺の頭を親父はまたぐりぐりと撫でてくれて、俺はそれ以来親父の作った飯を残すことは無くなった。

親父は去年死んだ。
病院で息を引き取る間際、悲しいのと寂しいのとで頭が混乱しつつ涙と鼻水流しながら

「色々ありがとな、飯もありがとな、卵焼きありがとな、ほうれん草のアレとかすげえ美味かった。」

とか何とか言った俺に対し、親父はもう声も出せない状態だったものの微かに笑いつつ頷いてくれた。
弁当のこととか色々、思い出すたび切なくて申し訳なくて泣きたくなる。

母のおにぎり

  • Posted by: 涙脆い管理人
  • 2011年6月 7日 08:40
  • 家族

おととしの、秋の話しです。
私が小学校5年の時に家をでて、居場所のわからなかった母に、祖母の葬式の時、23年振りで、顔をあわせました。
その時、母の家に遊びに行く約束をしました。

その日は、私が料理を作りました。
ハンバーグと肉じゃがと、簡単なサラダです。
2人で食事をして、お酒を飲んで、はじめはあたりさわりのない話しをしてましたが、だんだん、

「何故いなくなったのか?」

という話しになりました。
母はたんたんと話します。
私も、母がつらくならないように、途中、冗談を入れながら、聞きました。
帰る時、

「今日はおかあちゃん、なんもできひんかってごめんな。」

と、言ったので、私は

「ほな、残ったごはんで、おにぎり作って。」

と言いました。
母は、

「そんなんで、ええんか。」

と笑いながら作ってくれました。

帰り、駅からタクシーに乗りました。
今日のことを思い出しているうちに、不覚にも涙がててきました。
運転手さんがびっくりして、

「気分悪いんか?」

と聞かはりました。
私は、

「いえ、なんか、嬉しくって、泣けてきちゃったんです。」

と、泣き笑いしながら、運転手さんに、今日の事を短く話しました。
すると、運転手さんも一緒に泣き出してしまいました。

「よかったな、よかったな。」

と鼻水まですすってました。

家に持って帰ってきたおにぎりは、冷凍庫にいれて、元気のない日に、1コづつ、大事に大事に、食べました。

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